後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

共産党独裁が続く限り学生の反日デモは必ず続きます!その必然的な理由

2010年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の共産党は、その独裁が国民に永久に支持されるように言論統制をしているのです。従って、学校での歴史教育の内容も以下のように徹底しています。

(1)日本や欧米の植民主義支配を中国から追い出したのは中国共産党です。

(2)特に日本軍の残虐行為を大げさに教え、それを駆逐したのは共産党軍です。

(3)第二次世界大戦で日本が負けたのは中国共産軍に屈服したのです。アメリカ軍は関係ありません。

(4)中国共産党は日本の対華21ケ条に反対する五四運動によって生まれた政党です。

以上のような教え方です。従って経済格差と就職出来ない不満の鬱積した内陸地域の大学生が何かというと「反日デモ」を繰り広げるのです。

従って共産党独裁が続くかぎり上記の教育方針は絶対に変えようがないのです。この実態を日本人は冷静に理解しなければなりません。

ご参考までに以下に、昭和12年、南京陥落直後の破壊された市街地を行く、日本軍の戦車の写真をお送りいたします。

Dec19_0111_2

出典は、http://www.history.gr.jp/~nanking/dec19_01.html です。

そしてニューヨークタイムズ紙の中国の歴史教育のひどさを報じた記事に関連した報道を添付いたします。驚かないでお読み下さい。

========ニューヨーク・タイムズ(2004.12.07 )===========
ニューヨーク・タイムズ六日付は上海発で、中国の教科書について「歴史をゆがめ、政治の必要に応じて、修正されている」とする報道を掲載した。同報道は中国では歴史自体が政治の材料にされているとして、とくに日本に関しては「日本をたたくことが(中国の)国民的娯楽」と伝えた。
 同報道は「中国の教科書は歴史を曲げ、省く」という見出しの記事で、ニューヨーク・タイムズ記者が上海で中国人の教育関係者多数から取材した結果だとしている。
 同報道は「中国では日本をたたくことが国民的な娯楽で、日本に対し正しい歴史を教えないと文句を言うが、中国の歴史教科書こそ近年の歴史をきわめて選別的に教えゆがんだ見解を提供している」と述べている。
ゆがみの実例として以下のことをあげている。
(1)中国軍はチベットやベトナムに侵攻したのに自衛以外の戦争はしたことがない、と教 
 えている。
(2)第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた、と教えている。
(3)一九五〇年代に毛沢東主席が断行した「大躍進」の政策失敗で三千万人も餓死した事
実は教えない。
(4)朝鮮戦争は米国と韓国が北朝鮮を侵略したことで始まった、と教える。
 同報道はまた上海の中国人教育関係者らの談話として「中国では歴史は政治の道具として使われる」「天安門事件も騒乱分子が国家基盤を危うくした犯罪行為だとされる」「近年の歴史になるほど、共産党への配慮からあいまいにしか教えられなくなる」という言葉を紹介している。========終り===========


あなたは、あちらの岸、彼岸にいる人々とどのようなお付き合いをなさっていますか?

2010年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログで、「人々へ感謝しつつ死んで行く」という題目でシリーズ記事を掲載しています。第四回まで終わりました。以下の文章は、その(5)として、「亡くなった家族、親類への感謝」という題目でも良かったのです。そんな気持ちで仙台にある家族や親類の墓参をしてきました。

遠方という理由で仙台の墓参へ暫く行っていませんでした。思い立って仙台に居る弟へ連絡しました。弟夫婦が4ケ所の墓へ車で案内してくれました。そして墓前で死者へ感謝し、供養をするためにお経を弟夫婦と私共夫婦の4人で唱和して来ました。

どの墓も郊外の静かな寺にあり、心地よい秋風が吹いています。久しぶりに読むお経の声が墓地を囲んだ林に沁み入ります。

弟は島根県の農村にある小さなお寺の住職をしています。仙台の大学で働きながら曹洞宗の修業を続け、20年くらい前から父の後を継いでその島根県のお寺の住職になりました。父も仙台の大学で研究生活をしながら晩年にそのお寺の住職になっていました。

仙台に住んでいますが、春秋のお彼岸や盆暮れには島根へ行き、お寺でお経をあげ、檀家の家々をくまなく回りお経を読みます。その村落の死者の墓も面倒を見ます。そのような弟なので祖父母、両親の墓は勿論、妻の祖父母、両親や親類縁者のお墓の管理や供養は良くしているのです。お墓に供える花々も沢山用意して、我々が持参した花と一緒に供えていました。

弟へ、私の死後は分骨して仙台の墓へも入れて下さいと頼みました。弟もやはり分骨して島根県のお寺の代々の住職の墓地と仙台の墓地へ入る予定と言います。

私は死後、遺骨にはあまり関心はありませんが、そんな話をしていると彼岸に居る祖父母や両親、そして全ての親類への感謝の気持ちが湧いて来ます。そして自分の心が豊かで、平安に満ちてくるのです。そうなんです。墓参りは自分の為にもなるのです。死してあちら岸、彼岸に居る人々とこのようにお付き合いをすることは自分の為にもなるのです。あなたは彼岸に居る方々と、どのようなお付き合いをなさっていらっしゃるのでしょうか?

皆様の平安はお気持をお祈りしながら、下に墓参の折の写真をお送りいたします。

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バスで巡る杜の都、仙台の小さな旅

2010年10月20日 | 旅行記

バスに乗ったり、降りたりしながら自分好みのペースで仙台の小さな旅を楽しんで来ました。

仙台駅西口バスターミナルを9時から20分毎に出発する「るーぷる仙台」というレトロな観光バスに乗りました。一日乗車券を買って、気ままに乗り降りしてあちこちを見る、散策する、考える、という小さな旅です。昼過ぎに又仙台駅へ帰ってきました。

3ケ所ゆっくり歩きました。伊達正宗その三代までの廟所のある経ケ峯の森、街々の眺望が素晴らしい仙台城址の高台、そして伊達家ゆかりの大崎八幡神社の3ケ所をめぐりました。

何処で下りても、20分後には「るーぷる仙台」が巡回して来ますので、自分の好みで散策出来ます。このバスは内装も外装も材木を使い、昔の路面電車の雰囲気を再現しています。犬山市郊外にある明治村を走っている京都の路面電車を思い出させました。このバスの詳細は、http://www.kotsu.city.sendai.jp/bus/loople/index.html にあります。

家内が撮った写真をお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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