後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

荻野誠人さんへ答える一文・・・「汝の敵を愛せ」に関連して、

2010年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

私自身が「汝の敵を愛せ」という目標に向かって段階的に努力していますという事実を書きました。この段階的努力方法は他人から教わったことではなく私自身が考えた方法です。ですからイエス様は間違っているとお叱りになるかも知れません。

その上、私は四六時中これを実行している訳ではありません。時々実行しています。四六時中、実行していたら夫婦喧嘩が起きる筈がありません。ですから妻は笑うのです。

その一方で、このブログを読んで下さる方を大切にしたいと思います。ですから読んで下さる方々へ感謝の気持ちをお送りすべく、いろいろ工夫して書いているのです。読者を攻撃したり、不愉快にさせるような内容は一切書かないようにしています。それが建設的であると信じています。

それと日本人へ対して不愉快なことをする中国人やロシア人を愛するように努力しています。その一例が、敬启向在日本工作、留学的各位中国先生之信:日本に居る中国人へ送る書 です。

さて、前置きはこの位にして、荻野誠人さんからのご質問を考えて見ましょう。

=======荻野誠人さんからのご質問の抜粋======

今回も、「無理、無理、そんなの無理です」を拝見し、藤山様の方法を貴重な実例と思い、多少質問をさせて頂いた上で、当方の掲示板やメールマガジンでご紹介しようと思って準備しておりました。
ですが、先ほど「ブログはウソのせかい」を拝見しました。失礼な言い方で心苦しいのですが、もし本当にご提案の方法を実行されていないか、あるいは、他の方の実例でもないということですと、今回はご紹介は見送った方がいいかと思いました。私としては、もし実行されていないのでしたら、最初にそうお書き添え下さった方がありがたかったのですが。自分の都合ばかり並べて失礼いたしましたが、今後ともこちらで勉強させて頂きたいので、どうかよろしくおつきあいのほど、お願いします。======

お答えは簡単明瞭です。汝の敵を愛せという教えに近づくために段階的な方法を考えて、実行しています。それはまぎれもない事実です。しかし段階的方法ではイエス様の教えの世界へ到達できないのではないかという危惧を持っています。荻野さんは到達出来るとお考えでしょうか?

さて「ブログはウソのせかい」という記事はブログが宿命的に持っている虚構性の危険を書いてみたかったのです。virtual worldであり、 real world では無いという事実を我々はもっと深く認識したほうが良いという警鐘を鳴らすつもりで書いたものです。現実の世界にシッカリ足を下ろして物事を考える事を疎かにすると人間の精神が不健全になるのでは無いかと恐れています。何が健全で、何が不健全な精神なのかは又別の記事で書いてみたいと思います。

荻野さんのブログを見ると、何故か健全な精神が背後に横たわっていると感じることが出来ます。私の「ブログはウソのせかい」という記事ではそこまで明快に書きませんでしたので誤解なさったものと思います。済みませんでした。舌足らずでした。

最後に色々誤解を招くような書き方をしたことを謝ります。荻野さんの疑問が解けます様にお祈りしています。敬具、藤山杜人


松蓮寺跡地にある百草園へ行ってソバを食べてきました

2010年11月03日 | 写真

高幡不動の裏山と峯続きの小高い山の上に奈良時代に松蓮寺という寺がありました。約600年存続していましたが鎌倉幕府滅亡の戦いの1333年、戦火で焼失して廃寺になってしまいます。それから約400年後の1716年に小田原城主の夫人が徳川家康の息子を供養するために松蓮寺を再興します。しかし、その157年後の1873年(明治6年)に廃仏毀釈により再び廃寺になります。その跡地を実業家の青木角蔵さんが買い取り、松蓮寺の庭園を整備し、1887年、明治20年に百草園として開園しました。

明治時代の有名な郊外公園として、若山牧水をはじめ多くの文人が訪れます。現在は京王電鉄の所有になっています。

時々散策に行きますが、いつ行っても静かなところです。今日は家内と散策し、よもぎソバを食べてきました。裏山の頂上からは新宿副都心の高層ビル街がはるかに見えます。奈良時代に立てられた松蓮寺の運命を惜しみながら裏山の山道を歩きまわって来ました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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あなたの青春は燃えていましたか?それとも灰色でしたか?

2010年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム
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50歳、60歳と年をとって来ると自分の若い頃のことを時々思い出します。若い頃は元気に、よく遊び回り楽しかったと思い返す人々も居ます。花の青春。燃える青春。などという言葉があるくらいですから人生で一番華やかで楽しい時期という人々が多いのでしょう。しかし私自身の青春は灰色の青春でした。楽しさより苦労の連続だったような気がしています。それだからこそ、こうして毎日何んの心配も無く楽しく遊び暮らしている老境の日々が嬉しいのです。

しかし、昨日、昔の同級生のKTさんから下のようなメールを頂きました。そしてKTさんの青春が燃えて居たことが分かりました。と、同時に、「ああ、そうだ。それは考え方次第だ!」と釈然としました。その瞬間から私の青春も燃え出しました。輝きだしました。青春も楽しかった。老境も楽しかったと思うことにしました。KTさんが書いています:「生者必滅、われわれもやがて一人残らず旅立ちます」。そうです。燃える青春であろうが、灰色の青春だろうが皆居なくなります。親、叔父叔母、親類、恩人、友人が一人去り、二人さり、気がついたら身の周りが淋しくなりました。そういう事なら私は自分の青春が燃えて、輝かしいものだったと信じることにしました。KTさんからのメールの抜粋を示します。

========KTさんからのメールの抜粋===========

藤山さん:しばらくご無沙汰して失礼しました。遅い反応、なにとぞお許しを。<先週までしばらく不在にしていました>

ヨットの会、船の提供はもちろん、開催のたびの企画、連絡、準備、それに開催時には終始気配りをしていただきましたことなど、本当にありがとうございました。そもそも「ヨットとセーリング」なる爽快な遊びについて私自身なんの知識もなく、ただ藤山さんの好意に甘えて、導かれるままにその楽しさを知りました。さらに、その興奮を勝手な提案に結び付けてしまいましたが・・・。「藤山セーリング会」は実に4回も実施していただいたのでした。

波間に眺めた筑波山のイメージは今も新鮮によみがえります。ただ、それ以上に忘れがたいのはあの会のいちばんの価値   後藤さん曰くの「湖上クラス会」です。生者必滅、われわれもやがて一人残らず旅立ちます。かつて仙台のキャンパスで燃やした青春の火を、たとえ寸時でもあの霞ヶ浦の湖上で再燃できたことは思いがけない幸運でした。ではお元気で、くれぐれもご自愛を。KT

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青春が輝いていたか、灰色だったかはある程度、貴方の考え方次第と存じます。

今日は、皆さまの青春が燃えて、輝かしいものであったと思えますようにお祈り申し上げます。藤山杜人