後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

クリスマスです・・・ケーキやプレゼントなどを今日から考えて楽しみましょう!

2010年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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Bichechoco_top_041_2 今日はイエス様の誕生を待ち望む「待降節」の始まりです。人々はクリスマスケーキやプレゼントの事をあれこれ考えて楽しい季節です。今年のディナーはどうしようか?家族と小旅行をして、旅先でクリスマス・ディナーを祝おうと考えている人も居るでしょう。子供たちはサンタクロースの持って来るプレゼントが楽しみです。若い恋人同士は何か一生の思い出になるような特別の楽しい事を考えています。

クリスチャンでなくとも大いに楽しむ季節です。左のクリスマスケーキは伊豆半島の付け根にある函南町のラ・ファッソン小松のケーキです。美味しそうですね。

クリスマスの季節はいろいろ楽しみを企画して家族ともども健康に明るく過ごしたいと願っています。

しかしクリスマスイヴの24日の夜には近所の教会の礼拝やミサに参加してみましょう。何処の教会も、信者でない人々をこの日は特に大歓迎します。後ろの方で静かに見物するだけでもクリスマスの意味が何となく分かると思います。

今日はミサの後で、マルセリーノ神父様の講話がありました。今日から12月25日のクリスマスまでの待降節の間はイエス様の教えを思い出したり、何故この世へ降誕してきたのかを静かに、深く考える時期だそうです。復活祭の前の四旬節は節制をして悔い改め行いを改める期間ですが、クリスマスの前の待降節は心を覚ましてイエス様の誕生と、その救いと、再臨を注意深く準備する期間なのです。静かに心の準備をします。ですから度を過ごしたお祝いの仕方はしない方が良いのです。

マルセリーノ神父様は時々小金井教会へ来て下さいます。私が尊敬する神父様の一人なのでそのご紹介を以下にしたいと思います。

マルセリーノ神父様はスペインのクラレチアン宣教会の方ですが、日本に永住なさっています。

この神父さんはいろいろな意味で特別な方です。これ以上素朴な人を見たことがありません。小柄なスペイン人で、兎に角純粋に一途です。信仰以外何も持っていません。説教でも神学的な理論を振り回すことは絶対にしません。ただ自分が篤くイエス様を愛している事だけを話します。それだけです。

この素朴さのお陰でマルセリーノさんが好きだという人々が多いようです。クラレチアン宣教会の日本本部が関西にあるため、関西のフアンが多いようです。その関西のファンがある時スペインへ旅をしてマルセリーノ神父さんの出身のアルデス村へ寄ってきました。その折の写真がhttp://www.cybersuds.co.jp/ge/kitaichi/1/index.htm公開されています。

その中からアレデス村の風景写真と、マルセリーノ神父様が母上にお土産を渡している様子の写真を転載させて頂きました。神父になり外国へ派遣されると故郷へは一生の間、2、3回くらいしか帰れません。マルセリーノさんの出身の村では、神父になり日本で働いているマルセリーノさんを誇りに思っていることでしょう。自慢に思っていることでしょう。日本とスペインの交流はザビエル以来、脈々として続いているのです。(終り)

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木曽、御嶽中腹の濁河(ニゴリゴ)温泉は本物の温泉です

2010年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

東北地方で生まれ、温泉へ行く以外に楽しみの無い時代に少年期を過ごしたので温泉については特別の想いを持っています。硫黄泉、ミョーバン泉、炭酸泉、食塩泉、アルカリの強いヌルヌルの温泉、得体の知らない真っ黒な温泉。東北地方には源泉の種類がいろいろです。同じ旅館に3種も4種も源泉の違う温泉の浴槽が並んでいるのも珍しくありません。

本物の温泉とは鉱物質の成分が濃厚で、入浴すると何故かとても元気になります。非科学的な記述で申し訳ありません。

本物があれば偽物もあるのが世の常です。最近1000m以上も真っ直ぐな穴を掘り進む掘削技術が進歩しました。1000m以上掘れば多くの場所から熱水が出て来ます。それを温泉と称していますが、私はそれらの大部分を偽物と思っています。泉質が良くないのです。入浴して元気が出ないのです。そのような経験からすると一昨日泊まった御嶽山中腹の標高1800mの所にある濁河(ニゴリゴ)温泉は本物の温泉です。沸かし直しも不要で、そのまま浴槽に溢れさせています。下に旅館「御岳」の浴槽の写真を示します。硫黄泉ですが、硫黄はそんなに濃厚ではありません。褐色です。入浴すると芳しい硫黄の匂がして途端に元気がでます。少年の頃何度も入った東北地方の温泉場を思い出します。夜になっても体が何時までも暖かいのです。

