1958年に大学を卒業しました。学生の頃、ルース・ベネデクト女史の書いた「菊と刀」という本を読み感動しました。それ以来、文化人類学関連の本を読むのが趣味になってしまいました。
欧米や日本の文化人類学者が少数民族を訪問し、一緒に住んで、その文化を報告した本を買い集めては読みました。どんな民族の文化にも平等に価値があり、それぞれを大切に維持できれば人類の精神が豊かになり、幸多き未来をつくれる。これが私の信じていた事です。信条として現在も大切にしています。
それで気がついたのですが、日本にもかつてアイヌと言う少数民族が住んで居たのです。そのアイヌ人と昔付き合っていました。
その追憶を以前掲載しましたが、再びご紹介したいと思います。
皆様からもアイヌに関する思い出をコメントとして、ご投稿頂けます様にお願い申し上げます。
=======あるアイヌ一家の思い出============
終戦後の小学5、6年のころ、仙台市の郊外に住んでいました。その頃、学校の裏山にある開拓の一軒にアイヌ人家族が住んでいました。同じ年ごろの少年がいたのでよく遊びに行きました。トタン屋根に板壁、天井の無い粗末な家の奥は寝室。前半分には囲炉裏(いろり)があり、炊事や食事をしています。父親は白い顔に黒い大きな目、豊かな黒髪に黒髭。母親も黒髪で肌の色はあくまでも白いのです。
少年は学校に来ません。いつ遊びに行っても、1人で家の整理や庭先の畑の仕事をしています。無愛想でしたが歓迎してくれているのが眼で分かります。夕方、何処かに、賃仕事に行っていた両親が帰って来ます。父親が息子と仲良くしている和人へほほ笑んでくれました。それ以来時々遊びに行くようになります。アイヌの一家はいつも温かく迎えてくます。いつの間にか、アイヌの少年と一緒に裏山を走り回って遊ぶようになりました。
夏が過ぎて紅葉になり、落ち葉が風に舞う季節になった頃、ある日、開拓の彼の家へ行きました。無い。無いのです。忽然と家も物置も消えているのです。白けた広場があるだけです。囲炉裏のあった場所が黒くなっています。黒い燃え残りの雑木が2,3本転がっています。
アイヌ一家になにか事情があったのでしょう。さよならも言うこともなく消えてしまったのです。これが、私がアイヌと直接交わった唯一回の出来事でありました。60年以上たった今でもあの一家の顔を鮮明に覚えています。
第二次大戦後までは純粋なアイヌの家族が日本人に混じって東北地方にもひっそりと生きていたのです。
以前、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もあります。敗戦後の仙台の郊外で付き合ってアイヌ人一家のことを懐かしく思いながら感慨深く見て回りました。茫々、あれから50年、あの一家の運命はどうなったのでしょう。
ウィッキペデアのアイヌ民族の項目には1904年、北海道で撮影したアイヌでの集合写真があります。どう見ても日本人とは全く違う民族です。この民族が消えてしまったのです。明治以後の日本人が消してしまったのです。
私の付き合っていたアイヌ一家の夫はこの写真の右から3人目のような風貌でした。妻は右端の女性のように見えました。服装は日本人と同じでしたが、色が白く、目鼻立ちの彫りが深く、滅多に声をあげない人々でした。いつもニコニコしていましたが何かもの悲しく、消えゆく民族の運命を悲しんでいたようです。皆様でアイヌの人々と直接交わったご経験がおありでしたなら是非体験談をお聞かせ下さい。
下の写真の出典:(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C)