カトリック教会で信者の世話をしたりミサをしたりしている神父は常駐している主任司祭とミサの時に手伝いに来る神父が居ます。その神父達の個人的な性格の違いがその教会の雰囲気を決め、信者が増えたり、減ったりします。
神父の役割はイエス様を信者のそばに呼び、信者が直接イエス様の愛を実感出来るようにすることです。その能力が高い神父が優れた神父と、私個人は考えています。ところが一般信者は普通の人間です。愛想良く話しかけてくれたり、信者の相談に気軽にのってくれる神父は人気があります。信者数を増やすにはそのような神父が良い場合があります。私個人は愛想の良すぎる神父はあまり尊敬しません。
1971年の12月に洗礼を受けた神父様は塚本金明さんという方でした。カトリック立川教会の主任司祭でした。愛想が無いので余計な雑談をしませんでした。見かけは小柄なイタリア人の神父のようでした。洗礼を受けるまではイタリア人と思い込んでいました。その神父さんがある時、説教で、自分の子供の頃はカトリックの信者だったので、近所のお稲荷さんのキツネをひっくり返して遊び回っていたと話していました。そいうバカなことをして遊び回っていたと言うのです。トンデモナイことですね。大人になってから恥ずかしい思いをしました。そんな話を聞いているとイエス様が降りてきて金明少年の罪を許している様子が見えてくるから不思議です。この説教を聞いて洗礼を受ける決心をしました。偉そうな事や難しい神学の話をする神父は本物でないと考えていた私にとっては感動的な神父でした。家内と一緒に洗礼を受けてから時々雑談をするようになりました。
その3年後、塚本さんはカトリック市川教会の主任司祭として転任になりました。日曜日になると、家内と一緒に遠方の市川教会まで何度も行って塚本神父の司式するミサへでました。
もう随分前に亡くなり、府中のカトリック墓地に眠っています。とても懐かしい感動的な神父さまでした。(続く)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人