後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ブナ林の破壊的伐採と再生へのみちゆき

2010年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

112 最近、ブナ林、ブナ林と宣伝している観光案内書が多いものです。どうも一時的な流行のようでもあります。しかしその背景には戦後の政府の林野行政の失敗による破壊的な伐採政策の結果を何とかして取り戻そうとする深い目的があったのです。昨日、北信州のカヤの平高原総合案内所の池田敦夫所長からクドクドお聞きして来ました。

まず、私の本音を書きます。ブナ林再生を叫ぶ若者達は捕鯨反対のグリーンピースのように狂信的で好きでありません。世の中へ余計な騒ぎだけを起こしていると思っていました。自然の森林の中に生育している色々な樹木の中で、何故ブナだけを大切にしようとしているのでしょうか?

この質問を池田敦夫さんへ聞きました。どうも2つの深い理由があるらしいです。

第一はブナ林を静かに散策し、一本一本のブナの木と話をすると、近代文明の欠点がいろいろと分かるそうです。過去5000年程の間、ブナ林は全地球を覆っていました。現在でも、沖縄と千葉県を除く全ての都道府県の山々にブナが育っています。過去5000年とは丁度、人類が、そして日本人が文化、文明を発達させてきた歴史と一致します。ですから現代の文化・文明の欠点をブナの木々が静かに見ています。訪ねる人々へその欠点を教えてくれるそうです。池田敦夫さんはブナの木とそのような会話をしているそうです。

第二の理由はブナ林へ対する深い同情をしているからです。1945年から1980年頃まで林野庁は全国のブナ林を徹底的に伐採する政策をとって来ました。

戦後の紙不足で材木から作るパルプの需要が緊急の課題でした。林野庁の役人が建築材料として劣等なランク付けになるブナは役に立たない。パルプにしかならないと短絡的に考え全国の国有林のブナだけを伐採する政策を実に40年近く継続して来たのです。ブナは当時、大量に紙を必要とした大新聞社を支えました。本の出版社を支えました。それは戦争中の紙不足の反動でもあったのです。従ってブナは完全に無駄死にしたわけではありません。

しかし、経済目的だけで一種類の樹木を壊滅させ生態系を破壊する事への反対なのです。政府の愚かさへの警鐘なのです。似たような政策は水田の減反政策もそうです。減反政策も農村の生態系を壊しました。従ってブナ林を復活しようとする運動には経済優先で生態系を破壊されないようにする目的があるのです。

そんなことを静かに話す池田敦夫さんは木島村役場の委嘱で広大なカヤの平高原の主として毎日働いています。木島村の地域振興の努力については別記事でご紹介したいと思います。尚、カヤの平高原のHPは、bunakaya.sakura.ne.jp です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人