後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

京都の静寂・・・それを写す玲さんの日本画の世界

2010年10月10日 | 写真

このブログの左サイドバーに推薦するブログの項目があり、その中に玲さんのブログが御座います。父上が水戸の市長をつとめた名家のお嬢様です。写真がお上手なだけでなく、社交ダンスもプロ級です。何をしても才能がある才色兼美の方です。最近、京都旅行をされて美しい写真をブログへ掲載していらっしゃいます。写真ですが、どれも一幅の日本画のようです。写している方の心の静寂が写真の向こうに見えるような素晴らしい写真です。先日、転載のお願いをして、お許しを頂いたのでご紹介いたします。京都の静寂をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。http://blog.goo.ne.jp/koiredawa をクリックすると、もっと沢山の写真が御座います。

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人々へ感謝しつつ死んで行く(2)キリストの周りで会った人々への感謝

2010年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

人間が74年も生きていると、実に数多くの人々に会い、親切にして貰い、支えてもらって来た事に気が付きます。全ての人々へ頭を垂れて感謝しています。

その事を書き続けるシリーズ記事の第二回は何を書くか随分迷います。家族。学校の先生や友人達。仕事の上での恩人。趣味の生活で大変お世話になった方々。近所の人々。そして宗教に関して私をそれとなく導いてくれた人々。その上、最近始めたネット生活で深くお付き合いをしてくれた方々。

みんな、みんな、私は同じくらい深く感謝しています。感謝の大きさ、深さはみんな同じなのです。等しいのです。ですからこそ書く順序に迷います。迷い、まよい、そして書き出します。ですからどうぞ順序にこだわり無くお読み頂けますようにお願い申し上げます。

さて今日は日曜日です。そこでキリスト教の関連でお会いした方々への感謝を書きたいと思います。私に個人的に会ってくれて、私を大切にしてくれた人々です。主任司祭様や神父様、牧師様のことは今まで何度も書いて来ましたの割愛いたします。

心に残る3人を選びました。気楽にお読みください。

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(1)ドイツのローテンブルグで会ったインド人のフェルナンデス君のこと・・・

それは1969年の夏から秋にかけてたった3ケ月間だけのお付き合いでした。毎週日曜日に私を誘ってカトリックの教会へ行ってくれました。ドイツ語のミサなので理解出来ません。ミサ後、一緒に昼食をたべました。メニューはチキンの半分をオーブンで焼いたものとパンとスープでした。彼は細身で小柄なインド青年でした。英語で会話をしました。しかしキリスト教のことは一切説明しません。ただニコニコと笑って食事をするだけです。何も話しませんでしたが彼が私を非常に大切に思ってくれている事が分かります。かれの優しくて穏やかな笑顔を見て私は決心したのです。来年帰国したら日本で洗礼を受ける決心をしたのです。

(2)神田、ニコライ堂で会った金田一豊さんのこと・・・

宗教で一番注意しないければならない事は狂信しないことと思っています。ですから私は仏教も勉強しますし、キリスト教の他の宗派の教会も広く訪問しています。色々な神父様、牧師様とお会いしましたが、ニコライ堂で偶然お会いした伝道師の金田一豊さんの事が忘れられません。

ロシア正教の影響を深く受けた日本正教会の本部教会はニコライ堂です。その歌ミサの藝術的美しさに惹かれて見物に行ったのです。昨年の11月の事でした。初対面の私を昔からの幼馴染のように大切にしてくれました。かれは聖職者ですからミサの最中は他の聖職者と一緒に祭壇の上に立っています。それが途中で祭壇を下りて、私のそばに来て、「どうですか?違和感を感じませんか?」と聞いてくれたのです。それも3回もです。カトリックの私が正教会のミサへ自然に溶け込んでいるか気をつかってくれたのです。正教会もカトリックも同じイエス様を拝んでいるので私は大らかな気分で歌ミサを存分に楽しみました。一緒に御祈りもしました。

ニコライ堂のことは、宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい という記事にしました。

(3)ネットで知り合ったオカブさんの事・・・

このブログの左サイドバーに推薦したいブログとして「昼のガスパール」というブログがあります。それを書いているのがオカブさんです。ヨーロッパ文化を愛し、ウィーンに何度もいっている方です。ある時、下北沢の喫茶店で会いました。そして彼の行っている世田谷教会の礼拝へ誘ってくれたのです。数週間後に三軒茶屋駅そばの世田谷教会の礼拝に出席しました。彼はその独立採算のプロテスタン教会の運営の責任者の一人でした。牧師さんへも紹介してくれました。オルガンを弾いている奥様も紹介してくれました。オカブさんは宗派の違う私を非常に大切にして下さったのです。そして他の宗派の教会を訪問することを薦めてくれました。そのお陰で小金井市内のメノナイト系の貫井南町教会の牧師様や日本キリスト教団の小金井教会の牧師様にもお会いし、親しくお話を聞くことが出来ました。どちらの牧師さんも初対面の私をとても大切に思ってくれたのです。

以上の文章の中に「私を大切にしてくれた」という表現が何度も出て来ました。そのことで、皆様は下手な文章だとお思いになったことと存じます。実はこの大切に思われた体験こそが、私にとって「イエス様に愛されている」という体験と同じなのです。イエス様の愛は神父様を通してだけ感じるのではありません。何気なくお会いした方々を通して感じることが出来るのです。そういう事を私に感じさせた全ての人々へ感謝しているのです。ここでは3人の例だけを書いたのです。

今日はこの文章を読んで下さった皆様を心から大切もおもいます。そして、

皆様の周りに貴方を大切に思ってくれる人が多いことを心からお祈り申し上げます。藤山杜人

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