平成21年5月3-4日 天候曇り
後半は雨となった今年の5月連休,皆様はいかが過ごされたでしょうか?我々嶺朋クラブは,2泊3日で伝付峠から南下し,笊ヶ岳に登る予定だった.しかし,天気予報では5月3日夜から天候が崩れるらしく,4日と5日の降水確率は50-60%.この時点で笊ヶ岳山頂からの眺望はあまり期待できず,私自身はすっかり登る気が消失してしまっていた.
5月3日朝5時,予定通りに増穂町役場に集合,今回は山梨百名山残り4座の植田さんもお誘いして,総勢8人での山行となった.3分ほど遅れて到着すると,リーダーたち幹部が集まって相談していた.天気が崩れそうなので伝付峠からの南下はなさそうだ.近日予定している黒河内岳(笹山)直登ルートの下見に行くか,それとも雨畑の笊ヶ岳登山口,奥沢谷にテントを張るかという話になっており,最終的に奥沢谷に行くことになった.笊ヶ岳登頂は今回は中止である.となると,今夜は河原で宴会だ.ウイスキー1本と自分の缶ビール1本だけ持って行くつもりだったのだが,ザックの荷物を詰めなおし,車に積んであった缶ビール6本とウイスキーをボトルのまま2本,さらにスポーツドリンクと,水関係だけで約5リットルをザックに詰め込んで雨畑の老平を出発した.
新緑の奥沢谷にかかる吊り橋を渡る.
道沿いに咲いていたヤマシャクヤク.
新緑の奥沢谷の流れを楽しみながら,かつ山菜を摘みながら道を進む.(といっても私は山菜はタラの芽くらいしかわからないので,言われたとおりに摘むだけ.)途中には山芍薬の可憐な花も咲いていた.約1時間半でテント予定地の広河原に到着した.時間はまだ11時前だ.テントを設営して一休みした後,登山道を登って山菜採りに出かける.祠のある山の神を過ぎてその上の造林小屋跡ワイヤーの散乱しているあたりまで2時間近く登った.そこまで登っても標高はまだ1500mくらい,布引山の半分くらいまでしか登っていないことになる.やはり笊ヶ岳に登るのは大変だ.タラの芽は数本しか見つけられなかったが,コシアブラの芽はだいぶ摘むことができた.それにユキザサ,ヨモギなどなど,8人で食べるには十分の量を摘んだ.2時半ごろに広河原に戻り,さっそく天ぷらの準備を始める.
広河原に張ったテント(右手奥の一張は別のパーティーのもの.本日笊ヶ岳アタックしており,6時半に下山してきた.)
新緑の広河原
3時過ぎ,早くも宴会モードに突入.河原の水場で冷やした冷たいビールが喉にしみる.定番のタラの芽は言うまでもないが,初めて食べるコシアブラは独特の香りがあってこれまた絶品.ユキザサは天ぷらとマヨネーズあえの両方でいただいたが,あっさりしていておいしかった.忘年会さながらの大騒ぎを日が暮れる7時近くまでやって,テントに戻る.前日寝付けずに数時間しか寝ていなかった私は,酔いもまわっていてシュラフにもぐり込むや否や眠ってしまった.
河原で宴会.既にできあがってます.(寝不足の植田さんは先にテントで寝てます.)
10時過ぎ,一旦目が覚めると月明かりがテントを透かして見えた.どうやら予報ほど天気は崩れなそうだ.そしてまた眠りにつき,翌朝起きたのは5時半.もうすっかり明るくなっていた.テントの外に出て空を見上げると薄曇り,すぐに雨が降りそうな天候ではない.その気になれば登れないこともなかったのだろうが,無理して登る意味もない.お誘いして登頂できなかった植田さんには申し訳なかったが,今年は8月か10月に登る予定をしているので,再度トライしてほしい.
山菜を摘みながら下山.
テント撤収し,8時過ぎに下山開始.途中の一軒家で大休憩し,石に詳しい小林さんが同行していたので,ここで南アルプスの地層の話を聞く.北岳とその向かいの鳳凰山・甲斐駒ケ岳では全く岩石の構成が違う南アルプス.北岳は堆積岩が海底から盛り上がってできた黒い岩だが,鳳凰・甲斐駒はマグマが地底でゆっくりと固まってできた花崗岩から構成されている.歴史的には堆積岩の地層の中に花崗岩が割り込んで盛り上がったものらしく,同じ南アルプスでも北岳のほうが古いものなのだそうだ.少しだけ賢くなって帰路に着いた今回の山行だった.
