後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

敬启向在日本工作、留学的各位中国先生之信:日本に居る中国人へ送る書

2010年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

在日本工作、留学的各位中国先生:

?允?我由?博客敬启些鄙?:

最近,???????,某些日本人?度感情地批?着中国人士,或是,?国国内?日?行反日游街。

我由衷同情,遥?地离?,在异国攻?勤?的中国各位先生,度??在心里不安的日子。是担心的很不?

但是,?千万不必担心。各位由个人的?系交情的日本朋友??没有?背您。

假如中日政府或媒体,多?陷落???系也日本只有或朋友是永?地您好友,支援着您。

?段文章前面,我上?了?目?[没有了解??文化大革命悲惨??事?,就不会理解?届中国的?接]疑?。大大地?上了周恩来?理的尊影。各位,?了解我?一?心情。?????是一件在悠久的中日交流?史里的不幸的,可是,渺渺一点的??。

很多心里美的日本人,反着媒体氛?气,更深深思考???。各位的日本朋友是,如果两国?一?地??下来也,何?也、永?地各您好友、支援者。?什?都不怕,不担心地,?意??、?意工作下去吧。日本人??不?背朋友。

由衷希望有中国先生?几位也???博客。  敬祝良好!成功! 藤山 杜人 敬上

日本に留学している中国人学生の方々。そして日本で働いている中国人の方々へ、私のメッセージをこのブログを通してお送り致します。

最近、釣魚諸島の問題で日本人が感情的に中国人を非難したり、中国国内では反日デモが連日盛んに行われています。

中国の故郷を遠く離れて異郷で勉強したり、働いている中国人にとっては心配な毎日だと思います。心細い毎日ではないでしょうか。

しかし絶対に心配しないで下さい。貴方がたが個人的に親しくなった日本人は絶対に貴方を裏切りません。日中間の政府やマスコミがどんなに険悪な関係になっても貴方の日本の知り合いや友人は何時までも貴方の友人です。貴方を支援します。

この記事の前に、「文化大革命の凄惨な実態を知らないと中国の態度が理解出来ない」という題目の記事を掲載しました。周恩来総理の写真を大きく掲載しました。この私の心情をご理解下さい。釣魚諸島の問題は日中の長い、長い交流の歴史のなかの不幸な、しかし実に小さな問題です。

多くの心やさしい日本人はマスコミの雰囲気とは違い、もう少し深く考えています。貴方がたの日本の友人は二国間の関係が一時的に険悪になろうとも、何時も、そして何時までも貴方の友人です。支援者です。何も恐れず、何も心配無く、楽しく勉強して下さい。楽しく働いて下さい。日本人は絶対に友人を裏切らないのです。

このブログを数人でも中国人が読んで下さることを祈っています。藤山杜人


ヤマチャンさんの富山県、雨晴海岸の素晴らしい写真です

2010年10月30日 | インポート

趣味人倶楽部というSNSのマイフレに富山県に在住の  ヤマチャンさん という方が居ます。あめふらし海岸(雨晴海岸)という絶景の観光地に近いらしくて四季折々の素晴らしい写真を掲載していらっしゃいます。今日はその中から斜光の良い日の写真を2枚お借りしました。ヤマチャンさんは盆栽の造詣も深くて、悠々たる趣味の生活を楽しんでいらっしゃいます。

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この機会に雨晴海岸をいろいろ調べて見ました。能登国定公園の一部として含まれていて昔から有名な所です。西から東の方角をみると立て山連峰が青い海の向こうに輝いています。同じく、ヤマチャンさんの撮影した4月の立山連峰の写真をご紹介致します。

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写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)


文化大革命の凄惨な実態を知らないと中国の態度が理解出来ない

2010年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Zhou_enlai1 毛沢東が死に、4人組みが逮捕され文化大革命が終了したのは1976年です。その5年後の1981年に訪問した北京の殺伐とした雰囲気に胸がつぶれました。街路や公衆便所の汚さは人々の心の荒廃を示していて身の毛がよだちます。招待してくれた周栄章教授は1968年に突然大学の研究室から農村へ下放されました。貧しい農村へ追いやられたそうです。それから7年間、毎日、毎日ブタへ餌をやり糞の掃除をして暮らしたそうです。食料は極端に乏しく、飢えで死ぬ人も居たそうです。その間、家族はバラバラに下放され、何処に居るのか、生死さえ分からなかったそうです。

毛沢東がもう一度権力を握るために全国で紅衛兵を動員して知識人や政治家などを抹殺しようとした内戦でした。全国を凄惨な戦争に巻き込んだ残酷な毛沢東の権力奪取闘争でした。その指導をしたのが毛沢東の妻の江青などの4人組でした。数年間、この4人が中国大陸の頂点に立って惨劇を続けたのです。この文化大革命の間、毛沢東に従いながらも国民の苦しみを少しでも少なくしようと粉骨砕身の活躍をしたのがこの写真にある周恩来総理でした。彼は失望にうち砕かれた全ての人々へ生きる希望を与えたのです。暗夜の灯として、いまだに全中国人の心の中に生きています。彼は1976年1月に死にました。そして間もなく毛沢東もこの世を去ったのです。

