後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京のアメリカ大使館から時々メールが来ます

2010年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

私事で恐縮ですが、1960年から1962年までフルブライト留学生として米国政府から経済的支援を頂きました。その後1969年から1970年まで西ドイツ政府のフンボルト研究留学生になりました。

その後何十年にもなりますが、アメリカ大使館とドイツ大使館(ゲーテ・インシュツテート)から連綿といろいろなメールやカレンダーや手帳が届きます。

日本政府が政府の予算を使って外国人を日本へ留学生として招んでいますが、はたしてアメリカ大使館やドイツ大使館のような息の長いコンタクトをしているでしょうか?政府の予算を使う以上、日本の国益になるように本気で努力しているでしょうか?

日本の役人の仕事ぶりから考えると留学生を長期的に日本の味方として維持し、国益を守る努力をしているか?とても心配です。

留学制度は税金を使っている以上、慈善事業ではありません。納税者の益になるように努力すべきです。

特に感心するのはアメリカ大使館のやり方です。メールをくれる担当者が個人的な自己紹介を簡単にして、人間的なメールを日本語で送ってくれます。担当者が交代するときは何処へ転任なったかを挨拶状と共に送ってくれます。いかにも個人を大切にするアメリカ的な良い文化です。

私はアメリカの悪口をこのブログで時々書いています。しかし総合的には親米的な見方をしています。悪い部分は悪いと書く。良い所は良いと書く。時々悪い事を非難してもアメリカ側からは苦情が一度も来ません。アメリカ文化の素晴らしい所です。

以前、チベット問題で中国政府を非難しました。1週間後、このブログは中国で開けられなくなりました。それまでは上海在住の友人がよく見てくれて居ましたが、その後はこのブログは中国では開かなくなっています。まあ、それでも私は中国人を個人的に好きですが。

昨日、アメリカ大使館から来たメールを以下に例として添付します。

公募中のフェロー・プログラムの応募資格のある方々は振るってお申込みなさるように祈っています。(終り)

========国務省プログラム同窓生の皆様へ========

平素よりAlumni(同窓会)活動をご支援いただき、誠にありがとうございます。

さて、早速ですが、現在ご活躍の同窓生の皆様に向け、Yale World Fellows Program参加者募集 をご案内申し上げます。

Yale World Fellows Program募集要項

期間:20118月中旬~12月中旬17週間)

対象:Mid-careerプロフェッショナルの方々(少なくとも5年以上キャリアをお持ちの方で、キャリアが20年以下の方)

内容: 

1. World Fellows Seminar

2. Skill-building sessions

3.   Weekly panel discussions

4. Monday night dinners with distinguished speakers

および

  個々人の専門に沿ったSemester-long coursesへご参加いただきます。

  また、ニューヨークおよびワシントンで、経済界、政府機関、財団、 メディア、国際機関など の代表との会合のための旅行も予定されています。費用:住宅費、渡航費、医療保険および生活費(US$32,500支給さます。

使用言語:英語

募集締切:2011114日(金)

応募書類提出方法:オンラインにてご応募くださいhttps://apply.yale.edu/worldfellows/Enter

            詳細は下記の案内およびhttp://www.yale.edu/worldfellows/application.html にてご確認ください

またConnect USA http://connectusa.jp/)でもご案内しております。      

応募詳細に関する問合せ先: Leslie Powell, Director of Outreach & External Affairs

   leslie.powell@yale.edu  +1 203 432 1916  

*米国大使館は問合先ではないので、ご注意ください。

ぜひ、ご応募お待ちしています!

*アラムナイ・ウェブサイトに登録がまだという方、ぜひこちらのサイトhttps://alumni.state.gov/landing-page?op=auth;method=createAccountからご登録ください

米国大使館広報文化交流部 


戦没画学生の絵画(5)山之井龍朗さんの「少女」

2010年11月29日 | インポート

011 大正9年、横濱生まれ、絵画は洋画家だった父から習う。昭和16年出征。1945年5月9日、フィリッピン、ルソン島バギオにて戦死。享年24歳。

尚、龍朗さんの弟、俊朗さんも後から出征し、龍朗さんの戦死よりも前に戦死してしまったのです。俊朗さんは昭和18年4月26日南洋の海に沈む。享年21歳。

この絵はきっと妹の百合子さんを描いたものと思います。

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絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、98ぺージです。


日本の歴史上最良の時代に生きる幸せを噛みしめる毎日

2010年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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皆様はこの横濱の山下公園の写真をご覧になって何を感じられますか?都会のあちこちによくある公園の風景です。

これを見て、私は大きな喜びを感じます。地面に紙屑が一つも落ちていない、その清潔さに吃驚しているのです。人々が決して紙屑を捨てないのです。公徳心が高いのです。

道路も駅も公衆トイレも清潔です。どんな地方の村に行っても全てが完全に清掃され、清潔です。このような国に住んでいる私はしみじみと幸福感を味わっています。こんな時代は日本には無かったのではないかと思っています。もっとも後で書くように戦国時代に来たイエズス会の神父は日本の清潔さに驚いていましたが。

しかし人々の公徳心は一朝一夕に高くなったのではありません。終戦後の混乱期の話は古すぎるので止します。しかし1960年にアメリカへ留学したとき受けた大きなショックを忘れる事が出来ません。彼らの公徳心の高さに打ちのめされたのです。道路も公園も紙屑一つ有りません。当時の日本の公共の場所はゴミや紙屑が一杯でした。人々が勝手に捨てるのです。とくに観光地はゴミの山で、それが当たり前の事だったのです。車の窓からはポイポイとタバコの吸い殻を捨てます。

