10年程前、東京ステーションギャラリーで「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。
パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。
上の写真に示した無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。
鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。
戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。建物に入って2番目の部屋に縦長の大きなキャンバスに高いビルヂングがあり、前の歩道に小さく通行人が描いてある。背景の明るい青空が白い都会風のビルヂングを浮き立たせ楽しそうな絵だ。間もなく出征して楽しかった都会生活とも別れなければならない。その悲しみが何処となく感じれる。都会生活への惜別の絵だ。
何故か印象に残った一枚。しかし無言館発行の絵画集には収録されていない。編集者の好みに合わなかったらしい。それだけに一層私の記憶に鮮明に残っている。
昨日、銀座で会合があった。出席する数日前から、「あの戦没学生の描いた風景を銀座で探す」というテーマを温めていた。散会後、小雨降る銀座の街々をさまよって歩いた。無い。無い。戦前の白いタイル貼りのビルヂングなど一つも無い。
そうだ。私の探していたのは建物ではなかったのだ。楽しい都会生活と別れて野蛮な戦場の生活へ飛び込む直前の悲しさ、緊張感が見える風景を探していたのだ。
現在の銀座の風景に其れが有る筈がない。あの絵を描いて、出征し、戦死した若い画学生の見た風景は消えてしまった。
その代わり、洒落た、楽しげな店店が並んでいる。戦没した画学生へそのような店の2枚の写真を供えて、冥福をお祈りします。悲しそうに小雨の降っていた夕方の写真です。
少し考える。そうだ、敵国にも戦没した若い画学生が沢山居たに違いない。戦争の悲劇は勝った、負けたという事だけでは済まない。大きな傷跡が残る。
今日は若くして戦没した日本の、そして敵国の画学生の為に、そして残された遺族達の為にお祈り致します。藤山杜人