山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

前週の続きの稜線、興因寺山から淡雪山、湯村山へ  平成22年4月4日

2010年04月15日 | 番外編
 まだつながっていない興因寺山から淡雪山、さらに湯村山に至る稜線沿いのルート歩き、先週は脇道に逸れたこともあって興因寺山まで至らずに終わってしまった。ちょうどこの日は緑ヶ丘運動公園の近くで所属する山岳会総会が午後3時半から開催されるので、会場まで自宅から稜線上を歩いて行くことにした。これでようやく、武田神社から自宅周辺を取り巻くルートが全周つながることになる。

 4月4日 天候晴れ
 自宅を9時少し前に出発する。ちょうど下積翠寺集落の桜が見頃になっていたので、すぐ裏にある道祖神、石上様の桜の木を見に行った。毎年新年の互例会が行なわれるがあまり祠を良く見たことがなく、改めて見てみると「繭神社」と刻まれていた。同じ神社は上積翠寺にもあり、また岩堂峠の直下にはかつて養蚕の繭を冷蔵したといわれる石積みの倉庫がある。かつてこのあたりは養蚕が盛んだったことがうかがえる。

    自宅裏の道祖神、石上様の桜の木


    白山神社。かつてはきちんとした木造の社が建てられていたのだが、不審火により焼失してしまった。現在は石の建造物になってしまっている。

 白山神社から入山し、何度となく歩いている一の森への道を行くが、いつもは途中で左に曲がるところをこの日は真直ぐ進んでみた。ところどころテープがつけられており、着いたところはいつも使う道の数十メートル向こう側、かなり近い場所に抜け出た。一の森のベンチで一休みし、武田の杜遊歩道を古湯坊側に進んで先週確認しておいた淡雪山分岐部を目指す。20分ほどで分岐に到着し、その道を登って行くが、きわめて明瞭な歩き易い道だった。行き着いたところはこれまた3年くらい前に興因寺山に登った時に歩いたことのある、大正池から来る道だった。淡雪山の看板に従って左に進むと、少し行ったところにまた淡雪山を指す小さな看板があった。以前に来た時はこの看板を無視して道を真直ぐに進み、獣道のような細い道を通って武田の杜遊歩道に下りた。今回は素直に淡雪山の看板通りに道を進む。登りついたところは広い萱の生える草地で、さらにもう一段登るとあっさり興因寺山山頂についた。時間は10時20分だった。

    興因寺山山頂。山頂には大きな鉄塔が立ち、折角の景観を乱している。向こうには南アルプスが見える。


    興因寺山から淡雪山稜線上から見下ろす甲府盆地の景観。残念ながら富士山は見えなかった。

 この場所が本日の最高点、あとは淡雪山を越えて緑ヶ丘に向って下りて行くだけだ。この先はまだ歩いたことのない道、3年前に少しだけ歩いてみた時は両側に雑木が生い茂る細い道だった記憶があるが、今回歩いてみると周辺の木々は切り払われて歩き易い明瞭な尾根道に変貌していた。ここまでしなくても良いのでは?薮歩きを期待していた私としては少々がっかりした。甲府盆地の展望の良い尾根道を進んで行くと、やがて白い岩がゴツゴツと露出した小ピークに出る。雪が積もったようなその白い岩と砂、淡雪山とはそういうことだったのか。その直下には弥勒館という宗教団体らしき大きな建物が建っている。その脇を通って武田の杜遊歩道に下りて行くのだが、このルートは倒木あり、また崩落して巻き道ありなど、若干荒れてはいるものの通過には支障ない。

    淡雪山山頂。白い岩と砂、淡雪山とは良く言ったものだ。


    小松山園地のベンチと甲府盆地。これだけの休憩所が設置されているのに歩く人が少ないのは惜しい。

 武田の杜遊歩道に下り立ち、そこから先は広くて良い道になる。道端の花も咲き出しており、イカリソウ、タチツボスミレ、咲き始めたジュウニヒトエやヒトリシズカなどを見ることができた。途中で左手の小松山園地に立ち寄り、ここで昼食をとる。あまり脇道に逸れず歩いてきたので、時間は順調に12時40分だった。向かいに見える和田峠の桜がちょうど見頃で、車道脇を白く飾っていた。

    イカリソウ  この山塊には群落を成してたくさん咲く。


    咲き始めたヒトリシズカ。花の名前がなんともロマンチック。


    咲き始めたジュウニヒトエ。花が何層にも重なって咲くことからこの名がある。これもまたロマンチックな名前。


    和田峠の満開のソメイヨシノ

 3時半には余裕で緑ヶ丘の会場に到着できる時間だったので、この先は三脚を担いだまま桜や花の写真を撮りつつゆっくりと歩いた。湯村山への登り返しの途中で、上から若者がトレイルランニング訓練で走ってきた。なんと、本日同じ会に出席する同じ山岳会のF君だった。一汗かいてから会に出席するそうだ。ロッククライミングもできる、頼もしい仲間だ。私は相変わらずのゆったりペースで歩き、緑ヶ丘運動公園に2時50分到着。桜満開で、何か催し物が開催されているらしく、駐車場は車が止められないほどの満車状態で道沿いにもたくさん駐車されていた。予定通り、3時会場到着した。

