後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦没画学生の絵画(4)興梠 武さんの「編物をする婦人」

2010年11月21日 | インポート

東京美術学校卒。昭和20年8月8日ルソン島、ルソド山にて戦死。享年28歳。

この絵は一番下の妹の絵。絵を描いて出征し、妹は間もなく病気で死にます。その報告を戦場で受け取った興梠 武さんは半狂乱になったそうです。

間もなく天国で二人は会って、静かに見つめあって暮らしていると信じています。ご冥福をお祈りいたします。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、46ぺージです。

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まったくバカバカしい記事でご免なさい!

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログで子供自慢や孫自慢をしている記事を時々見ます。内容に何も社会性が無く、まったく個人的な興味だけで書いた記事です。そんな記事だけは書くまいと今まで頑張ってきましたが、今日は書くことにしました。

私には中学2年生と小学3年生の男の孫が3人います。小学生3年生の孫は2卵性の双子で見かけも性格もまったく違います。この3人の孫は小学校1年生から野球のチームに入って、厳しい監督やコーチのお陰で野球が驚くほど上手くなりました。上の孫も中学の野球のチームに入っています。下の2人はピッチャーとキャッチャーをしています。今日は下の2人の孫のチームが他の小学校のチームと試合をします。家内と見に行き、写真を撮ってきました。家に来れば幼い遊びばかりで仕方の無い連中と思っていましたが、今日はなかなか凛々しく、敏捷にプレイを続けています。とにかく野球になっているのです。白髪の監督や中年のコーチが4、5人ついて本気で野球を教えているのです。監督やコーチを信頼し、尊敬している様子を見て久しぶりに感動しました。あんな幼い子供たちでも立派に見えます。

下の大きな写真が孫2人がバッテリーを組んでいる様子です。

まったくバカバカしい孫自慢の記事でご免なさい!

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カトリック神学院の学園祭・ザビエル祭のご案内です

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

私共の教会へカトリック神学院のTGさんという神学生がミサのお手伝いに来て下さっています。日曜日の説教を時々なさいますが、奥深い内容の話を分かり易く説明してくれます。お若いのに信仰の手本として尊敬を集めています。その彼今日のミサの後で、「11月23日の祝日に午前10時からカトリック神学院の学園祭・ザビエル祭が開催されるので是非お出で下さい」と言ってました。カトリック神学院は福岡と東京の2ケ所にキャンパスがありますが、23日の学園祭では両方の神学生が全員揃うそうです。一般の方々も大歓迎のようなので是非ご参加下さい。

神学校というものの雰囲気をご覧になると、ヨーロッパの文学作品の理解が深まります。そういう意味でも興味深い催し物と信じています。場所は以下の記事に神学院のHPのURLがありますので、そこでお調べ下さい。

尚、この神学校の訪問記は今年の6月24日に掲載しています。以下に再録しますので、合わせてご覧頂くと一層お楽しみ頂けると思います。

非常に開放的なカトリックの神学校

西洋の文学にはしばしば神学校のことが出てきます。それで昔から神学校というものに興味を持っていました。老境になり暇が出来たので、昔から疑問に思っていたことを調べたり、訪問したりして死ぬ前に納得するようにしています。昨日は練馬区の関町にある神学校を訪問しました。正式には、日本カトリック神学院という名前です。その詳細は、http://www.tokyo.catholic.jp/text/welcome/shingakuin.htm に丁寧な説明があります。

そこで、学校の歴史や運営方法、そして神学生の募集の方法などは上のHPへゆずり、訪問したときに撮影した写真を掲載し、個人的な感想だけを記述したいと思います。

ひどく感心したことに、この学校は非常に開放的なのです。構内のあちこちを隈なく案内してくれて、写真撮影をさせてくれました。お世話になった方は事務室の山下充志郎さんでした。訪問する直前に神学校へ電話をしましたところ、山下さんが歓迎の様子で、お時間のある神父様にもお会い出来るようにして置きますと言ってくれました。

