後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ジャンさんから、仙台が何故、杜の都へ復興したかの投書がありました

2010年10月21日 | うんちく・小ネタ

2010/10/21ブログ【完全に消えてしまった追憶の中のふるさと、仙台】へ関しての、、、、

仙台のゆかりは義父一族4人は仙台2高、親族の岡崎 栄松(ウィキペディア)ですが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E6%A0%84%E6%9D%BE
は後藤新平さんのご指導の下、戦災復興の為、苦労して変人扱いされながらも1 本の植樹から仙台を杜の都にしました。
いまや青葉茂るなつかしき杜は故郷として「こころ」の中にだけ存在するので しょうか?
私の仙台への思いは仙台三越、のデザインに携わりました。
このたび久しぶりに、八ヶ岳の山荘に清泉尞のカンティフェアー目的で昨日まで 行ってました。
賑わった清里、そして仙台も含めかっての 慣れ親しんだ場所は現在急速に過疎 化して、記憶の色は褪せてフードデザート、シャッター通りが競売通りになっても、商業化できず荒廃して 佇んで景観は心の棘になります。
観光バスが来ても、人々はかっての様に物産を購入しません。購買力有ってこそ、地域活性化に繋がりますが、 解決策はラビリンスのま ま...
最近全国的なB級グルメランキングが盛んで町村お興しをしてます。カンティフェアーでも食の人気は高いです。1に肉類(山梨のもつ煮)、2野菜の力(地域の古代野菜有機野菜、珍野菜)、 3(ハレノヒ)の様な誇れるスィーツの開発。
「何かヒントは無いものでしょうか?」文殊の知恵でお聞きしたいです。
「寂寥感が秋の夜風で身に沁みます」これは身に詰まされるコメントです。ジャン========================================================

藤山杜人  様
いつも拝読させて頂いてます。ありがとうございます。・・・・中略・・・・私は、この夏、いろいろと忙しく、庭の管理が大変でした。仕事も簡素化、庭も手間ナシでアート感覚で水やり無し、増やして楽しめる多肉植物のバリエーションを制作し 庭づくりを楽にすることにし ました。庭をお持ちでない方にもお勧めです。

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山林、杜の人のブログのフットチッドのミストを浴びて、故郷の家の縁側の心地よい温もりと、安らぎ,活力を頂いてます。
イギリスのTNS市場調査報告書によりますとSNSの友人数は日本が最下位。
新興国ではブログユーザー数が多いですが、World Wide Webは、日本が世界第7
位のFacebookなのでしょうか?けれど日本では英語力や内向的な国民性がTwitterがユザー人気を支え、Facebookの利用率が低いのです。
けれど私のしていたSNSでは鮮烈な心惹かれる友人に恵まれました。現在知る限りでは、三輪さん、サッチ~さん、英香さん等、退会された方が何人かいらして、でも1年すると、様変わりしてジャンの存在した証も薄れやがて忘れさられますが紛れもなく、秋の紅葉の様に輝いた楽しい一時でした。
今でも連絡を取っている友人も出来ました。====終り======


戦後65年、若い日本人は本当に偉くなった!その実例(1)戊辰戦争や西南戦争の敗者を悼む優しい心

2010年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

最近の日本人は本当にいろいろな意味で偉くなったと感心しています。そこでその実例の幾つかを連載記事として書いて行きたいと思います。

先日、仙台の政宗のお墓の瑞鳳殿を見に行った時、坂道の途中で戊辰戦争で死んだ人々を悼む塔を見ました。その下の方には西南戦争で西郷軍に参加して敗れた隊士のその後を説明した看板とお墓を見つけました。最近の若い人々がこの史跡を大切に思い、看板を書いて示しています。参観者へ一緒に冥福を祈って下さいという雰囲気です。

敗者へも同情を、そして尊敬を捧げる人間は偉いと思います。勝った方だけを顕彰するのはいけません。立派な若者が増えて来たのです。下に写真を示します。

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伊達政宗とその跡に藩主になった人の奥さんや子供の墓所があります。そのような家族の墓所への案内板も完備してあります。看板を一生懸命書いた人の家族を大切に思う心が伝わってきます。最近の日本人の心の豊かさの表れと思います。最近の若い人は、何事につけても人間的に素晴らしい感性を持っていると嬉しくなります。そんな気持ちで夭折したような子供達のお墓を一つ一つと見て参りました。下に写真を示します。

