1981年、北京鋼鉄学院の劉学長たちが私一人を北京の彷膳飯店へ招待してくれました。親しい周栄章教授も一緒でしたので気楽な宴になります。食後、中国の近代史が話題になった時、私は共産主義の欠点を率直に話しました。劉学長は優しい微笑みを絶やさず熱心に私の話を聞きます。長い話を終えた時、彼はニコニコしながら、「人間の考える思想や主義には限界があるものです。貴方は中国人が好きなので言ってくれたのです」と、一瞬深い情に満ちた目になり、大きな溜め息をつきました。
私は、「結果論ですが、欧米の植民地主義を中国から追い出すには共産主義を選択せざるを得なかったと思います」と言いました。歴史の運命の歯車は個人の力ではどうする事も出来ないのです。しかしその話題はそこでお終いになりました。
彷膳飯店からの帰り道、送ってくれた周栄章教授が私の考えに賛同すると言います。中国人は欧米と日本の植民地主義でマカオ、香港、上海租界、青島、北京租界、満州、台湾と武力領有されて来たのです。
個人主義が徹底している砂粒のような中国人を団結させ、欧米と日本の植民地を中国から追い出すためには共産主義という強力なイデオロギーが必要だったのです。
私は中国が共産主義独裁国家になったことへ、現在でも深い同情を禁じ得ません。一国がどのような政治体制になるかという歴史的ないきさつを無視すべきではありません。民主主義を無理に押し付けようとするアメリカのやり方は内政干渉と思います。
我々日本人は人権を守り、民主主義を遵守することは正義と信じています。その正義のために戦争をしているアメリカを支持しています。しかし相手の国々の正義は別なのです。
中国の清朝後半から1949年の中華人民共和国が成立するまでの人々の塗炭の苦しみを忘れては中国人と円満に付き合えません。しかも日本も大きな苦しみを与えたのです。
中国の近代革命は1912年の辛亥革命です。孫文が初代臨時大統領になり清朝最後の皇帝、溥儀を追放し、中華民国という共和国が出来ます。その後、紆余曲折があり最終的には毛沢東が権力を握り、1949年に中華人民共和国が成立したのです。下に、1912年、中国が初めて作った欧米流の内閣の閣僚の写真をWikipedeaから転載します。
今日は皆様が中国の近代史へ深い同情をお持ちになるように、お祈り申し上げます。藤山杜人
1912年の中華民国内閣初組閣時の記念写真:
後列左より 農林総長宋教仁・交通総長施肇基・陸軍総長段祺瑞・司法総長王寵恵・翰長魏宸祖
前列左より 教育総長蔡元培・商工総長代理王正廷・海軍総長劉冠雄・外務部総長代理胡惟徳・総理唐紹儀