鄧小平が権力を握り、やっと平穏な日々が続くようになったのは1980年くらいからです。この文化大革命の凄惨な体験から中国人は2つのことを心の底に強く抱くようになったのです。(1)国の分裂と内戦は絶対に避ける、そして(2)充分な食糧生産と経済発展の為には全てを犠牲にする、という2つの強い信念です。

民主主義や多数の政党による議会制の導入は、もう一度、人々を内戦のるつぼへ投げ入れる可能性を持っています。これは死んでも避けるべきです。一党独裁が最善の方法なのです。ここで我々は中国の政治グループの背後には軍隊が密着していることを知るべきです。鄧小平が権力を握ることが出来た理由は彼の軍部操縦術が抜群だったのです。政治闘争は必ず軍隊同士の内戦へ繋がるのです。それが中国なのです。従って、鄧小平は1989年の天安門広場での民主化デモを戦車を出動して鎮圧したのです。彼の決断は中国国内から見ると正しかったのです。学生以外の大多数の社会人が鄧小平の決断を支持しました。

充分な食料生産と経済発展の為に鄧小平は共産主義体制の計画生産体制を廃止して、市場経済原理にもとづく自由競争生産へ切り替えたのです。それは大成功でした。その結果、中国のGDPはアメリカについで世界2位になりつつあるのです。

中国の外交政策は文化大革命の負の遺産に忠実に従っているのです。共産党一党独裁は至上命令です。次期国家主席の習近平も7年間、下放され貧しい農村で辛酸を舐めたのです。彼は国内の対立と内戦を憎んでいます。絶対に共産党一党独裁を守ります。

しかし中国の内陸部は相変わらず貧困に喘いでいます。海岸部との経済格差を恨みに思っています。そこで北京政府へ抗議する代わりに反日デモを繰り返します。尖閣諸島の問題は中国の国内問題でもあるのです。そのうち中国の過激分子が尖閣諸島に上陸して、占拠するか分かりません。それも自然の成り行きです。中国の社会には文化大革命時代の残酷な雰囲気をいまだに抱えているのです。

大東島には北大東島、南大東島、そして沖の大東島がありますが日本はそれらを中国から守りきれるでしょうか?北方4島がロシアに実行支配されているように沖の大東島が中国に取られないようにするのも重要な外交政策と思います。

尖閣諸島問題が起きるとマスコミは感情的な怒りを煽りたてるだけです。何故中国はそのような問題を起こすのか考えません。

離れ島は尖閣諸島だけではありません。3つの大東島は安全なのでしょうか?日米安保条約は日中問題にどのような影響があるのでしょうか?そのように総合的に考えた記事が新聞には少なすぎます。

中国の近代の歴史も考えた総合的な戦略を深めれば、対中外交において日本側が主導権を握れると信じています。皆さんのご意見を頂ければ嬉しく思います。

余談ながらこの文章は中国人にも是非、読んで貰いたいと思います。そして私の間違いをご指摘頂ければ大変嬉しく思います。(終り)


障害者を子供にもった両親の美しい態度

2010年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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紅葉した林の山道を3人家族が歩いて行きます。大きくなった障害者の娘を真ん中にして両親が手を繋いで静かに登って行きます。木々の紅葉の中を通った光がその後ろ姿を輝かせています。今回の北信州へのバス旅行で見た美しい光景の一つです。忘れられない一枚の風景写真です。

この3人家族は1泊2日の間、よく私のそばにいました。気が付くと居るのです。16、7歳の娘さんの知能が体の生育について行けないようです。その娘を父親が大切にしています。母親が慈しんでいます。食事の時にこの一家が私の向かい側に座っています。話かけませんでした。ただお茶の入った急須を一家の前にそっと置きました。

その時父親が感謝の表情をしました。そのとき一瞬にして何故この一家の風景が何時も美く見えるのか分かりました。すらりとした紳士的に見える父と、可憐な美しい母がこの障害者の娘を深く愛しているのです。誇りにさえしているのです。

その中で娘はのびのびと素直に食事を楽しんでいます。時々両側の親と笑いながら言葉を交わしています。その表情がなんとも美しいのです。楽しさで輝いています。

障害者の子供を持った両親へ安っぽい同情は不要です。何も考えないで、その存在を大切に思う心が重要なのです。あるがままに自然に受け入れて、一緒に紅葉の林の中を楽しみながら歩けば良いのです。落ち葉が足の下でカサカサと音をたてています。遥か下のほうの谷川の音が清冽に響いています。

障害者を子供を持った両親も次第に歳老いて、死んで行きます。死んだ後、障害者の子供はどうなるのでしょうか?と、私は考えます。一緒に歩いている妻も考えているようです。しかし手を繋いで前を歩く3人家族は一切心配していないように見えます。そのすがすがしい後ろ姿を見て安心しました。その後の事は神様に任せれば良いのです。そんな綺麗ごとで事が済むかと人々は思うでしょう。しかし妻が確信をもってそう言います。気がついたら、私は神に祈りながら紅葉の中を歩いていました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人