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完全に消えてしまった追憶の中のふるさと、仙台

2010年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

@ふるさと、仙台は見知らぬ白い街になってしまった

仙台を出て東京に暮らすようになって52年。甘い追憶の中のふるさと、仙台はついに消えて失くなってしまったのです。

数日前、久しぶり仙台に行き、思い出をたどりながら町々を歩き回りました。ただ高いビル群の見知らぬ白い街が広がり、大きな道路には沢山の車が情け容赦なく疾走しているだけです。道行く人々は足が長く、見知らぬ外国人のように速足に過ぎ行くばかりです。以前は同級生や知り合いに、二人三人と、偶然会ったものでした。みんな何処かへ行ってしまったようです。もうみんな旅立ったのでしょうか?

繁華街の一番町の店もすっかり名前が変わっています。昔と変わらない お茶屋の井ケ田屋と コーヒー店のエビアンだけが存続していましたが、後は全て消えてしまったのです。茫々50年。私の追憶の中のふるさと、仙台は見知らぬ白い街になってしまいました。

消えてしまったふるさとの街を歩く淋しさ、寂寥感が秋の夜風で身に沁みます。

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@子供の頃遊んだ秘密の場所が観光客に奪われてしまった

昔の家は伊達政宗の廟所のある経ケ峯という小山のそばにあったのです。政宗から三代までの廟所のある杉木立の暗い淋しい山でした。戦争で忙しい大人達はめったに足を向けない森閑とした場所です。そのうち戦災で廟が焼失しました。その跡に粗末な白木のお堂が立っているだけでした。そこへ独り登ると、そこは私の天下です。隠れ家です。誰にも拘束されない自由の空間でした。遠方で鳴くセミの声を聞くだけです。ゆっくり石段を降り、下馬の明るい広場へ出ます。その先には評定河原へ渡る一銭橋がありました。広瀬川へ遊びに行くお決まりの道だったのです。私の大切にしていた思い出の聖地でした。

それが先日行ったら金ぴかの桃山調の瑞鳳殿という豪華な廟堂になっています。仙台観光の目玉らしく観光客がゾロゾロと歩いています。私は何故か酷い嫌悪感に襲われ中に入る勇気が出ません。幼少の頃の私の大切な場所を観光客に奪われてしまったのです。そんな感じ方はまったく理不尽ですが、なにか冒涜されたような気分になりました。家内が一人の観光客になって楽しそうに見物しています。

仙台へ観光客が沢山来てくれることに感謝しています。でも何故か私の心は紫色の悲しみが広がっています。帰京した今も。054

@しかし、自然の景色だけは変わらない

昔の仙台の名産品は仙台平という絹織物でした。埋木細工でした。笹蒲鉾でした。仙台駄菓子でした。笹蒲鉾以外は全部消えてしまいました。最近、急に仙台の名物が、牛タン焼になったのです。老人の私は牛タンが名物だとは信じません。牛タン焼を食べるために仙台へ観光旅行へ行く人々が沢山います。そんなニュースを聞く度に何故か心が暗くなります。牛タン焼は美味しいものです。それは知っています。しかし仙台では絶対に食べないようにしています。まったく理不尽ですが仙台が牛タンを売り物にしていることに腹を立てているのです。

日本全国各地の名物が年月と共に変わって行きます。それで地域輿しが出来ることは大変良い事です。大歓迎です。しかし仙台の牛タンだけは許せないのです。理不尽を字で書いたような老人の私です。

仙台へ行く度に昔の名物や面影がドンドン消えて行きます。もう私のふるさとは完全に消失してしまったのです。

しかし。しかし街々を囲む山々の自然は変わりません。人々は忙しく変わって行きます。輪廻転生です。でも自然の景観は何時までも同じです。それを見るとやっぱりふるさとは良い。仙台は良い所だと思います。

下に仙台城から見た正宗の廟所のある経ケ峯の写真と評定河原の一銭橋の上から見た広瀬川の写真を示します。

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皆様のふるさとは変わったでしょうか?どのようなふるさとでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人