次の朝、近くの滝を見に行きました。写真にある滝壺の上の方に析出した硫黄がビッシリと岸壁を覆っています。滝が温泉なのです。滝壺の色が不思議な青い色しています。温泉源が山のあちこちに自然に開いているようです。

この御岳旅館には階段を160段(標高差60m)下りると、渓流沿いに大きな混浴の露天風呂があるそうです。帰りの登りがキツイので行きませんでした。そこはより強い泉質の温泉だそうです。登り降りに自信がある方へお薦めです。

館内の浴槽と露天風呂の写真と硫黄が岸壁を覆っている滝の写真をお送り致します。温泉好きの方々にお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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旅の趣味・・・未知への憧れと少しばかりの危険な経験

2010年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

人々は何故旅に出るのでしょうか?そして旅を趣味にしている人々が多いのは何故でしょうか?西行法師や芭蕉のような偉い人のことを書こうとは思っていません。

私のような凡人でも旅を趣味にしているのは何故でしょうか?その理由は人様々です。未知への憧れと言えば大雑把過ぎます。外国旅行のことは別にして人々が国内旅行に出る理由を考えてみましょう。

見た事も無い美しい風景を見たい。食べたことも無い美味しい食べ物に遭遇したい。泉質の良い本物のかけ流しの温泉に入りたい。都会では失われた昔の日本の生活を体験して見たい。地方にある独特の工芸品やお土産物を探して見たい。設備やサービスの良い旅館、ホテルの泊まって高級な生活感を楽しみたい。趣味の写真で特定のテーマの傑作写真を撮りたい。理由はどれでも良いのです。

しかし旅が飽きない趣味となるには多少の危険な体験が含まれる必要があると信じて居ます。危険とは言い過ぎで、日常慣れ親しんでいる便利な生活ではなく、非日常の経験の連続と言えます。例えば出発の日は朝4時に起きる。団体旅行なら集合地に遅れずに集まる。その後は全ての場所で、時間厳守です。団体行動の流れに従う。厭な店でも楽しそうに見て回る。決められた旅館や温泉には喜んで入る。文句を言わない。何時もニコニコしている。こういう配慮は楽しい団体旅行の原則です。日常気ままな生活をしているとこれは大変不便な事です。時間厳守は鉄則で、遅れると置いて行かれます。それはスリルある危険性でです。

こんな窮屈な団体旅行でも自分独自のテーマを持って、考えながら行動をすると自由な雰囲気を味わえます。今回の木曽、御嶽山中腹の濁河温泉への旅では2つのテーマを持って行きました。

(1)北海道の山々、奥多摩と秩父の山々と木曽の山々の風景としての違いは何処にあるか?

(2)神道の御嶽教とはどういうものなのか?

明快な答えを持って帰ってきました。(1)ですが、木曽の山々は北海道の大雪山と同じように雄大な印象を与えています。奥多摩や秩父の山々のようにスケールが小さくてチマチマした風景とは全く違います。北海道の山々は広い平原の向こうにあって、山の雄大さと大地の広がりが見て楽しいのです。未知の景観です。刺激を受けます。その一方木曽の山々はスケールは大きいのですが、山々の向こうにまた山々が見えるのです。雄大な大地は何処にもありません。中央アルプス、御嶽の山々、乗鞍と北アルプスに囲まれた開田高原が広がっていますが、雄大な大地ではありません。

下に木曽の山々の風景写真をしめします。上の2枚は御嶽山です。下の方の2枚に写っている山と、その中に抱かれた家の風景もお楽しみください。

さて御嶽教ですが、検索するとその成立の歴史が出て来ます。しかしその教義は分かりません。ところが今回寄った「霧しな」という麺類製造工場の社長さんが工場案内の後で、御嶽山を指さしながら教えてくれました。人々は死んだら皆が神様になるのです。そして御嶽山に住んでいるのです。ですから無くなった祖父母や両親に会いたくなったら御嶽山に登れば良いのです。先祖の供養をしたいのなら毎年1回や2回は決まった日に頂上まで登ります。この頃の若い人は信じて居る人が少なくなりましたがこの信仰な根強く続いています。

どなたか博学の方々が御嶽教の教義をお教え下さることをお待ちいたしています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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