昭和5年進水の豪華客船、氷川丸は改装が終わり、横浜、山下公園岸壁で公開が始まっています。
進水から第二次大戦開始までは太平洋航路の豪華客船として、チャップリンも乗船するなど華々しい活躍をしました。が、運命は暗転、真珠湾攻撃後は病院船へ改装され、南方洋上を往復しました。軍需物資も輸送したのでアメリカの潜水艦の追尾を受け、かなり危ない橋を渡りました。戦後は復員船として南方や中国大陸に残された軍人、民間人の引揚げに大きな働きをしました。その後は客船として復帰しましたが、やがて航空機にとって代わられ、進水後10年間ほどの華々しい航海ではありませんでした。その後、山下公園岸壁に係留され公開されていました。昨年、もとの所有者の日本郵船が買取り、10億円をかけて船底鉄板の完全修理と塗装をしなおして公開を再開しました。
この客船の心臓とも言うべきエンジンはデンマークの会社が製造した4500馬力x2基のジーゼルエンジンです。また船体の複雑に湾曲した鋼板は英国などの外国で加工・切削の後に輸入し日本の造船会社で組み上げたと想像できます。当時は溶接技術が無くて全て鋲打ちでした。このような技術的な情報が入場のとき配られる案内パンフレットに無いのが残念です。あたかも全て日本製という重大な誤解を生む可能性があります。日本が真珠湾攻撃をして第二次大戦へ参戦した科学技術的無謀さを忘れないためにも歴史的技術情報を公開するのが良いと思います。
詳しくは、http://www.nyk.com/rekishi/ をご覧下さい。