私は東京の大岡山にある工業大学で一番長い間働いていました。その職場の方々には非常にお世話になりました。大切にして貰いました。私の出身大学は仙台にありましたが、同窓のように先輩も後輩も助けてくれます。その工業大学では皆が紳士で、静かな人々でした。当時の卒業生の幾人かとは現在もお付き合いをしています。大岡山で私を助けて下さった全ての方々へ深く、深く感謝しています。
職業の上でお世話になった方々は数多く、感謝の気持ちを書きだしたら数千ページにもなります。しかし散々迷った末に東京の本郷にある大学のMT教授のことだけを書くことにしました。それは運命的な出会いでした。不思議な縁でした。
1961年、オハイオ州立大学に留学中にMT教授が視察に来たのです。見送りに行った飛行場でいきなり、自分が日本での就職を世話してあげるから本郷に帰って来なさいと言うのです。将来の仕事場が決まっていなかった私にとっては嬉しい限りでした。自宅へご招待し、妻が手料理を出したのも楽しかったと言ってくれます。
その年の秋に、Ph.Dを取得後、本郷のMT教授の研究室へ帰って来たのです。それから丸4年間とても大切にして頂き、助教授にもしてくれました。その上、名古屋の大学と東京の大岡山の大学の就職口を探してくれて、どちらでも好きな方へと言ってくれたのです。妻が東京育ちなので結局、名古屋へは行きませんでした。
MT教授はある学会の中心的な人です。大岡山へ移ってからも私を引き立ててくれます。学会の論文賞や功労賞などを下さいました。中国やドイツへとの会議へ何度も連れて行ってくれました。お正月には毎年、妻と一緒にMT先生の自宅へ招んでくれます。このMT先生と私は弟子ではありません。全くの他人なのです。遇然、オハイオ州で1961年にお会いしただけのご縁でした。
そのMT先生も昨年、肺の病気で静かに旅立ちました。しばらくして落ち着いた頃、柿の木坂を登ったMT先生の自宅を妻とともに訪問しました。奥様が一人元気にお住まいでした。家内も奥様に随分と大切にして貰い、一緒に外国へ行ったり、ピアノ演奏会へ行ったりしました。そんな思い出話をして楽しい時間を過ごすことが出来ました。そんな様子を天国からMT先生が笑顔で見て下さっているようです。
私は生前のMT先生のお姿を想像しながら静かにしていました。
人生には不思議なことがあると心底から思っています。
皆様にもきっと同じようがご経験があると思います。
今日は、そのような恩人と、助けてくれた全ての方々へ感謝し、ご冥福を心からお祈り申し上げます。藤山杜人