山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

東北被災地巡礼Ⅲ② 平成24年3月30日-4月1日

2012年04月10日 | 番外編
 平成24年3月31日

 仙台空港、名取市閖上を視察後、高速を使わずに海沿いの道を北上して塩釜、松島を経て石巻に入る。石巻市立病院に行くはずだったが、道を誤って石巻湾に架かる大橋を渡って対岸に行ってしまった。そこには、先日テレビで見たばかりの大きな缶詰めタンクが道の中央分離帯に横たわっていた。



    道路の中央分離帯に横たわっている缶詰めのタンク。撤去か、大津波の記憶を風化させないために保存か、議論されていることがテレビで取り上げられていた。

 大橋を戻らずに川の脇ある住宅街を通って上流の橋を渡ることにしたが、その途中で見る住宅街の景色は悲惨だった。壊れてもう使い物になりそうもない家がたくさん、その向こうはがれき置き場になっていて、山のように積まれたがれき、さらに水はけが悪く、潮の腐った悪臭が漂っていた。1年以上経ってもまだこういうところがたくさんあるのだろう。


    今にも倒れそうな家。その向こうはがれき置き場。


    水(潮)のたまった空き地と壊れた家々


    こちらの水たまりは相当酷い悪臭が漂っていた。


    石巻市立病院。相変わらず周辺は水に浸かっている。


    潮の満ち干で水位が変わるようだ。前回は道も水に浸かっていた。


    石巻市立病院玄関。以前は近くまで行けたが、現在は1階部分にベニヤ板が張られ、立ち入り禁止になっている。


    火災にあった学校周辺はだいぶきれいに片付けられたが、建物はまだそのまま。

 再び海沿いの道を北上して女川に向かう。女川は海が急峻に深くなっており、高い津波に襲われ、かつ強烈な引き波に引かれて甚大な被害を受けた場所だ。牡鹿半島を短絡すると早く到着できるのだが、半島の様子を見てみたかったので大回りして女川に向かった。牡鹿半島の道路は高い位置に通っており、見下ろす海際の集落はほぼ壊滅しているように見えた。1時間ほど牡鹿半島を走り、女川に到着したころ、雨足が強くなってきた。


    一見何事も無かったかのように静かな女川の海。海鳥が泳ぐ。


    漁船が停泊し、漁業が再開されているようだが、港の岸壁は壊れてヒビだらけ。


    まだ壊れた車やがれきが散乱しているところがある。 


    港沿いの壊れた建物は現在撤去作業がすすめられている。


    津波で倒れてしまった鉄筋の建物。3棟が倒れて横たわっている。
    

    この建物を保存するか、撤去するか、現在議論されているらしい。

 港の道路脇に「おかせい」という魚屋さん、兼食堂があった。夕食にはまだ早かったが、コンビニのパンやおにぎりばかりだったのでちょっと立ち寄ってみることにした。地元でとれたドンコや黒鯛、毛ガニなどが並んでおり、漁業は再開されていると言っていた。にぎりを注文したが、どれもおいしい魚ばかりで、しかも格安だった。食事を終えたころにお店のおばさんに津波の話を聞くと、やはり相当大変だったようだ。家も店もすべて津波で流されてしまった、しかし、請求書だけは来た。それどころではないと思ったがなんとか支払った。雇っている男性は息子さんとおばあさんが流されてまだ見つかっていない、女川町内だけでまだ320人が行方不明だ。あの倒れているビルを見ると思い出してしまうから早く撤去してほしい。高台に家を移す計画があるが、整地して家が建つまでまだ2~3年はかかる、仮設住宅の生活は厳しい・・・などなど、淡々と話す姿を見て、思わず涙がこぼれてしまった。信玄餅をおみやげにあげた代わりに、毛ガニをごちそうになってしまい、また来ることを約束した。

 もう時間は5時を過ぎてしまい、南三陸町志津川はあきらめて仙台のホテルに戻ることにした。帰りは海沿いではなく、高速道路に沿った国道を走ったが、途中で気が変わり東松島町の仙石線を見て行くことにした。もう日が暮れて暗くなってしまっていたが、5月に視察した野蒜駅周辺は片付いてはいるものの、鉄道の復旧はほぼ困難であろうと感じた。この地区は津波後の復旧活動が大幅に遅れ、孤立していた地域だと聞いている。残った家の電気がちらほらと点いており、修理して住んでいる人もいるようだ。


    仙石線野蒜(のびる)駅。横倒しになっていた電車は撤去されているが、まだ倒れた電柱などが散乱している。


    昨年5月に見たこのあたりの景色はまさに惨劇だった。粉々になった家とがれき、倒れた電車、壊れた線路。死者も多数いたのだろう、花束が手向けられていたのが印象的だった。

 (4月1日に続く)
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東北被災地巡礼Ⅲ① 平成24年3月30日-4月1日

2012年04月10日 | 番外編
 昨年の5月、8月に次いで3度目の被災地視察となる。野次馬のようで申し訳無いという気持ちもあるのだが、現地の状況はやはり実際に行って見てみないとわからないと思う。
 3月30日の午後から出発して宿泊地の仙台に夜9時到着した。宿泊したホテルはスマイルホテル仙台というところで、行ってびっくり、繁華街の国分町ど真ん中だった。ここに2泊して明日は石巻から可能ならば志津川まで、明後日は南下して相馬を見て帰る予定だ。ホテルの近くにあった牛たん屋で食事をしたが、適当に入った店は有名な店だったようで、芸能人のサイン色紙がたくさん飾られていた。味噌焼き牛たんと牛たんのさしみは特においしかった。

 3月30日
 
 朝8時にホテルで朝食をとり、9時ごろから出発、まず仙台空港に向かう。ここは昨年8月に訪れた際にもうだいぶ片付いて整地されていた。

 〈仙台空港周辺〉

    海沿いの住居跡地や松林はすっかりきれいに撤去され、堤防の修復工事が行われていた。


    建物は一部が残されているだけできれいに撤去され、整地も済んでいる。右に見えるのが仙台空港。




    閖上地区に向かう途中の道路脇に打ち上げられている漁船。この場所は昨年5月にも訪れている。その時は壊れた家やがれき、車、船などが散乱し、塩水の腐った臭いがただよっていたが、すっかりきれいになっている。

 次に名取市閖上地区に向かう。震災前は住宅街だったこの地区は津波により壊滅的な打撃を受け、住居はほとんど何も残らず、多くの犠牲者が出た地区だ。確かに平らな場所で、逃げる高台は無く、遥か数キロメートル西の仙台東部道路くらいしか無い。

 〈閖上地区〉


    日和山神社は多くの人が訪れるので、横を整地して駐車場が設けられていた。


    献花台の花が尽きることは無い。5月に来た時は一帯にがれきが散乱し、戦争の後のようだった住居地も、すっかり片付いている。


    閖上小・中学校で植えた閖上桜。昨年は緑色の葉がついていたが、枯れてしまっているようだ。


    近くにある閖上中学校を訪れる。中は見学できるようになっていた。


    時計の針は2時46分で止まったままだ。


    壊れた1階の教室。校庭にはまだ船が3隻打ち上げられたままになっている。


    校舎前の献花台。





    献花台の机に書かれたメッセージ。中学生の素直な気持ちが伝わってきて、胸を打たれる。

(続く)
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