若く単純だった私は戦争に勝つ国は公徳心が高いものだと吃驚し、純粋に感動しました。

その後、日本人の公徳心は2度大きく上がりました。一度目は1964年のオリンピックから高度成長期です。外国人観光客を大いに呼び込むためにも道路や駅や公衆トイレを清潔にしました。しかしそれは他国の人々を意識した公徳心で、本物ではありません。本物の高徳心が一気に育ったのは1990年のバブル経済の崩壊後です。経済成長が止まった日本人は自信を失うのです。しかし間もなく人々は経済成長だけを目標に生きる愚かさに気がつきます。人生観が多様化します。そして成長神話にとりつかれ足元をみる暇のなかった生き方を反省するのです。

その結果はいろいろな形で現れました。抽象的な言い方で恐縮ですが、日本人が内省的になり、人間らしく生き始めたのです。文化の質が変化したのです。

公共の場所を清潔にするのは自分の心の平和の為にするようになりました。外国から来る観光客の為にするのではありません。

このような公徳心の高い時代は明治維新以来初めての事と思います。

日本の歴史上で最高の時代とは言えませんが最良の時代の一つではないでしょうか?戦国時代にフランシコ・ザビエルとともに来たイエズス会の神父がその本部へ送った書簡で、日本人の公徳心の高さを絶賛しています。日本のどんな片田舎へ行っても道にはゴミが無く掃き清めてある。家家の周りや庭先も整理整頓され乱雑さや不潔感が感じられない。それ以前に通ってきた東南アジアの国々とはまったく違うと報告しています。

誤解を恐れずに断言すれば、公徳心の高低こそが文化の高さを決めているのです。私はこのような時代に日本に生きていることを誇りに思っています。最高に幸せだと思っています。

このように幸せに思う理由はもう一つあります。豊かな食生活に恵まれている事です。

例えば1970年と現在の2010年の間の様変わりを見てみましょう。

当時は経済の高度成長が始まったばかりで、都会と地方の生活レベルに大きな差がありました。都会にはスーパーマーケットが有りましたが、その規模は小さくアメリカと比較するとみすぼらしいものでした。そしてファミリーレストランやマグドナルドやケンタッキーフライドチキンのようなファストフードの店は有りませんでした。そして街には質素な食堂がありました。ソバ、ウドン、丼物だけでした。店の中も小さく、暗く、テーブルも粗末でした。

人々は毎日自宅で食事をし、弁当を持って職場へ通いました。私も妻の作る弁当を毎日持って通ったものです。1970年当時の食生活は単純でした。朝はコーヒーにトーストと目玉焼き。昼の弁当は米のご飯に梅干し、そして野菜、魚のおかずが隅についています。夜はご飯に味噌汁、そして魚、時々肉料理です。外食はめったにしませんでした。出張で旅に出る時は地方の町にある食堂ですませます。兎に角、ご飯を沢山食べました。

40年後の現在はどうでしょうか?弁当を持って職場へ行く人は非常に少なくなり、外食が普通です。ファミリーレストランがそこかしこに有ります。家庭の主婦も幼子連れで食べています。老人夫婦も昼食はレストランで食べる人が多いのです。その上、レストランの種類が豊富です。寿司、天麩羅専門店、ウナギ屋、イタリアンにフレンチ、タイ料理店、中華料理店、こだわりのラーメン専門店、何でもあります。

レストランが増えただけでありません。美味しい食材が世界中から安く入ってきます。品質の良い食材です。1969年に私はドイツへ行き、1年間住みました。ドイツに行って一番驚いたことは卵とソーセージの美味しいことでした。日本の鶏卵は大きいのですが味が魚臭くて淡泊過ぎて不味いものでした。ソーセージは形は同じものが有りましたが品質が劣悪で、まずい代物でした。その上、魚肉ソーセージという変なものが横行していたのです。野菜や果物も形は悪いのですが、味が鮮烈で感動しました。ドイツへ行って食品の美味しいことに涙が出た思い出があります。

現在は日本の食品の質も上がり、美味です。食べ物の量だけでなく味が洗練され、大げさに言えば文化の香りさえします。それを私のような一般庶民が毎日楽しめる時代になったのです。下の写真は今回、木曽の御岳の中腹の質素な旅館で出た飛騨牛をメインにした夕食のお膳です。この写真の他に、刺身、天麩羅、鮎の塩焼き、蒸し物、などなどが時間をおいて出て来たのです。その豊かさと美味に感動しました。戦後のことを思い出して感動したのです。

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このような時代は日本の歴史の中に無かったと断言しても反対する人は居ないと信じています。食生活の事を考えると現在は天国のようです。特に戦前、戦後のひどい食料難を通ってきた高齢の日本人にとっては夢のような世界です。このような国に育て上げてくれたいろいろな立場の人々へ感謝します。

私が最近、戦没画学生の残した絵画を時々掲載しているのには深い理由があります。このうように豊かな日本になったのは貴方がたのお陰です。どうぞ天上からこの日本を見降ろして楽しんで下さいという鎮魂のためです。そしてもう一つは、自分自身がこの最良の時代の日本に生きて居る幸せを骨身に沁みて忘れないようにするためです。忘れなければ感謝の気持ちが自然に湧いて来ます。毎日が幸福感で満たされます。(終り)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人