後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水交会とフカヒレスープ

2008年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、東郷神社の境内にある水交会で同窓会の相談があった。海軍と海上自衛隊関係者の親睦団体のクラブであるが、一般人も利用出来る。

水交会の連想で、遠い昔、海軍の経理学校で教えていた家人の父のことをいろいろ思い出した。軍人精神などとは無縁の栄養学者であった。白の軍服を着せられ、重い軍刀を無理に持たされて南洋の糧秣状況の視察へ送り出された。帝国海軍が勝っていた時期に。

海軍機であちこちの島々を視察をして回る。行く先々で、重い軍刀を忘れて来る。次の飛行便で軍刀が追いかけて来た。バリ島の女性のダンスが印象深かったという。その話だけで、勇ましい帝国海軍のことについては語ってない。

昭和20年に、都内の水交会(当時は水交社と言った)で中華料理のディナーに出た。コースに鱶鰭スープがある。期待していたところ、出てきたスープには鱶鰭(フカヒレ)の代わりに牛蒡(ゴボー)の細切れが浮かんでいた。「ああ、水交社で鱶鰭の代わりに牛蒡の千切りが出るようじゃ、日本は負ける!」

愕然と悟った後、鎌倉に住んでいた女ばかり4人の家族を群馬県の山奥の下仁田へ疎開させる。鎌倉の由比ガ浜や七里ガ浜はアメリカ上陸用舟艇が、ならず者の海兵隊を満載して上陸してくるには格好な砂浜である。

敗戦後、マッカーサーはいきなり厚木飛行場に降り立ち、全国を占領してしまった。鎌倉の海岸へ、海兵隊満載の上陸用舟艇は来なかった。

下仁田へ疎開した家族はなかなか東京へ戻れなかったという。下仁田は土地の水捌けが良すぎて米が作れない。コンニャクと下仁田ネギしか取れない山村である。しかし、家内はの桑畑や川で遊び回り元気に育った。今でも少々元気すぎるが。

こんなことを、とりとめも無く思い出しながら東郷神社へお参りする。

境内は静かで人が居ない。暗い曇り日で、一陣の冷たい風が吹く。神秘的な雰囲気が漂う。

太平洋戦争の間、軍艦や潜水艦と運命を共にした人々のために、そして海軍特攻機で散華した人々のために冥福を祈る。

敗戦から、もう63年もたつが 戦争のことは忘れられない。(終わり)