応接間へ案内してくれ、間もなく副院長の松浦信行神父様が現れ、いろいろなお話をして下さいました。神学生は高校卒業以上でカトリックの洗礼を受けた未婚の男性で一生を神へ捧げる決心をしている人という事でした。哲学を2年間学び、その後の3、4年間は神学を学ぶそうです。学院の目的は全国各地のカトリック教会で主任司祭になる神父さんを育てることです。高学年になると実際の訓練をする為に各地のカトリック教会へ派遣され日曜日のミサの助祭を務めたり日曜学校の運営にあたります。

一生独身を通し、主任司祭として教会の信仰を指導し、面倒な管理運営も担当しなければなりません。信仰と指導と、教会の管理を行うプロフェッショナルなのです。西洋文化圏における「プロ教育」のエッセンスを集めたような素晴らしい学校のように感じました。

実はここからが本当に書きたいことなのですが・・・小金井教会に最近、この神学校からTさんという神学生がミサの助祭として毎週来てくれています。ミサの間、祭壇の上でいろいろな仕事をしているTさんの挙動に過不足がないのです。説教も時々しますが、若者らしいすがすがしい内容で感銘深いのです。若いのによくぞ司祭になる決心をしたと感心しています。そこで神学校を訪問して、何故、司祭になる決心をしたか聞いてみようと思いました。インタビューを申し込みましたが忙しいらしくてまだ返事を貰って居ません。しかしよく考えてみると神学生に個人的なインタビューをすることは穏当でないようにも思えたのです。そこで神学校の施設だけでも写真に撮ってブログでご紹介することにしたのです。

最後に今回の訪問でお世話になった副院長の松浦信行神父様と山下充志郎さんへ感謝の意を表します。

掲載した写真は神学校の御御堂、中庭、教室、廊下、図書室などの様子です。

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狭き門より入れ、滅びにいたる門は広い、、、、

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は日曜日。教会のミサへ行く日です。そこでキリスト教のことを少しだけ書きます。

「狭き門より入れ!」という言葉はご存知と思います。これは、ご承知のようにマタイ福音書7章13節の次の言葉に由来します:「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広い。これより入る者は多し。」

11月18日にこのブログで、老齢になればなる程幸せになる方法(2)神様と気楽に付き合う方法を身に付けるという記事を書きました。

そしてキリスト教に限らず、神道でも仏教でも気楽にお付き合いすると幸せになると書きました。この文章の真意は全て宗教を狂信的に信じると他人の迷惑になるので注意して下さいということです。

しかしどんな宗教でも厳しい半面を必ず持っています。しかしその厳しさだけを主張するのもいけません。それで先日の様な記事を掲載しました。でもそれは片手落ちというものです。早速、高橋さんという方から以下のようなコメントを頂きました。

・・・・・・・・・・高橋さんから頂いたコメント・・・・・・・・・・・・・

5年前受洗したプロテスタントの信者です。米国系列の教会に通っています。日本のキリスト教徒は少数精鋭であり、残るべき選ばれた信者がキリスト教を続けていると感じます。

私はいろいろ考えた末、献金・奉仕に寛大な米国系列の外国人対象の教会を選びました。

宗教は、気軽にできない厳しい側面もあると思います。献金や礼拝などです。
私にとっては、宗教はとても気軽には考えられない大変厳しい訓練でした。今でも時々いやになる事もあります。こんなに大変なものを他人には勧められないと思ってしまいます。

元々頭でかっちで、宗教とは程遠い自己中心で身勝手な生活をしていました。

自分の仕事の都合上、キリスト教が必要な部分があり、打算もあって近づきました。最初は教えに衝撃を受け幻滅しましたが、数年後神の愛に気づき、素晴らしさも感じられるようになり現在は喜びを感じています。

宗教により、多大な事を学ばせてもらいました。仕事や日本社会では出会わなかったような、人生の深さ・人間の愚かさ・自分の変革を体験しました。死ぬ直前まで、神の定めたレースを走っていこうと思っています。

・・・・・・・・・・・終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高橋さんの上の文章へ付け加えることは何も有りません。正しい信仰生活とはこのようなものです。素晴らしい生活をなさってる高橋さんへ神様の慈しみが必ずあると思います。

今日は皆様が宗教というものへ深い関心を持って下さることをお祈り申し上げます。藤山杜人