後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ホテル物語(1)河口湖富士ビューホテル

2008年05月18日 | うんちく・小ネタ

Dscn3887

Dscn3909 Dscn3893 Dscn3889 Dscn3894 Dscn3891 Dscn3895 高級旅館、高級ホテルとは宿泊料金の高さで判断する人々が居る。が、それは大きな間違いである。良質な日本文化が詰まっている旅館を高級旅館という。同じようにヨーロッパ文化の良いところだけが濃縮されているのが高級なホテルという。すくなくとも小生はその様に判断している。

そんな基準で河口湖近辺で良いホテルといえば、かつての富士ビューホテルを上げたい。昭和11年に山口正造が作ったホテルである。戦前は外人の客が絶えなかった。戦争末期にはドイツ大使館が疎開して来た。戦後は占領軍に接収されアメリカの高級軍人専門のホテルとして使用された。接収解除後は昭和11年創業当時の西洋風木造建築のまま営業を再開した。

山口正造の写真の左に営業再会当時の玄関側と庭側の写真がある。小生が家族とともに始めて泊まったのは1975年頃。古い木造西洋館であった。ロビー天井には太い梁が渡っていて格天井である。梁の上に飾ってある動物や猛禽の剥製に子供が怯える。

部屋のドアのノブは外人仕様で高いところについている。ベットもバスタブも長く大きい。椅子もテーブルもヨーロッパ在住の間に泊まった各地のホテルと実に似て重厚である。

何故か旧懐の情が沸き上り、胸が締め付けられるような気分になる。

ホテルの良さとはサービスの質の高さであろう。受付をするホテルマンは見かけは日本人だが何かヨーロッパ人のような対応をする。ダイニングでの夕食の料理の運び方、テーブルでのさし出し方が洗練されていて動きを見ているだけで懐かしい。

最近の所謂高級レストランのウェイターのように、運んだ料理の解説など余計なことは一切しない。マスターは客全員に目を配りそれぞれの客が何かして貰いたいか、即座に判断しボーイへ指示を出す。ボーイが飛んできて客の要求を聞いてサービスをする。全てが静かにすすむ。客同士がかわす静かな話し声だけが楽しげに聞こえている。

富士ビューホテルはそんなホテルだった。河口湖近辺で旅館にも泊まったし、その他のホテルにも泊まったが、改築前の富士ビューホテル以上のサービスを体験したことが無い。

しかし経営者が変わり、鉄筋コンクリート製に改築されてからはサービスの質が変わった。

決して悪くはないがどこか以前のようなサービスではない。

似たようなホテルとして山中湖に横浜グランドホテルが夏場だけ営業していた木造洋館のホテルがあった。これも閉鎖されて久しい。

写真説明:大きな写真はホテル側から河口湖の対岸の外輪山を写す。下列左端から、ホテルの正門、次は昭和11年当時の木造洋館のホテルの表側と庭側と創立者、山口正造の写真、左から3枚目は現在の玄関、4枚目は玄関入り口から外を見た写真。5枚目はロビー外のテラスの様子、最後の1枚は庭の樹木の様子。撮影日時:5月16日午前11時頃

ホテルのURLは、http://www.fujiyahotel.co.jp です。(終わり)


レベルの高い創作版画展のご案内

2008年05月18日 | 写真

Dscn4065 Dscn4049 Dscn4054 Dscn4058

Dscn4060  Dscn4062 Dscn4067 府中市立美術館で5月17日から6月29日まで、竹久夢二、万鉄五郎、恩地孝四郎、武井武雄、川上澄生、鈴木信太郎、初山滋、棟方志功など数十人の創作版画展が開催されている。見に行ったらほのぼの楽しい気分になりましたので、ご案内します。

