後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フライフィッシングの店、Loop to Loop をご紹介いたします

2010年11月13日 | うんちく・小ネタ

JR中央線、武蔵小金井駅北口と自宅の間にLoop to Loopというお店があります。美しいオリーブ色の外装と洒落た内装が見えます。その前を通る度に心が豊かになります。しかしお客さんが居るのを見たことがありません。いつもほの暗い店の奥にご主人が一人坐って釣道具を手にしています。ある日、勇気を出して店の中に入りました。フライフィッシング用の釣竿、疑似針、釣り用の服からカヌーまでがキチンと飾ってあります。店の内部はアメリカの東海岸のニューイングランドの雰囲気をかもし出しています。御主人は横田正巳さんとおっしゃる方です。フライフィッシングの奥の深い楽しさをいろいろ教えて下さいます。その一方で、日本古来の釣り方も奥が深いと褒めます。毛鉤釣りはもとより、へら鮒釣り、アユの友釣り、いろいろな海釣りの繊細な巧妙さは西洋の釣り方と優劣がつかないと言います。どんな民族文化も優劣が無い。等しく貴重なのです。常日頃の私の信条と合致する、嬉しい事を言ってくれるのです。

若い時、フライフィッシングに魅了され、それがライフワークになったそうです。

多摩川や富士五湖でこの優雅な釣りの講習会を数多く開催しています。その数多くのお客の注文で貴重な釣り道具を販売し、送付しています。従ってお店へお客が来なくてもよいのです。

横田さんは若い頃知ったフライフィッシングの奥深い楽しみを多くの人々へも知って貰おうとして活動をしています。フワーット投げる釣り糸の描く孤線の美しさ。湖水の動きと棲息する昆虫の注意深い観察。マスの動きと釣り針へ魚がかかった時の手ごたえ。吊り上げるまでの楽しみ。全てが魅惑的なのです。

いつか講習会の様子を取材して、また紹介記事を書きたいと思います。

下にお店の内部の写真と横田さんの写真を掲載いたします。

尚、Loop to LoopのHPは、http://www.ltl.jp です。HPの中にブログのアドレスもあります。釣りの写真が沢山出ていて楽しいブログです。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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時代の証言者、不破哲三氏がホーチーミンに会い、感動する

2010年11月13日 | インポート

この記事のすぐ前にホーチーミンの部下として抗仏戦争に参加した元日本兵の話を紹介しました。今日の読売新聞で不破哲三氏がホーチーミンに会い、感動したという体験談を語っているからです。戦後、徳田球一や志賀義雄などの武闘路線を平和的革命路線に転換した不破氏の証言は興味津々です。その彼がホーチーミンを絶賛しているのです。そこで、単純な私は、不破さんの今日まで10回続いた話は全て信用することにしました。不破さんは1966年にハノイでホーチーミンに直接会い、話を聞いて居ます。

ホーチーミンは率直です。ソ連と中国が喧嘩しながらベトナムを支援してくれてますが、出来たら団結して支援して貰いたいと言います。そして最終的にはベトナムは完全に独立します。ロシアにもアメリカにも中国へも頼らない完全独立なのです。そのような確信を持っていたそうです。

不破さんの証言は今日が10回目の記事ですが、全部で20回くらい続きます。共産党の書記長として日本の戦後の歴史を観察し、それをどの様に理解して来たかという話には目の覚めるような面白さがあります。自分が如何に政権側の自民党の言論の影響を深く受けて来たかが分かります。アメリカ側の検閲で日本の出版物が共産党へ不公平な圧迫を与えていたかが分かります。

誤解しないで下さい。私は共産主義や共産党は大嫌いです。人間を劣化させるような側面をもった危険な考え方です。しかし全ての歴史は客観的に自分の頭で考えたいのです。不公平な情報を与えるシステムを憎むだけです。

そういう意味で不破哲三氏の時代の証言は自民党史観に影響を受けた人々の考えを客観的な理解にしてくれます。ご一読をお薦め致します。(終り)