後半は雨となった今年の5月連休,皆様はいかが過ごされたでしょうか?我々嶺朋クラブは,2泊3日で伝付峠から南下し,笊ヶ岳に登る予定だった.しかし,天気予報では5月3日夜から天候が崩れるらしく,4日と5日の降水確率は50-60%.この時点で笊ヶ岳山頂からの眺望はあまり期待できず,私自身はすっかり登る気が消失してしまっていた.
5月3日朝5時,予定通りに増穂町役場に集合,今回は山梨百名山残り4座の植田さんもお誘いして,総勢8人での山行となった.3分ほど遅れて到着すると,リーダーたち幹部が集まって相談していた.天気が崩れそうなので伝付峠からの南下はなさそうだ.近日予定している黒河内岳(笹山)直登ルートの下見に行くか,それとも雨畑の笊ヶ岳登山口,奥沢谷にテントを張るかという話になっており,最終的に奥沢谷に行くことになった.笊ヶ岳登頂は今回は中止である.となると,今夜は河原で宴会だ.ウイスキー1本と自分の缶ビール1本だけ持って行くつもりだったのだが,ザックの荷物を詰めなおし,車に積んであった缶ビール6本とウイスキーをボトルのまま2本,さらにスポーツドリンクと,水関係だけで約5リットルをザックに詰め込んで雨畑の老平を出発した.
新緑の奥沢谷にかかる吊り橋を渡る.
道沿いに咲いていたヤマシャクヤク.
新緑の奥沢谷の流れを楽しみながら,かつ山菜を摘みながら道を進む.(といっても私は山菜はタラの芽くらいしかわからないので,言われたとおりに摘むだけ.)途中には山芍薬の可憐な花も咲いていた.約1時間半でテント予定地の広河原に到着した.時間はまだ11時前だ.テントを設営して一休みした後,登山道を登って山菜採りに出かける.祠のある山の神を過ぎてその上の造林小屋跡ワイヤーの散乱しているあたりまで2時間近く登った.そこまで登っても標高はまだ1500mくらい,布引山の半分くらいまでしか登っていないことになる.やはり笊ヶ岳に登るのは大変だ.タラの芽は数本しか見つけられなかったが,コシアブラの芽はだいぶ摘むことができた.それにユキザサ,ヨモギなどなど,8人で食べるには十分の量を摘んだ.2時半ごろに広河原に戻り,さっそく天ぷらの準備を始める.
広河原に張ったテント(右手奥の一張は別のパーティーのもの.本日笊ヶ岳アタックしており,6時半に下山してきた.)
新緑の広河原
3時過ぎ,早くも宴会モードに突入.河原の水場で冷やした冷たいビールが喉にしみる.定番のタラの芽は言うまでもないが,初めて食べるコシアブラは独特の香りがあってこれまた絶品.ユキザサは天ぷらとマヨネーズあえの両方でいただいたが,あっさりしていておいしかった.忘年会さながらの大騒ぎを日が暮れる7時近くまでやって,テントに戻る.前日寝付けずに数時間しか寝ていなかった私は,酔いもまわっていてシュラフにもぐり込むや否や眠ってしまった.
河原で宴会.既にできあがってます.(寝不足の植田さんは先にテントで寝てます.)
10時過ぎ,一旦目が覚めると月明かりがテントを透かして見えた.どうやら予報ほど天気は崩れなそうだ.そしてまた眠りにつき,翌朝起きたのは5時半.もうすっかり明るくなっていた.テントの外に出て空を見上げると薄曇り,すぐに雨が降りそうな天候ではない.その気になれば登れないこともなかったのだろうが,無理して登る意味もない.お誘いして登頂できなかった植田さんには申し訳なかったが,今年は8月か10月に登る予定をしているので,再度トライしてほしい.
山菜を摘みながら下山.
テント撤収し,8時過ぎに下山開始.途中の一軒家で大休憩し,石に詳しい小林さんが同行していたので,ここで南アルプスの地層の話を聞く.北岳とその向かいの鳳凰山・甲斐駒ケ岳では全く岩石の構成が違う南アルプス.北岳は堆積岩が海底から盛り上がってできた黒い岩だが,鳳凰・甲斐駒はマグマが地底でゆっくりと固まってできた花崗岩から構成されている.歴史的には堆積岩の地層の中に花崗岩が割り込んで盛り上がったものらしく,同じ南アルプスでも北岳のほうが古いものなのだそうだ.少しだけ賢くなって帰路に着いた今回の山行だった.