山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

瑠璃色の地球 ~薄明の青い空~

2010年04月23日 | 番外編
 「山と花と星の奏でる音楽会 2010.SPRING」に向けて

 朝の薄明の時間、水平線が明るみ始め、星が見えるか見えないかくらいの時間、一時だけ空が真っ青に映る時間がある。この青い空が私は大好きだ。松田聖子の「瑠璃色の地球」に合わせて送るこの画像は、朝の一瞬の青い空を集めたものだ。

 「朝日が水平線から 光の矢を放ち
  二人を包んでゆくの 瑠璃色の地球」


    北岳の朝(北岳肩の小屋、平成18年10月)
 初めて登った北岳、そして初めて迎えた標高3,000mでの朝。明け行く真っ青な空に残月がぽつり。しだいにオレンジ色に焼けてゆく空、言葉を失って、朝食の時間さえ忘れてずっと見ていた風景。写真としては未熟なものだが、あの時の感動がこの写真を見ていると甦って来る。私が登山にはまった原点ともいえる1枚である。


    薄明の鳳凰山と富士(アサヨ峰、平成21年11月)
 車の中にカメラを置き忘れて北沢峠行きのバスに乗り込んでしまい、一旦はあきらめたアサヨ峰。しかし、この日は山が呼んていた。臨時の北沢峠から仙流荘行きのバスが出たため、それに乗り込んで午後1時のバスで再び北沢峠に戻ることができたのだ。山頂で一夜を明かした朝、赤く焼けた水平線、瑠璃色の空、そしてそこに鳳凰山と富士山が並んで立っていた。


    月昇る甲府盆地の夜明け(平成21年2月、甘利山)
 ルーリン彗星が接近していた2月に山岳会の中間たちとともに甘利山で星空の観察会を行なった。深夜見えるはずだったルーリン彗星はカメラでは何とか捉えられるものの、肉眼で見るのは難しかった。迎えた朝、青い空に静かに三日月が昇って来た。この画像では見えないが、この日は火星、水星、木星が接近していた日でもあった。


    八ヶ岳の夜明け(平成22年3月、北横岳)
 前日は立っていられないほどの強風が吹き荒れた北八ヶ岳。翌日はその風のおかげでモヤが吹き飛び、澄んだ朝となった。白い樹氷の森の向うに八ヶ岳と南アルプスが聳え立つ。


    五丈岩と甲府盆地の夜景(平成22年3月)
 強風吹き荒れた前日、山頂まで行けるかどうか若干の不安があった。しかし、「山が呼んでいる」そんな気がしてならなかった。前日夕方の山頂は小雪が舞う荒天、しかし、きっと晴れる、そんな気がした。迎えた朝、満天の星空、そして空を流れる天の川。やがて夜明けが近付き、星は消え真っ青な朝の空が広がった。至福の山上で迎えた朝の情景。


    薄明の河口湖と富士山(新道峠、平成21年3月)
 カメラマンの聖地とも言うべき新道峠の朝の風景である。夏場ならば林道を使って15分ほどで到着できるが、林道が閉鎖されている冬季は1時間以上歩かないと到着できない。町明りが明るすぎて残念ながら天の川は映らなかったが、すがすがしい朝の風景が眼前に広がった。

 「ガラスの海の向こうには 広がりゆく銀河
 地球という名の船の 誰もが旅人
  ひとつしかない 私たちの星を守りたい」

 この美しい自然を守り、いつまでも後世に残して行きたい。そして、いつまでもこの瑠璃色の空を眺めていたい、心からそう願う。(後に更新する「瑠璃色の地球 ~山上から地球環境を考える~」でこのことについて述べたいと思います.スライド上映会のメインテーマでもあります.)
コメント (2)
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南房総の山、富山(とみさん)  平成22年4月17日