ベトナム戦争に勝ったホーチーミンの部下だった日本兵から直接聞いた実話

2010年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

      1990年代に入り、日本企業は中国やベトナムへ工場を移転・拡大しはじめました。ところが、工場建設の許認可から、生産管理、利潤の送金などでトラブルが生じたのです。日本企業はアメリカやヨーロッパで工場を建設し、順調に生産を続けてきましたが、その経験が役に立ちません。 そういった問題を取り上げ、ある会社が企業人向けに「ベトナム・中国ビジネス講座」という夜間講習会を実施しました。講座を企画・運営した私でした。企画内容を三部分から成っていました。

①現地での工場建設許認可に関する現地の法律・規制を教える。②中国語あるいはベトナム語の初歩を教える。③中国人、ベトナム人が尊敬する政治家の生涯を教える。これら三部分で構成した夜間講座でした。

 ベトナム講座の③はホーチーミンにでした。情報源は大戦後ベトナムに残留してホーチーミンの部下としてフランスと戦った二人の日本兵と一人の銀行家。講師として自らの見聞や体験を語ってもらったのです。

      ◎ 温顔の将校ホーチーミン

「作戦の最中、川を渡ることがしばしばあった。川岸に来ると兵隊は下半身裸になり、服を着た将校を背負って渡る。軍隊では当たり前の習慣である。残留日本人は皆将校になったので、服を着たまま兵の肩に載って渡る。ふと前を見ると、将校服の老人がズボンをたくし上げて歩いて渡って行く。向こう岸にたどり着き、渡河した老将校の顔を見ると、それは温顔のホーチーミンだった。兵隊へ「ご苦労さん」と言っているようにニコニコ顔で振り返っていた。こんな場合、日本軍出身の将校は兵から飛び降りる。一方ベトナム人将校は自分の行動を続ける。ホーチーミンも将校に歩いて渡れと命令しなし、そんなことを期待もしない。しかし、このエピソードは数日でベトナム全軍に広がるのです。ベトナムがフランス軍に勝利したのはグエンザップ将軍の作戦が良かったと言いますが、ホーチーミンの指導のお陰でもあったのです。ベトナム兵の士気が非常に上がったのです。

元日本兵はホーチーミンの部下として戦った6年間を人生の中で一番輝かしい期間だったと言う。

     @日本兵帰還の特別列車

1951年になり、朝鮮戦争が始まりました。ホーチーミンは郷愁の念にかられる残留日本兵に深い感謝を伝え、北京までの特別列車を仕立て送り返した。講師を引き受けたF氏とY氏になぜ残留したのですかと聞いた。「ホーチーミン軍に加われば、食料に困らないと聞いたからですよ。共産主義が正しいとか大東亜共栄圏がよいとか考えませんでした。食べ物の誘惑でしょうね」と言って、笑っていました。これも戦争の現実です。

もう一人の講師H氏は元横浜正金銀行の幹部でした。ホーチーミン軍の財務担当幹部としてベトナムの銀行制度の骨子を作った人です。H氏は「ホーチーミンは官僚主義を憎んでいた。ベトナム共産党もすぐに官僚的文化に染まり、その結果、一般人民が被害を受けていました。ホーチーミンは官僚主義を憎んでいたのです。彼は一般民衆の幸福を第一に考え官僚主義を無くすように度々、部下を直接指導していました。そして、アメリカ、ソ連、中国からの完全な独立を確信していました」と語ったのです。

日本人が外国で工場をつくり、利潤を日本へ持って帰るためには、その国の文化を知らなければならない。しかし文化一般は広すぎます。焦点を絞るのが良いと思います。「ベトナムデホチーミンを人々がどんな理由で尊敬するか?」を知れば工場建設や貿易のトラブルが空くなると思っています。現在の日本人は政治家を尊敬しないからといって、外国人も同じだろうという考えが外国でのトラブルの原因になっていると思います。

この夜間講座は3期、続きましたが参加者が減ってしまって経営が成功しませんでした。はっきり言えば「失敗」です。出資者には申し訳ありませんでしたが、ホーチーミンの部下だった3人の日本人に会え、詳しく話を聞けたことが私の心の財産になりました。(終り

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人