1900年英国、ビッカース造船所製の三笠と、1930年英国、ラメージ&ファーガソン社製の帆船日本丸と同じく1930年三菱造船、横浜ドック製の氷川丸の構造と装備を比較すると欧米の船建造の思想が実に明快に理解できる。
欧米では船、特に大型船を建造する場合にその船の使用目的をまず明確に決定する。その後で使用目的を達成する一番合理的な構造と装備を考えて建造する。
欧米の設計思想の根幹にはこの合目的性が一番重要になる。三笠の目的は敵艦より優れた大砲を多数装備し、高速で海上を自由に動けなければならない。その断面構造図には戦闘目的に関係しない装備は一切無い。士官室は後部、水平室は前甲板の下と画然と分離され規律保持が徹底している。砲弾庫は船底の一番安全なところにあり、大量の食料は長期作戦のために冷凍庫に保存されている。
撃沈した敵の戦艦の乗員を救助し、捕虜にする予定で「捕虜収容室」も装備してある。
動力は蒸気機関で直立3気筒レスプロ蒸気機関で2基で合計15000馬力、2軸スクリューで15140トンの船体を18ノットで推進させる力を備えていた。燃料は石炭で、甲板の左右に多くのマンホール状の穴を作り船底に石炭を人力で落とし込む。出動の前には1500トンの石炭を積んだ。積み込むときは乗組員総員で迅速に積み込む訓練を重ねたという。
三笠の建造後30年たって1930年に日本丸と氷川丸が出来た。
日本丸は三笠と同じ英国製の排水量2279トンで池貝鉄工所製ジーゼルエンジン600馬力2基を装備している。この船の使用目的は帆走訓練生の大洋航海術の教育である。したがって大洋航行用の4本マストで、おもに横型帆と少しの縦型帆の合計、29枚の全てを人力で操作するように出来ている。甲板から上の全ての装置は、舵も含めて電気モーターや油圧動力は一切使わない。小さなジーゼル発電機は艇内の灯火と航海灯と無線電信機のみへ供給された。航海の90%は帆走し、ジーゼル燃料を節約した。
この船には武器は一切積んでいない。食料と清水だけを乗員数と航海日数に従って積載していた。この船の断面構造図を見ると平和的な構造になっている。それに比較して戦艦「三笠」が戦争目的の殺伐とした構造になっていることが歴然とする。平和な現在の日本人として見ると、非常に残酷な構造になっているように感じる。捕虜収容室など本気で作ってあるのは敵艦を沈めて、生存者を拾い上げようとしている。
さらに1930年製で排水量11622トンの氷川丸は客船であり、客室とダイニングルーム、社交室などが主な部分を占めている。5500馬力の大型ジーゼルエンジンを2基装備して太平洋を時速18.2ノットで駆け抜けた。ただ当時の社会風習に従って一等客室と三等客室の差が大きい。1等は個室で三等は上下2段ベットの狭い8人部屋で船底近くにある。食堂も貧弱である。三等船客は一等客室部分へは立ち入り禁止である。三等船客にとって、航海中は暗い毎日であったに違いない。最近の豪華客船のニッポン丸や飛鳥の船内とは雲泥の違いである。
三笠と帆船日本丸と氷川丸の構造・装備の違いを簡単に比較して欧米の船の建造の思想を考えてみた。そしてそれを敷衍すれば飛行機や自動車の設計思想にも同じようなことが見られる。皆様のご叱正をお待ちしています。(終わり)