尚、府中市美術館の常設展示もなかなか充実しています。それに牛島憲之のアトリエ(上の写真)や絵画20点以上展示している特別室も穏やかな雰囲気で良いです。

周りの公園や池、そして付属レストランも静かで心休まるので、それらの写真を示します。

無料駐車場は美術館の東方向約100mくらいのところにあります。美術館の入場料は300円。アクセスなど詳細は、http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/ をご覧下さい。(終わり)


思い出、そして小さな旅

2008年05月18日 | 旅行記

Dscn4044

大学時代のクラス会があった。卒業後50周年の会。隣に座ったG君に近況報告の順番が来た。立ち上がった彼が言う、「この会に出るのも今回限りとなります」と。そして持病の進行を淡々と話す。

次の朝、洒落たハンチング帽を被り、明るいグレイのジャケットを粋に着こなしたG君と、ちょっとした旅へ出る。遠方から来たM君を小田原駅へ送るのも兼ねて、小生の車で箱根、奥湯本の宿を出る。

G君の思い出の場所を巡る小旅行。G君は高校卒業以来、小田原には住んだことが無い。

始めに湯本の早雲寺の裏へ行く。大学受験の勉強をした本堂の庫裏の間。後北条氏五代の墓所から見下ろすと、よく手入れされた小堀遠州ふうの裏庭がある。それへ面した庫裏の白い壁が見える。55年前の寒い冬2ケ月籠もったという。すぐ合格して北国の仙台の大学へ行った。母親が先代の住職の大黒さんと女学校の同級生だったので早雲寺へ来ただけです。と言う。

次に行ったのは小田原の三の丸小学校と二宮尊徳神社。車で30分程の所。

戦争中、小田原に住んでいたある宮様の子供が彼の小学校へ入学することになった。建物を新たに立て直す。校長以下教師全員を東京高等師範学校の卒業生と入れ替えた。だから現在も三の丸小学校は全国有数の立派な校舎を持つと言う。なるほど、着いてみると、和風の雰囲気のある鉄筋コンクリートの大きな校舎群が見える。高度成長のころ市役所が建てた校舎である。以前の木造、和風の校舎の趣を残している。目の前には小田原城の箱根口があり、豊かなハスの葉が堀を埋め尽くす。かつて城跡で遊んだG君は小学校や城の話を楽しそうにする。昔は小学校から海が見え、砂浜でよく遊んだという。

二の丸跡に、二宮尊徳神社がある。一般に知られていない尊徳さんの農村活性化の逸話を聞く。G君は尊徳さんを心底尊敬している。多くの年老いた日本人は尊徳像から戦争中の軍事教育を連想して心穏やかではないが。

G君にとって、尊徳さんと第二次大戦とは関係ないようだ。

昼食には間があったので真鶴半島の突端の常緑樹の大木の林へ行く。車で行けば30分の近さ。G君が育った地はなんと自然が豊かな土地なのだろう。

昼食は小田原の青物町にあるウナギ屋の蒲焼。ウナギは色々食したが青物町のウナギは身が厚く、ふっくらと煮含めたように焼き上げてある。味は甘みを控えた昔風のサッパリ味。しかしウナギの脂がのっていて味に奥行きが出ている。

こんなすばらしい「うな重」が非常に低価格である。

小田原高校を卒業するまで此処に住んでいたG君が、クラス会の折々に小田原の自慢をさりげなく話していた。蒲焼を食しながら、その事を思い出し、成る程と納得する。

小田原城の堀を埋め尽くすハスは夏になると一面の白い花を咲かすと言う。

駐車場の案内人は制帽の下に見事な白髪を覗かせている。聞かなくともハスの花の説明してくれる。「是非、夏にまた来てください」と。

堀の周りは城跡の豊かな樹木が緑の炎を上げているよう。風に揺れている。

この駐車場の老案内人も、G君もM君も、そして小生もそのうちこの世を去る。

でも、この堀のハスの白い花々と、取り囲む緑の樹木は十年一日のように訪れる人を憩わせるだろう。上に掲げた写真のように。(終わり)