後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

イランがイスラエル攻撃を直接支援しています・・・戦争の危険

2010年10月15日 | インポート

私は新聞の国際ニュース面をいつも丁寧に見ています。世界中の何処かで戦争があります。最近とても気になって、心配している事は、イランの大統領がイスラエルの国境に近いレバノン南部のヒズボラ支配地域を訪問し「イスラエルは崩壊するだろう!」というアジ演説をしたことです。この地域は2006年にヒズボラ軍とイスラエル軍が激戦をしたところで建物の9割が破壊された地域です。そこへイランが810億円の経済援助をして復興し、いまだにヒズボラ軍の拠点になっています。イランは勿論武器の援助もしていると見るのが常識になっています。

イスラエルを支援しているアメリカへ公然と争う勢いです。イランの大統領はアフマディネジャド大統領という人です。イスラム原理主義に従ってイスラム教の教え通りに政治を行っています。アメリカ側は原子爆弾や核弾頭を開発中と見て、目の敵にしています。イランとアメリカが本格的な戦争になる恐れが強いようで私は心配しています。皆様はご心配になりませんでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。

(終わり)


白壁の塀の料亭と郷土博物館の風景写真

2010年10月15日 | 写真

魚観荘という料理屋さんと羽村郷土博物館の写真です。

詳細は夫々、http://www.gyokansou.co.jp/framepage2.htm , http://www.city.hamura.tokyo.jp/category/6-0-0-0-0.html

にあります。博物館の無料駐車場があるので時々遊びに行きます。庭が広く、池や離れが点在し、田舎の気分が味わえる店です。見事な池のある庭の奥には写真の様な茶室もあります。

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チリで救出したのはアメリカ製の機械とアメリカ人技師です!

2010年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

チリの大統領が政府のお金を出してアメリカ製の掘削機と巻き上げ機を勝って、付いて来たアメリカ人技師が困難な掘削作業を完璧に実行したから全員救出に成功したのです。600mもの細い穴を真っ直ぐ掘る技術はアメリカが優れています。

テレビのインタビューでアメリカ人技師が星条旗をかたわらに飾って、掘削の技術的な難しい点をいろいろ説明している場面を見る事ができました。

日本のマスコミは常に科学や技術を軽視して報道しません。人々の感情的な反応だけを大々的に報道します。困ったものです。

その上、チリが何故アメリカの鉱山会社とすばやくコンタクト出来、機械と技師の導入が出来たのかその理由も報道しません。チリとアメリカ政府は親密であったからでしょう。チリの鉱山機械はほとんどアメリカ製で常日頃、アメリカ人技師が働いて居たのかも知れません。そのような政治的背景や技術的背景を是非、報道して貰いたいと思っています。どなたか、その辺の事情にお詳しい方からお教え頂ければ大変嬉しくおもいます。コメントをお待ちしています。(終り)


人間の命の価値は国によって非常に違うのです!

2010年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、チリの鉱山に閉じ込められていた33名、全員が救出されました。明るいニュースで世界中が歓んでいます。私も心が明るくなり、元気になります。

ところで全員救出に関連して今日の新聞には考えさせる記事があります。それは色々な国の人々がネット上へ本音の感想を書きこんでいるという記事です。ああ、チリは素晴らしい国だ!自分の国だったら本気で助け出さないだろうという本音です。

中国では昨年の一年間の炭鉱事故が1616回もあり、2631人が死んでいるのです。そのせいか、中国のネット上では、「中国の炭鉱は人命を軽視している!」という政府への非難が続出しているそうです。特にチリでは人命を守るために地下非難所を完備し、食料も備えていることに中国人は感動し、中国政府の安全無視・経済最優先の姿勢を非難しているそうです。

もう一つはロシアの炭鉱労働者組合のある書記長がラジオの取材で、「ロシアではチリのような事は望めない。チリではロシアより市民が大切にされている」と語ったそうです。ロシアでは炭鉱事故が起きて、救出の可能性がある場合でも捜査中止になることが多いそうです。そして2000年に起きた原子力潜水艦クルスク号では潜水艦の中に20名以上が生存していたのにロシア政府が各国の救援を断った上、救助を中止したのです。乗組員118名全員が死亡しました。ネットの上に、「原子力潜水艦の乗組員になるよりはチリの鉱山で働いた方が良い!」という書き込みがあったそうです。

