後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

昭和の終焉ー美空ひばりと石川島播磨重工と、

2008年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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平成元年(昭和64年)6月24日、天才、美空ひばりが死んだ。

その頃、オハイオ州で、日本人の男性とゴルフをした。18ホールを回りながら、彼が言う、「美空ひばり の死で、目の前が真っ暗です。迷っていましたが、仕事からも引退する決心がつきました」「何故そんなに落胆されすのですか?」「私は仕事が上手くいっても、失敗しても毎晩のように、ひばりさんのレコードを聴いていました。明日への元気がでました」、そして続ける、「私の昭和はこれで本当に終わりました」。 聞くと彼は55歳だった。

1年後彼に連絡してみる。本当に仕事を止めて趣味の生活をしている。そして言う、「昭和は美空ひばり と一緒に去っていきました」と、ーーひとつの時代の終焉である。

一方、筆者はまだフルに働き続けていた。時代が変わった実感がせず、何時も昭和70年、75年、83年(今年)と昭和の年号をそのまま使っていた。

ところが最近、石川島播磨重工業の田無工場のあった所を通りかかった。あんなに広大な工場群が魔法にかかったように影も形も無くなっている。上の3枚の写真のように暗い曇天の下でなにも無い土地がえんえんと広がっている。事業内容を書いた看板によると宅地にするという。

この田無工場では、敗戦直前に日本で最初のジェット戦闘機、桜花のエンジンを作り、その実物が飾ってあった。

戦後はアメリカのジェット戦闘機のエンジンを組み立てていた。輝かしい技術力を誇っていた。工学部の学生を連れて何度も工場見学へ行った工場である。

昔の同級生もジェットエンジン材料の専門技術者としてその業界で有名であった。そんな立派な工場が撤去され宅地になるという。ああ、昭和の終焉だ。私にとっての昭和の終焉だ。

最近は悠々自適の境地にも達することが出来たので昭和の年号を使うのは止めよう。私にとって昭和は83年で終焉した。そんな話を石川播磨重工で働いていた昔の同級生へ言う。「ご心配なく。桜花のジェットエンジンは福島の相馬工場で展示していますよ」、と教えてくれた。

皆様にとって昭和の終焉は何時でしょうか? (終わり)


まったくどうでも良いことですが、

2008年05月14日 | うんちく・小ネタ

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全ての帆船を帆の組み合わせ方のみで分類してみようとしても、精密な分類は困難である。特に大型帆船の帆の上げ方は複雑でとても簡単には分類できない。しかし帆の上げ方によって2種類に大分することは出来る。

(1)マストと平行に縦型の帆を何枚も上げる形式。(縦帆タイプ)

(2)マストに直交する帆桁(ヤード)をとりつけ、横型の帆を何枚も上げる形式。(横帆タイプ)

勿論(1)と(2)のどちらかを重視して折衷したものが実用の大型帆船であるが、分類を簡単化するために縦帆タイプと横帆タイプの2種類に大別してみよう。

すると上の3枚の写真の左2枚は縦帆タイプで右端の日本丸は横帆タイプである。

名前で呼べば順にスループ型、スクーナー型、バーク型という。

縦帆は風上へ(45度まで)登れるが、横帆は登れない(風と直角方向へ走るのがやっとだ)。従って横帆の総面積が縦帆のそれより非常に少ない日本丸は貿易風を追い風にして太平洋を渡るための設計になっている。縦帆は船首の3枚のジブセールと最後のマストのトップスルとスパンカーが主なもの。

一方AKOGARE号の方は縦帆が主で、写真には写っていないが3枚の横帆が上げられる。

縦帆の総面積は圧倒的に横帆の面積より大きい。大阪港を母港として風向きの一定しない、狭い紀伊海峡や瀬戸内海を通行出来るような設計になっている。

左端の遊び用のクルーザーヨットの醍醐味は風上に上るクロ-ズホールド走法が第一である。それに横帆は上げ下ろしに人手が要る。遊びに徹するなら縦帆にかぎる。小回りも効く。(人手が余っているときは船首から追い風用の巨大な横帆のスピネーカー帆を上げることが出来る)

以上のように西洋で発達した大型帆船は航海する海域と風の状態によって、縦帆重視か横帆重視かの設計に分かれる。多数の縦、横の帆の複雑な組み合わせも出来る。さらに帆走中に縦帆と横帆を取り替えることも出来る。

一方、日本の北前船はこれが出来なかった。明治になって北前船の船首にジブセールと船尾にスパンカーを取り付けた和洋折衷の船も出来たが、洋風帆船の優秀性には勝てなかった。

なお補助機関の出力も重要な要素なので記す。日本丸は2278トンの排水量で600馬力2基、合計1200馬力のジーゼル機関、AKOGARE号は浦賀の住重製であるが、排水量362トンで320馬力1基である。排水量とエンジン出力の比ではAKOGARE号の方が良い。

