後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

まだ現役大型帆船日本丸(7)英国製なので訓練も英国式にする

2008年05月01日 | うんちく・小ネタ

Dscn3354 Dscn3369 Dscn3367 Dscn3350 帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注された。

ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の切り出しと部品の調達を行い、全て日本へ輸送し、組み立ては 神戸川崎造船所で行った。昭和5年3月31日に竣工・引渡しが完了した。

すべての部品は鋼材に至るまで英国製であり、初めの帆走・操舵技術は英国人教官の直接指導によったと思われる。上の左端の写真に示したように鋼材の切削・加工を行ったスキニンググローブ社(England)の名前が今でも明記してある。

上の2番目の写真はラメージ&ファーガソン社設計製作の人力で舵を動かす大型歯車セットであり、現在も人力だけで舵をとる。3枚目と4枚目の写真は全てラメージ&ファーガソン社の設計図通うりくみ上げた結果である。

従って、余談ながらこの帆船は英国文化の文化遺産的な性質が濃厚である。

太平洋往復航海中は、完全に英国式訓練であり、まず英語で部品名や帆やヤードの名前を覚えることが徹底された。

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上の写真の1枚目と2枚目は横桁であるヤードの専門用語とセイルを操るロープ類の専門用語である。すべて英語であり、現在も忠実に英語で呼ばれている。3枚目は帆を操るロープ類が絡まらないように揃えてある様子で、これも英国式整理方法である。

太平洋上での訓練生は全ての部品・ロープ類は英語の専門用語で覚え、号令もこの専門用語で発せられた。その訓練は真夜中の総員お起し、ロープの専門用語を呼称し、暗夜の中でも正確に走りそのロープを掴む訓練を繰り返したそうである。当直は人間の集中力が続く4時間交代で行われた。

起床は6時30分。まず椰子の実を輪切りにしたもので全員甲板磨きをする。

上の右2枚の写真は船倉にしまってある椰子の実と、それを輪切りにした断面を示す。

この椰子の実による甲板磨きだけが日本人の発明だそうだ。チーク材の甲板と椰子の油の相性がよく甲板が綺麗に保持できる。英国では椰子の実の代わりに脂付きのモッブを用いる。現在の日本丸の大西船長によると訓練で一番重要なのは甲板磨きであり、それが終わってから歯磨き・洗顔、朝食と日常の日課へと続くそうである。

甲板磨きで、船を愛する精神が湧き、操船が慎重になり、結果として危険防止、無事故へ続くそうだ。従って、日本丸は昭和5年の進水以来、昭和59年の半引退まで無事故であった。

(終わり)


まだ現役大型帆船日本丸(6)一緒に太平洋を横断しましょう!

2008年05月01日 | うんちく・小ネタ

Dscn3353 Dscn3358 最初の写真は現在の日本丸の船長の大西典一船長で2番目の写真はこのような帆船で訓練を受け、日本郵船KKの大型船の船長や水先案内人をされた大河原明徳船長です。小生へ詳しくご説明下さった両船長へ深甚の感謝の意を表します。

さて、これから皆様は大西船長になったおつもりで日本丸で太平洋を横断する訓練航海の指揮をとって頂きたいと思います。紙上のバーチャル航海ですから危険はありません。

横浜港を5月1日に出港します。東京湾を池貝鉄工所製、600馬力2基4サイクルジーゼルエンジンで機走する。三浦半島を右手に見て、東京湾を出る。先には帆走準備に邪魔な伊豆諸島がある。これをかわして、広い外洋に出る。そこで帆走の準備をする。

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上の写真の左端のように、船長の皆さんは船尾の舵輪の脇に立つ。

4本のマストにはそれぞれ航海士を1人ずつ配置し、訓練生を20人ずつ配置する。

つぎに2枚目の写真で示すように、ジガーマスト天辺の風向・風速計を見上げ風向きと風速を確かめる。

外洋なので大波がうねっているが、風はしっかりと安定した西南の風である。

「全員、マストへ登り、セイルを解け!」、号令が士官から士官、そして訓練生へと伝達される。訓練生が揺れる帆柱へましらのようにのぼりヤードに縛り付けてあった全ての帆を解く。

「全員、マストから降りろ!」、船長の号令で全員甲板へ戻る。(船長の気持ちーヤレヤレ一番危険な仕事が無事終わった!)

「アウター・ジブとスパンカーを上げろ!」、号令が気持ち良く訓練生へ届き、日ごろの訓練通り帆が上がる。あとは船の姿勢を調整しながら順序良くセイルを上げるだけ。上の写真の3、4、枚目の写真がその途中の写真で、5枚目がいよいよ帆走を始めたときの様子。

でもこれはウソ。航路の北太平洋は荒天が続くので、3本のマストの先端のセールである、

ロイヤル・セールは上げないでシェアトルまで帆走するのが普通である。

ヤードの向きを調整し、追い風一杯で、快調に帆走を始める。もう、銚子沖東100km。

うるさいジーゼルエンジンを止め、帆走に入る。大波で船が心地よく上下する。

東北へのぼり、荒天域に入る。これでシェアトルまで40日間の帆走が始まる。

何日かすると訓練生が、「船長殿、質問があります。何故、こう毎日雨なのですか? 晴天域は走らないのですか?」と不満そうに聞く。船長が答える、「低気圧のそばへ船をもって行って、何時も強い追い風を捉えて走るのが大型帆船の正しい走り方なのだ。帰りは南太平洋を渡りハワイへ寄るからそれまで辛抱する。よいか?」「なるほど。分かりました!船長殿」 (続く)


まだ雪の下に眠る黒姫山

2008年05月01日 | 旅行記

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Dscn3485_2 Dscn3490 長野から 野尻湖、妙高高原のそばを駆け抜けて日本海へ出ました。途中、黒姫山がまだ雪に覆われていました。里では櫻が過ぎ、すっかり新緑の季節になったのに。北信の戸隠の山々も雪の中です。

北陸高速道路の米山サービスエーリアで昼食。「地魚定食」は、本当に近場でとれた活きの良い赤魚の煮付けと、天然小鯛の刺身です。赤魚は底魚らしくて少し泥臭い。少しの泥臭さと新鮮さが地魚の魅力です。小鯛は脂ののった刺し身が多数。天然の鯛は小さくても養殖ものとは別種の魚という感じがします。他に山菜の煮物、漬物、ご飯、味噌汁がついて1150円。なんと誠実な仕事ぶりでしょう! 写真でみるとごく当たり前の煮魚、刺身定食にしか見えないので、敢えて写真は出しません。文章からご想像下さい(終わり)

撮影日時:4月30日午前11時頃。