人間は神の前で平等です。しかし現実には生まれた国よって命の価値が非常に違うのです。考え込まないわけにはいきません。

生まれた国によってとは雑な言い方です。同じ国に生まれても人種、職業、貧富の差などで更に命の価値が違ってくるのです。

今回のチリの救出劇は労働者の命がかかっていました。カトリックの信者が多く、33人の中に福音派の牧師が居たので33冊の聖書を地上から下ろして貰い、毎日、礼拝をしていたそうです。神の前の平等が現実の世界でも達成されたのです。

毎日、熱心に礼拝していても神の前の平等が現実にならないことの多いなかで今回の成功は奇蹟のようにも思えます。

個人的な感想を書いて、失礼しました。それにしても良かったです。(終り)


中国は何故共産党独裁国家になったか?・・・分かり易く言うと3つの原因があった

2010年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

中国と日本は3回戦争をし、現在は経済的な結び付きで一見平和を保っています。

清朝が存続していた時代の日清戦争、袁世凱が国民党総統をしていた時代の第一次大戦中の遼東半島と青島への侵入、蒋介石が国民党総統をしていた時代の日中戦争の3回です。蒋介石の国民党軍の第八路軍は毛沢東率いる共産党軍から編成されていました。

清朝から現在にいたる中国の政権抗争は複雑怪奇で、日本人には理解出来ない事が多いのです。そこで日本の学校では辛亥革命による清朝の終焉までしか教えません。その後のことは簡略化して教えています。

その後、何故共産党独裁国家になったかを考えています。その大きな原因を以下の3つに限定してみました。解答ではありません。皆様への問題提起です。ご意見を頂ければ嬉しく思います。

(1)1912年に辛亥革命が成功し中華民国が南京を首都として発足し、孫文が初代臨時総統になりました。しかし北京を統一するために北京の大軍閥の袁世凱へ総統の席を渡してしまいます。袁世凱は古い軍閥で、その後、国内混乱が続きます。その混乱は蒋介石が政権を取る1928年まで続きます。

袁世凱へ総統の席を渡したのは失敗でした。孫文がそれに気付き、国民党がもう一度政権を取るためにソ連の共産党の強力な支援を受けたのです。そして国民党と中国共産党の協力関係を作ったのです。

1917年に、レーニンは共産革命を起こし、ロマノフ王朝のニコライ皇帝を追放し、全国を統一したのです。孫文がそれを手本にして共産革命へ心が傾いていったのも自然なことです。

分かり易く言えば孫文は国民党の生みの親ですが、同時に中国共産党の創立の貢献者でもあったのです。ですから孫文は台湾の国民党からも北京の共産党からも最大の英雄として現在も崇められているのです。

(2)第二次大戦末期と戦後の1949年までは中国国民党共産党は国内で戦争を繰り広げ、政権を武力で奪取しようとします。

その間、ソ連は中国の共産党側へ膨大な武器援助をしました。一方のアメリカは日本占領ととヨーロッパの経済復興に全力をあげていて、中国の国民党を見殺しにしてしまったのです。アメリカの中国大陸政策の失敗が、その後の沖縄基地の強化へと連続するのです。

(3)1989年、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が共産党独裁から議会制民主主義の導入をしました。しかし1989年に北京で起きた天安門事件のとき鄧小平は戦車を繰りだして弾圧し、共産党独裁を確立します。鄧小平がソ連の崩壊でポーランドやバルチック3国が独立したのを知って、チベットやウイグル族や内モンゴルが独立するのを恐れたのです。経済活動だけは資本主義に変え、政治はあくまでも共産党独裁の国作りを完成したのが鄧小平です。

如何でしょうか?隣の国の歴史を自分の考えで整理しました。

その結果を正しいと主張するつもりは毛頭ありません。問題提起としてご紹介して見ました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

下に私が好きな孫文と蒋介石の写真をWikipedeaからお借りして掲載します。

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