2010年04月23日 | 番外編
 平成22年4月17日 天候曇り

前日冷たい雨が降り注いだ甲府盆地。朝7時の三つ峠ライブカメラを見るとレンズに氷がついている。しかし、空は曇り空で富士山は見えていなかった。しかし‥‥天候が回復してきた8時過ぎ、再度ライブカメラを携帯で見ると、真っ青な青空そして富士吉田の町をおおう雲海、さらに樹氷の尾根‥‥、おそらく今年最後と思われる樹氷の情景が広がっていた。予想していなかったわけではないのだが、この日は朝9時に仕事の予定があったので行くことができず、悔しい思いをした。
 仕事が10時には片づき、空を見上げると甲府盆地もしだいに青空が広がってきていた。さて、どこに行くか?全くあて無しだ。アストロガイドで今日の月の位置を調べると、夕暮れ後、細い月と金星が西の空に沈んで行く。しかし、北側寄りの位置であるため山梨県内からでは富士山頂に沈む月は撮影できない。ふと思い出したのが山仲間、「のぞむの富士」の望君の記事だ。確か千葉県の伊予ヶ岳とかいう山に行っていたはずだ。あの角度ならばひょっとして‥‥さっそくホームページを開き、場所を確認してプリントし、急いで車に乗り、千葉県南房総市富山(とみやま)に向けて出発。時間はもう11時近い。カーナビを伊予ヶ岳コロッケセンターとかいう場所にセット(伊予ヶ岳の名前ではここしか出てこなかったため)して、中央道、首都高、アクアラインを走って富山に到着した。高速を下りたものの、その先の道がさっぱりわからない。何せカラーのページを白黒でプリントしたものだから、真っ黒で字が全く読めないのだ。しかも縮尺が不明で距離が全くわからない。記事の中に確か中学校が出てきたのでカーナビで探すと、すぐ近くに中学校があったので、そちらに行ってみると、確かに山に行く道のようだが山の名前が伊予ヶ岳とは書いていない。富山、町の名前そのままではないか。とりあえず林道に入って進んで行くと、大きなお寺の門のようなところに出て、その門には「伏姫籠穴」と書かれていた。望君の地図を見るが、現在地は不明。ただ、伊予ヶ岳に行く道ではないのは明らかだ。その先には富山登山口の標識がある。時間は2時40分、まあいっか、この富山という山にとりあえず登ってみよう。帰ってきた家族連れの格好を見ると、普通のズックの靴に普通のカバンをぶら下げている。ということは、おそらくは登山というレベルには無い山ということなのだろう。いつものザックを担ぐと大げさになりそうだったので、足回りだけ登山仕様にして、ザックは職場にいつも持ってゆくリュックサックを背負い、杖は門の横に登山者用に準備されていた竹の杖を借りて歩き始めた。

    伏姫籠穴の門.残念ながらここには立ち寄らず.


    しばらくは林道歩き.左側に生えているツタの巻きついている木は,南房総らしい,琵琶の木.


    林道終点からいよいよ登山道に.良く整備された木道が続く.

 しばらくは舗装された林道を歩くが、15分ほどで突き当たりとなり、木道の整備された登山道に変わった。4~5人下りてくる人たちとすれ違ったが、この人たちは皆登山の格好をしていた。上に行くに従って傾斜はきつくなるが、木道の整備された良い道が続く。25分ほどで山頂直下の分岐点に到着、ここには立派な東屋とトイレが設置されていた。桜の花はもうそろそろ終焉を迎えようとしていた。そこから5分ほどで富山山頂に到着、時間は3時半。1時間とかからずに山頂に到着してしまった。なにせ標高350mほどしかないのにその中腹から登るのだから、地元の要害山に登るよりも標高差が無いということになる。東京湾が見えるこの景色は良いのだが、やはり登山という話になると物足りなさを感じてしまう。

    山頂下の水場.この日は雨の後で水は少し濁っていた.


    富山山頂.広い山頂で,展望台がついている.


    展望台から望む東京湾.天気が良ければ富士山が見えるはず.


    向こうは隣の南峰.電波塔が立つ.

 山頂の裏側を見ると、何やら山頂が岩場になった尖った山が見える。おそらくはあれが本来目指していた伊予ヶ岳だろう。ここで望君の地図を見直し、ようやく周辺一帯の状況が把握できた。天気が良ければ山頂の展望台から富士山や南アルプスが見えるらしいのだが、残念ながら雲に隠れて富士山は見えなかった。この様子では夜まで待っても無理だろう。30分ほど山頂で休憩して下山した。下山途中に広がる房総の森、山梨県の森とは全く違う情景だ。ツタの絡まる亜熱帯広葉樹林帯、薄暗いこの林、子供の頃にこういう林の中で蝶を追いかけ、カブトムシやクワガタを捕まえ、また、禁止されていたとりもちを仕掛けてメジロやウグイスなどを捕まえた記憶が蘇る。なんともなつかしい臭いのすることだろうか。

    山頂の三角点から裏側を見ると,尖った岩の山が見えた.あれが伊予ヶ岳.


    南房総の森.山梨県の山とは趣が全く違う.


    ツタの絡まる木,亜熱帯の森.子供の頃に過ごした房総の森,なつかしい臭いがする.

 ここは内房なので、我が故郷勝浦、また、高校のある鴨川は半島を横切って外房になる。折角来たので、ちょっと足を延ばして鴨川まで行ってみた。そして母校の校庭をちょっとだけ覗き見てきたが、校舎は新しくなっていたものの、建物の配置は昔と全く変わっていなかった。校門のすぐ向こうにある小さな池に、昔金魚がいて、石を投げ入れていじめたような記憶が‥‥なつかしい。さらにもう一ヶ所、今後のための秘密の場所を視察し、再び房総半島を横切り、館山道からアクアライン、首都高、中央道と乗り継いで甲府に戻った。夜9時半、何事も無かったかのように自宅に到着した。
コメント (4)
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