中国と日本は3回戦争をし、現在は経済的な結び付きで一見平和を保っています。
清朝が存続していた時代の日清戦争、袁世凱が国民党総統をしていた時代の第一次大戦中の遼東半島と青島への侵入、蒋介石が国民党総統をしていた時代の日中戦争の3回です。蒋介石の国民党軍の第八路軍は毛沢東率いる共産党軍から編成されていました。
清朝から現在にいたる中国の政権抗争は複雑怪奇で、日本人には理解出来ない事が多いのです。そこで日本の学校では辛亥革命による清朝の終焉までしか教えません。その後のことは簡略化して教えています。
その後、何故共産党独裁国家になったかを考えています。その大きな原因を以下の3つに限定してみました。解答ではありません。皆様への問題提起です。ご意見を頂ければ嬉しく思います。
(1)1912年に辛亥革命が成功し中華民国が南京を首都として発足し、孫文が初代臨時総統になりました。しかし北京を統一するために北京の大軍閥の袁世凱へ総統の席を渡してしまいます。袁世凱は古い軍閥で、その後、国内混乱が続きます。その混乱は蒋介石が政権を取る1928年まで続きます。
袁世凱へ総統の席を渡したのは失敗でした。孫文がそれに気付き、国民党がもう一度政権を取るためにソ連の共産党の強力な支援を受けたのです。そして国民党と中国共産党の協力関係を作ったのです。
1917年に、レーニンは共産革命を起こし、ロマノフ王朝のニコライ皇帝を追放し、全国を統一したのです。孫文がそれを手本にして共産革命へ心が傾いていったのも自然なことです。
分かり易く言えば孫文は国民党の生みの親ですが、同時に中国共産党の創立の貢献者でもあったのです。ですから孫文は台湾の国民党からも北京の共産党からも最大の英雄として現在も崇められているのです。
(2)第二次大戦末期と戦後の1949年までは中国国民党と共産党は国内で戦争を繰り広げ、政権を武力で奪取しようとします。
その間、ソ連は中国の共産党側へ膨大な武器援助をしました。一方のアメリカは日本占領ととヨーロッパの経済復興に全力をあげていて、中国の国民党を見殺しにしてしまったのです。アメリカの中国大陸政策の失敗が、その後の沖縄基地の強化へと連続するのです。
(3)1989年、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が共産党独裁から議会制民主主義の導入をしました。しかし1989年に北京で起きた天安門事件のとき鄧小平は戦車を繰りだして弾圧し、共産党独裁を確立します。鄧小平がソ連の崩壊でポーランドやバルチック3国が独立したのを知って、チベットやウイグル族や内モンゴルが独立するのを恐れたのです。経済活動だけは資本主義に変え、政治はあくまでも共産党独裁の国作りを完成したのが鄧小平です。
如何でしょうか?隣の国の歴史を自分の考えで整理しました。
その結果を正しいと主張するつもりは毛頭ありません。問題提起としてご紹介して見ました。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
下に私が好きな孫文と蒋介石の写真をWikipedeaからお借りして掲載します。