後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本丸は何故横に倒れないか?

2008年05月15日 | うんちく・小ネタ

電柱のように太いマストが4本。それに取り付けてある横桁、ヤードが18本。そんなに重いものが甲板の上にあってよく横倒しにならないものだ。そう御考えになりませんか?

日本丸には前回記事のクルーザーのようなキールが船底からぶら下っていない。その代わり姿勢を安全に保持させるための重し、「バラスト」が船底に入れてある。バラストは石、コンクリート、鉄屑、など、比重の大きいもの。それがビッシリと船底に敷き詰めてある。船の全重量が2279トンなのでバラスとの重量はその三分の一以上必要。コンクリートや鉄屑の総重量が600トンとそれにバラストとの役目も兼ねた清水タンクの水が463トン。合計1063トンのバラストが船底に固定してある。さらに重量の大きなジーゼルエンジンが船底部に固定してある。

これでは船が横倒しになる筈がない。15世紀、16世紀の大型帆船も全重量の三分の一以上の丸石を船底に積んでいたという。(宮城県にあるサンファン号の建造中にバラストの鉄球を船底へ積んでいる場面が見られる)

日本丸は定員196人で毎日3度の食事に合計3トンの清水を使う。その他の生活用水に毎日2トン必要である。従って毎日合計5トンの水を清水タンクから消費する。しかし水タンクは船のバラストの役目もしているので、使える限界は200トン。残りの263トンはバラストとして残さなければならない。

200トンを5トンで割れば40日になり、日本丸の寄港なしの航海は40日が限度である。

横浜を出港し、訓練航海で太平洋を渡るとき、シアトルやロサンジェレスへ40日以内に到着しないと大変なことになる。従って悪天候でも低気圧の側について行って、追い風走法を続行しなければならない。(これが氷川丸のようなエンジンのみで走る船なら、清水タンク内の463トン全てを使っても安全に航行出来る。)

江戸時代の末期にアメリカからペリー提督が来て日本の港を開港し、帆走商船や帆走捕鯨船の水の補給を迫った。その理由が小生は始めて理解出来ました。皆様は、そんなことは既にご承知とは存知ますが。

日本丸の甲板の上で大西船長が深刻な表情で清水の重要性を説明してくれたお陰と感謝しています。

尚、下記のURLにはサンファン号の建造中の記録が動画で紹介してあります。ご覧になると昔のガレオン型帆船の構造がよく分かります。

http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=181

(終わり)


帆船の秘密兵器は?

2008年05月15日 | うんちく・小ネタ

Dscn0233 クルーザーヨットの横から見たこの写真をご覧下さい。船底から白い板がぶら下っています。この板は分厚い鋼鉄製で、ヨット全重量の三分の一以上あります。この板のことをキールと呼びます。

例えば全重量が1500kgの船なら500kgがキールでマストや全ての金具類、そして船体そのものの合計重量が1000kgくらいに配分されています。

これがクルーザーヨットの秘密兵器のようなものです。高いマストに横風が当たっても船が転覆しないように「重し」の役目をします。釣りの時に使う、「浮き」のように、ヨットの姿勢をいつも立てようとします。このキールのお陰でヨットは絶対に横倒しや転覆しない設計になっています。

そればかりでは有りません。進行方向へ板状のキールが固定してあるので、船がクローズホルドで、風へ向かって45度で登っているとき、船体の横流れを防いでいます。このキールのお陰で45度ギリギリに登れるのです。ヨットを走らせて楽しんでいる時、よくこのキールへ感謝しながら帆走します。そしてこんな形の鋼鉄製キールを作ったヨーロッパ人を尊敬してしまいます。ヨットを陸揚げしない限り見えないのでキールの重要性を忘れがちです。でもヨットの安全性と風上へ登る性能を保証する重要な部分です。ご興味を持って頂ければ嬉しいです。(終わり)


自適の境地へ達するには、

2008年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Cafeterrace

出典:http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/CafeTerrace.html

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ゆっくりと、心静かに自分の心のままに楽しむこと、これが「悠々自適」の意味。

70歳になって全ての仕事をやめた。悠々自適の境地ですね、と人は言ってくれる。しかし始めの一年は遊びが面白くない。平日遊びに出ると長年の習慣で罪悪感に捉われる。通勤者へ悪いような気分になる。週末しか遊びに出られない。平日は家で読書ばかり。庭の草取りは拷問のよう。仕事の出来ない自分が惨めだ。

ところが2年目に急展開する。平日の遊び歩きが楽しくなる。通勤時間に電車に乗るときは働いている人々へ「ご苦労様です!」という目で周りを見る。

すると若い女や中年の男性が席を譲ってくれる。遠慮しないで「ありがとう!」と座る。どういう訳か中年の働き盛りの男性が席を譲ってくれる。平日にヨットや山小屋へ行くのが俄然楽しくなる。すると庭の草取りや花々の手入れが楽しくなる。仕事のことも遠い昔のことですっかり忘れる。

すると心静かに自分の心のままに楽しむ毎日が続く。気分が向けばブログの取材の為に車を走らせる。訪問先では、だれかれ差別なく話しかけて色々教えて貰う。

自分でもこれが「悠々自適」の境地と悟る。自分の人生で一番楽しい期間である。なんの恐れも不安も無い。

さて、上に示したゴッホの「夜のカフェ・テラス」を見ると魂が揺さぶられる。絵には批評も説明も要らない。それにしても、ゴッホは悠々自適の境地を知っていただろうか?死ぬまで命を賭けて絵を描いた。天才には自適の境地は無縁のものと断定したくなる。しかし、絵を描いているときが彼にとっては至福の時間。37歳の短命でも案外、自適の境地を生きたのかもしれない。余人にはうかがい知れない。

他人の魂を揺さぶるような作品を創造するには平凡な人生は望めない。

一方、下の絵はセザンヌの風景画である。小生の現在の気持ちのように静かな時がゆっくり流れて行く。セザンヌも天才だがゴッホとは生き方が違うのだろう。

出典:シカゴ美術館案内タカログより、

Cezane