老人とは仕方のないものです。昔の思い出を意味もなく大切にしています。戦後、あちこちの電車のガード下にはヤミ市があって賑わっていました。最近何故かその光景を鮮明に思い出します。
JR中央線の吉祥寺駅のガード下もヤミ市があったのを思い出し、カメラを持って電車に乗って散策へ行くました。
茫々、60年。夢幻の如く消えてしまっていました。そしてロンロンは上のようなアトレーという洒落た商店街に様変わりしていました。詳しくはwww.atre.co.jp/kichijoji をご覧下さい。
それよりも驚いたことは人々の大らかさ、素直さです。殺伐とした戦後の雰囲気が完全になくなっているのです。午前中なのでお客も少なく手持ち無沙汰の様子の店の人へカメラを向けるとニッコリ笑ってくれました。ブログへ出して良いですか?と聞くとどうぞと快い返事です。そこでもう一つの店先でもカメラを向けると、今度は店の前に出て来て、ポーズをとってくれました。ブログへ掲載しても良いと、素直に言います。この大らかさは日本が豊かになった証拠です。ああ、なんと豊かな国になったものかと独りで嬉しがりながら帰ってきました。帰りがけに昔からあった「うな鐡」で昔風の「うなぎ丼」の昼食をとり、家内へもウナ重のおみやげを買って帰りました。心楽しい半日でした。
昨日、無理、無理、そんなの無理です!・・・「汝の敵を愛せ」なんて という記事を書きました。家族や知り合いを大切にして行けば、その先は見知らぬ他人も大切に出来るようになる。更に、その先の方に、この言葉の世界があるという趣旨の記事でした。それを読んだ家内が「ウソばっかり・・・」と笑いだしました。ケラケラ笑いながら、書いていることを実行していないと言います。そうして、インターネットは虚構の世界と言います。その通りです。反論する気はありません。まったく同感です。
以下の文章は反論ではありません。どんな心算で毎日書いているかを簡単に説明したものです。
私はこのブログをほんの少しでも見てくれた方々へ心から感謝しています。ですから見て下さった方々が良い気分になり、安らぎを感じて下さるようなことを書いています。安らいで頂けるような写真を出来るだけ多く掲載しています。心が和んでくだされば次の瞬間、元気になれます。
そんな事を想像しながら書いている私の心も安らいで行きます。書きおえると元気になります。もう少しの間、元気に、楽しく生きて行くためにこのブログを書いているのです。
10月21日に、「ジャンさんから、仙台が何故、杜の都へ復興したかの投書がありました」 という記事を掲載しました。1年前にネット社会から消えてしまったジャンさんを偲ぶ私の記事へ対して、ジャンさんが送ってくれたコメントをそのまま掲載した記事です。その中に、次の様な有難い文章がありました。
・・・・・山林、杜の人のブログのフットチッドのミストを浴びて、故郷の家の縁側の心地よい温もりと、安らぎ,活力を頂いてます。・・・
そうです。私はこのブログを見て下さる方々へ「故郷の家の縁側」お送り続けたいと書き続けていたのです。ジャンさんが教えてくれたので、その事に気がつきました。
全ての記事がやすらぎを与えることに成功したとは言えません。むしろ不愉快に感じるような記事も混じっていることでしょう。
しかしジャンさんはこのブログの記事で、故郷の家の縁側の心地よい温もりと、安らぎ,活力を貰っていますと書いて下さったのです。私にとってこれ以上の褒め言葉はありません。ウソでも良いのです。しかしその事を感じ、見抜いてくれたジャンさんへ深い、深い満足感を覚えます。感謝しています。書き続けてきたことへ報いがあったと感じます。
私にとってネット社会がウソの世界でも、虚構の世界でも良いのです。ただジャンさんの様な読者が一人でも居るかぎり私自身が勇気づけられ、毎日が楽しくなるのです。
毎朝、このブログを見て下さる方々のご健康をお祈りしますと書き送ります。この文章は栃木県の那須高原で四葉のクローバーを趣味として栽培している女性のブログから頂いた発想です。ブログの最後に必ず「今日もあなたへ四葉のクローバーをお贈りします」と書いてあるのです。
それ以来、野原に出ると四葉のクローバーを探すようになりました。なかなか見つられません。しかし見つけたら皆様へ四葉のクローバーをお贈りしたいと思っています。
今日、一日、あなたが楽しくお過ごしになられるように心からお祈り申し上げます。 藤山杜人