エンジン出力が大きければ逆風のときのエンジンによる機走能力が高く、操船がし易くなる。

蛇足ながらサンファン号は船尾楼が高く上がっているのでガレオン船というそうだが、帆の様子を見ると横帆を重視し、追い風で大洋横断用に向いている。支倉常長がこれで太平洋を往復したことが納得できる。

尚、西洋大型帆船の優れている設備に深いキールと船底の重し、バラストがあるがいずれ続編で記す(続く)


外国体験のいろいろ(43)転職の自由といささかの心配

2008年05月14日 | 旅行記

1990年までの日本では終生同じ会社へ忠誠をつくし、停年まで働き通すことが美徳とされて来た。ところがバブル経済の崩壊の後はその美徳へ疑問を持つ人々が多くなって来た。特に最近は就職した新卒者の3分の一が5年以内に転職するという。

一生の間、2、3回転職するのが普通ともいう。ところが、アメリカでは昔から転職は当たり前であった。アメリカの転職はプロとしての手腕をドンドン身につけて、階段を登って行く趣がある。しかし、日本の若者の一部には根気が無くて仕事場を変えて行くようにみえる。いささか寒心に耐えないが、まずアメリカの様子を見てみよう。

○アメリカでは幹部社員を広告で集める

オハイオ・ホンダ工場の周りには日本の部品納入企業が多い。1990年のころ、よく遊びに行った会社は社長だけが単身赴任の日本人である。その社長がしみじみと言う。「幹部社員も工員も広告で全て簡単にそろう。経理課長は着任日から帳簿を完璧に記入し報告してくれる。人材採用広告を出すときに職種と担当する仕事をはっきり書けば全てが順調に進む。日本では想像も出来ない」。

「それならば社長もアメリカ人にして、貴方は家族のいる日本へ帰れば?」「そうするつもりです。しかし、日本にある本社の経営陣がアメリカ人を信用しないので延期しています」「社員の首を切ったことがありすか?」「何度かあります。首を切ってもアメリカ人は未練なく素直に辞めて行きますね」

アメリカの資本主義は転職の自由によって支えられている。そうである以上、雇用契約には会社の事情で1ケ月の予告で首を切る自由もある。転職の自由は個人の尊厳を守るための重要な条件である。首を切られたくらいで大騒ぎすることは、個人の尊厳を大いに傷つけることになる。

欧米には個人の尊厳はキリストから与えられているという暗黙の合意がある。この暗黙の合意が無いうえ、個人の尊厳という考えが弱いわが国には深い意味での転職の自由が発達しにくいと言えば言い過ぎであろうか?

      ○米国の悪い上司とは

いろいろな性格の人間で構成される会社では、原則論では済まない場合もある。これは洋の東西を問わない。特に悪い上司が部下の首を切る時は騒動になる。悪い上司とは部下の個人的尊厳を尊重しない上司を意味する。人間が権力を持つと性格まで変わる。上司としての権限を振り回し、部下の尊厳を傷つけるアメリカ人も多い。

日本にあるアメリカの会社で働いていた時、そんな上司を見たことがある。この上司は相当有能なアメリカ人を雇った。雇う際に約束した数々の優遇条件を雇用後に反故にした。この新任のアメリカ人は、「アメリカ人は約束を守ると外国で自慢してきた。こんなアメリカ人もいるのか」と嘆き、自分が落ち込んでしまっていた。

この様子を見て、若いころの怒り癖が出てしまいアメリカ人上司と一戦を交えてしまった。勿論、自分も辞表を出す決心で。云いたいことを云ったあとで新任のアメリカ人と小生は晴れ晴れした気分で辞めた。彼はその後パリで働いているという。一別以来会っていない。もう会うことも無いだろう。漱石の「坊ちゃん」と山嵐が赤シャツへ生卵をぶつけてた気分である。

      ○二社に属する米人

ある時、アメリカ人をニッサン、トヨタ、ホンダなどの工場見学へ案内した。道々話をしたところ、彼は二つの会社に所属していて、半分半分の勤務時間という契約で働いているという。担当している技術的な仕事が二社で全く異なるので、両方の会社も賛成してくれているそうである。日本では社会保険料の半分を会社で支払うので無理と言うと、彼は「そうではないです。日本では会社が個人の尊厳を認めないからです」と断言する。いろいろな日本人と議論した結論であると主張する。

さて、本当に個人の尊厳だけの問題であろうか?日本にはもっと奥深い仏教の教えも関係しているのではないか?彼に説明を試みたが、あまり成功はしなかった。

それにしても最近の日本における転職の流行は色々な原因が有るのだろう。

引退した老人にはどうにも出来ないが、いささか心配な社会現象である。

最後に目を休めるために、ゴッホの絵を一枚掲載します。引退後、独りで趣味を楽しむ老人の絵でしょうが、なにか淋しげな絵ですね。淋しげといえばゴッホの絵はみな深い寂寥感が漂っていませんか?絵の出典はシカゴ美術館のカタログから転写しました。そのURLは小生の5月9日の「ゴッホの絵をもう少し・・・」の記事へのコメントで高山さんが教えて下さっています。(続く)

Vincent Van Gogh,"Fishing in Spring" (1987)

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