    和田峠の桜と甲府盆地。左手に見えるちょこんとした山が通ってきた小松山園地。


    緑ヶ丘運動公園と満開の桜。たくさんの人が訪れていた。

 山岳会総会では、議長をおおせつかり、不慣れながら務めさせていただき、無事山岳会総会を終えることができた。その後の懇親会の席でこのあいだ病院で開催した「山と花と星の奏でる音楽会Ⅱ」の話題があがり、高い評価をいただいたことに感謝感激だった。次週4月21日は職員を主な対象としたランチョンセミナー「山と花と星の奏でる音楽会Extra ~山上から地球環境を考える~」を予定しており、さらに5月24日(月)にはいよいよ初めての職場外で会場を借りての会を予定している。軌道に乗り出したこの会、気合を入れて準備し、感動を与えられるような会にしたいと願っている。近日ポスター、および内容の一部をこのブログ上で掲載したいと思う。乞うご期待!!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積翠寺一周、大岩山~要害山~古湯坊 平成22年3月27日

2010年04月15日 | 番外編
 毎年春の恒例のようになっている地元積翠寺周辺、特に武田の杜遊歩道を中心とした散策だが、いまだに要害山から湯村山、緑ヶ丘に至る全ルートはつながっていない。今年こそは、との思いで自宅から歩き始めたのだが・・・

 3月27日 天候晴れ
 春らしい暖かな天気となったこの日、積翠寺東側にある山の稜線、大岩山から岩堂峠、要害山、古湯坊温泉、興因寺山、淡雪山あたりまで行こうと計画した。低山ながらロングコースなので自宅を早めに出ようと思ったのだが、準備が遅れ、家を出たのは9時半になってしまう。勝手知ったる地元の山なので、この日は道なき道を大岩山に向けて遭難時訓練と称して真直ぐ登ることにした。東側農道の途中から農業作業用の細い道が切り開かれているところがあるが、その道は山腹を走る武田の杜遊歩道の下で途切れていることは、もう十数年前に興味本位で歩いた事があり、知っていた。(その頃はまだ武田の杜遊歩道はできていなかった。)遊歩道を横切ってそのまま真直ぐ登って行けば、大岩山山頂、あるいはその稜線に抜けられるはずだ。道を登って行くと、明瞭な道は無くなってしまうものの、林業作業用の細い道はいちおう痕跡程度に残っており、若干の藪をかき分けた程度であっさり武田の杜遊歩道に抜け出た。その先、取り付きやすそうな尾根を探しつつ上積翠寺側に向って遊歩道を進むと、林業作業道と思われる踏み跡を発見し、その道に沿って尾根に取り付く。この先は結構な急斜面となり、途中から道は獣道となる。アカマツの林は以外にも良く手入れされていて、倒木もあるが大部分切り払われていて薮こぎといった感じではなかった。しかし、葉の生い茂る夏になると果たしてどうなっているか・・・。急斜面を登って行くと、稜線までもう少しというところで右側から登って来るしっかりとした登山道に合流した。見覚えのある道、これは3年ほど前に武田の杜遊歩道から大岩山、愛宕山方面を歩いた時に通った道だ。この道を無視してそのまま斜面を上に向って直登して行くと・・・途中からテープのつけられた細い道(らしきもの)に出くわし、それに導かれて登って行くと、ドンぴしゃり、大岩山の山頂に飛び出した。ここは歩いた記憶が鮮明に残っており、尾根伝いに愛宕山方面に向った道だ。しかし、どちら側から登って来たかの記憶が定かではない。本日登って来た方向が積翠寺と考えると、要害山は左手の北側の方向になるはずだ。確か山頂直下に大岩園地という立派なあずま屋が立っていたはずだ。山頂から左方向にテープがたくさんつけられていたので、そちらの方向に進んで行くと、しだいに道は不明瞭となり、かまわずに進むと先ほど出くわした武田の杜遊歩道から登って来る道と思わしき細い道に出た。左に行くと戻ってしまう、しかし右に行くとまた大岩山方向に戻ることになる。さて、どっちに行けば良いのか・・・?とりあえず右に行ってみると、予想通り先ほど下りてきた尾根を右手に見ながら山腹を細い道が巻いている。ほとんど踏み跡なく、歩く人はあまりいないようだ。かまわずに進んで行くと、立派な登山道につきあたり、その出口にはテープが張られ、こちらのルートには入らないように誘導されていた。メインルートではなくて、廃道、とは言わないまでもサブルートだったのだ。右に曲がって斜面を登ると大岩園地を経て先ほどの大岩山に至る道、左は大蔵経寺山からの尾根道と合流して岩堂峠に至る道だ。ようやくここで方角がしっかりとわかった。

