後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山梨県立文学館と樋口一葉関連の情熱的な展示、そして一葉記念館

2010年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

先日ご紹介しました山梨県立美術館の向かい側に広壮な文学館があります。明治、大正、昭和の文学者の直筆原稿や初版本などが作家ゆかりの机、文房具とともに展示してあります。

樋口一葉の両親が山梨県甲州市塩山の出身故に第一室にゆかりの品々が展示してあります。しかしその収集と展示には圧倒的な情熱が注がれています。そこで以下の紹介では他の文学者については省略して一葉だけについて書きます。

Higuchi_ichiyou1 一葉の作品は悲しく、美しく、人間の運命のはかなさが白黒写真に写したように描き出されているのです。しかしかすかな救いが暗示されているようです。読後に、輪廻転生を想い、自分で自分を慰めています。

この文学館には「たけくらべ」の始めの部分の朗読がイヤホーンで聞けるブースがあります。下の文章からはじまります。

たけくらべ:

「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろどぶの燈火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく、・・・」に始まり、結末は「ある霜の朝水仙の作り花を格子門の外より差入れ置きし者のありけり。…信如がなにがしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしとぞ。」

(博文館 明治38年15版、一葉全集(家内の蔵書、下に写真))より。

そのあらすじ:花街に育った少女美登利と僧侶の息子信如の淡い恋物語です。

勝気な少女美登利はゆくゆくは遊女になる運命をもつ。 対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。美登利と信如は同じ学校に通っているが、あることがきっかけでお互い話し掛けられなくなってしまう。ある日、信如が美登利の家の前を通りかかったとき下駄の鼻緒を切ってしまう。 美登利は信如と気づかずに近付くが、これに気づくと、恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げる。だが信如はこれを受け取らず去って行く。美登利は悲しむが、やがて信如が僧侶の学校に入ることを聞く。 その後美登利は寂しい毎日を送るが、ある朝水仙が家の窓に差し込まれているのを見て懐かしく思う。この日信如は僧侶の学校に入った。

=====下に9月28日に撮った文学館の写真を示します========

樋口 一葉(ひぐち いちよう):18725月2明治53月25 - 1896明治29年)11月23)は、日本小説家。東京生れ。本名は夏子、戸籍名は奈津。中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、25歳(数え年、以下同様)で肺結核により死去。『一葉日記』も高い評価を受けている。この1年2ケ月は奇蹟の14ケ月と呼ばれ、日本の近代文学の礎になる作品が生まれたのです。まさしく樋口一葉は薄幸の天才でした。

一葉記念館は彼女が住んでいた下町の住民が戦後に寄付を集めて作りあげました。そのHPを見るとまた泣けてきます。何故か、記念館を作った人々の切々たる気持ちが伝わってくるのです。http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/index.html を是非ご覧下さい。一番下の写真はこのHPから転載させて頂いた一葉記念館の夜景です。

147

148 157

007_2 2changeimag1


丹沢の東山麓の宮ケ瀬湖の秋景色をお楽しみ下さい!

2010年10月05日 | 写真

今朝は薄曇り。さわやかな秋風が吹いています。車を駆って1時間30分、丹沢の東山麓の宮ケ瀬湖の周辺を家内と一緒に散策して来ました。秋景色の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

081_2 050_2 076_2 043


老境こそ人生で最も幸せな時期・・・そうする為の3つの秘訣

2010年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

老年になると苦しい事や悲しいことも有るが、一生を通して考えると、一番、夫婦の生活が楽しい時期と思っています。家人もそう言っているので本当と思います。

理由はいろいろありますが、何と言っても子供を育て上げるという最大の義務を達成したことと、曲がりなりにも同じ男女が我慢しながらも添い遂げてきたという満足感が両方にあるからと思います。

一生独身で過したり、子供のいない人々も、事情は少し違いますが老年期が一番豊かな気分になり、幸せな時期ではないかとも信じています。

しかし夫婦のどちらかが病気だったり、早く旅立った方々へは深く同情を致します。そして、神様の慈しみが豊かにありますようにお祈りいたします。

老人の強みは色々な経験をしてきたので、もう何も恐れる事が無いのです。この境地が素晴らしい心の豊かさを与えるのです。

しかし、夫婦関係は何歳になっても危険なものです。そこで私共は色々考えて危機回避の手段をとっています。夫婦円満を保ち老後を幸せにするための秘訣です。

その秘訣を3つほどご紹介いたします。

(1)一時的に夫婦解散を実行します。

両方とも仕事が無く、暇なので四六時中一緒に同じ家にいます。それが危険なのです。そこで我が家ではよく朝ご飯の後で、「今日は夫婦解散!」と宣言して夕方まで別れて、それぞれの趣味を楽しみます。家人は源氏物語や現代文学の講読会を何十年もしています。私は近くの山やヨットへ行きます。夕方になり再び集合して夕食は一緒に食べます。「一時夫婦解散!」と大きな声で宣言すると気分的に本当に独立しますので、宣言することが秘訣です。

(2)お互いに明るいところでジロジロ見ない。

どんな美女でも老いれば見る影もありません。よく「腐っても鯛」と言いますが、容姿に関する限り通用しません。しかし美声と丁寧な言葉だけは不思議に若い時と変わりません。そこで明るいところではお互いにジロジロ見ないことが秘訣です。そして食堂に家人の若い時の写真を数枚飾って置き、それをチラチラ見ていれば本人も喜びます。

先日、琵琶湖のそばに住んでいるネット友の ちひろさんが、「私は声美人です。ですから職場では電話番をするようにしています」というコメントを頂きました。声美人は若い時は容姿も美形な筈と信じています。そういう風に信じることが老境を楽しく生きる一つの秘訣なのです。

(3)家事を分担する。

夫婦で家事をしてみるとお互いに得意なものと苦手なものがはっきりして来ます。例えば家の中の整理整頓は私の得意とするところです。家人は拭き掃除や細かいとこところの仕上げ掃除が得意です。料理でも私は揚げたり、炒めたり、圧力鍋を使うのが得意です。家人は野菜や肉を刻み、味を付けるのが上手です。その上、「甘酢あん」の味付けが絶妙です。ケチャップを隠し味にいれロマンチックな洋風の「甘酢あん」にしたり、中華風の香料を少し効かせて中華風の「甘酢あん」を作ります。もちろん和風の「甘酢あん」も作ります。この分野だけは脱帽です。真似が出来ません。一時。「鯉の丸揚げ」を作ることに凝っていた時期がありました。その頃は家人の絶妙な「甘酢あん」に何度も助けられました。

こんなつまらない事を書いて失礼いたしました。しかし人間が幸福になるためには「つまらない事」を大切にする事が重要なのです。それは若い時も老境でも同じ原理です。

皆様の心がけていらっしゃる秘訣をお教え頂ければ助かります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人

下に、昨年の10月に夫婦一緒に行った裏磐梯の五色沼の紅葉の写真をお送りいたします。今年も間もなく全国で紅葉が輝き始めす。(雨模様の裏磐梯、五色沼の紅葉の写真

0461 0533 0631 1031