    岩堂峠の道標  (これ以前の写真データは残念ながら山の途中でメモリカードを落としたらしく、紛失。1Gメモリカードで幸いだった。)


    深草観音  何度訪れてみても幻想的で良いところ。

 その分岐部の道標には大岩園地まで15分、岩堂峠まで確か2時間と書かれていたように記憶している。(写真データを紛失し、定かではない。)そんなに遠かっただろうか?とこの時は思ったが、道を歩いてみてわかったがこの道は尾根通しではなくて積翠寺と反対側の山の斜面を大きく巻いて岩堂峠までつながっている道だったのだ。2時間はかからなかったが、岩堂峠に到着したのは12時、ここまで自宅から3時間半もかかった。さらに深草観音で小休止し、昼食用の水をここで汲んで要害山に到着したのは午後1時10分だった。12時くらいにはここに到着できるだろうと思っていたのだが、予想よりも長いルートだった。

    要害山山頂。朽ちかけていた山梨百名山の標柱は新しくなっていた。


    古湯坊温泉。展望の良いなかなかのお風呂。日帰り入浴可能。

 要害山山頂で昼食をとり、今度は古湯坊温泉を目指し、14時40分、到着。このまま武田の杜遊歩道を進めば、興因寺山までのルートは明瞭なのだが、ここで目についたのが帯那山と書かれた看板だった。こんなところに帯那山登山道があったとは知らず、この道を登って途中で尾根を左に曲がれば興因寺山に至る尾根に取り付けるのでは・・・と、歩いたことのない道に興味を持ち、そちらに進んでみる。すると・・・ルートは左側に見える一・ニ・三の森とその向うの興因寺山からどんどん離れてゆくではないか。これはやはり進む方向がまずい。そこで見つけたのが左に向う境界見出標のルート。赤い看板とペンキが見えたのでそちらに進んでみると、歩いた痕跡はほとんど無いが確かに細い道がついていた。それを進んでゆくとやがて谷に出くわし・・・そこで道は消失してしまった。さて、どうしようか?本日2度目の遭難時訓練、右手の道無き急斜面を稜線目指して木の根っこにつかまりながら直登して行くと、尾根に取り付いたところで予想通り明瞭な道に出くわした。先ほど脇道に逸れずにそのまま登って来ればこの道に出たはず、これは帯那山への登山道だった。時間は午後3時を回っている。このまま登って興因寺山方面への尾根に取り付けたとしても明るい時間のうちに下山できるかどうかは微妙な時間になってきた。止む無し、本日はここで引き返し、武田の杜遊歩道を素直に歩いて戻ることにした。

    古湯坊の裏側にある帯那山への登山道。こんなところに入口があったとは初めて知った。


    境界見出標の立つ脇道発見。途中まで道はあったが、その先は・・・

 古湯坊を過ぎて武田の杜遊歩道に入ると、ここはマウンテンバイクでも普通に走れそうな出来過ぎた道が続く。20分ほど歩くと淡雪山の分岐に到着。ここを登ってゆけば興因寺山、淡雪山と行けるのだが、時間的に本日はおあずけとなってしまった。その先真直ぐ進んで一の森から白山神社に降りればルートは簡単、明瞭なのだが・・・またしても脇道が目にとまってしまう。淡雪山分岐からわずかに一の森側に進んだところに、左側に下りる脇道があるのだ。もちろん看板など無い。見る限りではきちんとした道だ。どこに出るのだろう?これは行ってみるしかないだろう。進んで行くと、昔の段々畑らしき石垣が積まれた場所に出て、その先は明瞭なルートは無くなっていた。ただ、何となく人が歩いたような形跡は残っていた。適当に下って行くと左右から川の交わる合流部に出て、細い川を渡ってセメントの道に出ると、そこは古湯坊から下りてくる車道の途中だった。もう少し下のほうに出ると思っていたのだが、想定外に古湯坊に近い場所に出た。あとは上積翠寺の街中と田んぼの中の道を、本日歩いた稜線を見上げながらテクテクと自宅に向って歩くだけだ。午後4時半過ぎ、無事自宅に到着した。

    武田の杜遊歩道の淡雪山分岐部。こちらは普通の良い道。しかし・・・この道では面白くない!?


    武田の杜遊歩道から左に行く脇道を下りて行くとやがて道ははっきりしなくなり、川の合流部に出た。道・・・があるようには見えませんね。


    上積翠寺の桜は咲き始めたばかり。後ろに見えるのは本日歩いた要害山。

 地元の山ながら、知らない裏道がたくさんあることを改めて知った。薮歩き、面白し。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする