後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

韓国で反日デモが起きず、中国だけで起きる原因をご存知ですか?

2010年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

本当の原因は知りません。しかし私はこの疑問を長い間、考えています。現時点ではこの原因を以下のように考えています。間違っているかも知れません。何方かお教え下さい。

韓国の朴政権のとき、日本は賠償も支払い、日韓国交正常化が出来ました。しかしその後長い間、反日政策が続き、反日デモもありました。日本のテレビや放送を受信すると処罰されたのです。朝鮮半島を併?し、日本化したのですから当然です。しかし韓国の経済が急成長し、国民が豊かになりました。そして複数党による議会制民主主義が定着し、真の意味での自由主義の国になったのです。

その結果、日本が朝鮮を武力領有した罪は憎むが、人は憎まないという心のゆとりが出来たのです。韓国人は人間として1ランク上になったのです。その事を私は嬉しく思います。同じ東洋人として韓国人を誇りに思います。

ところが一方中国は共産党独裁体制が相変わらず続いています。

これではどんなに経済が豊かになっても反日デモは永久に続きます。共産党が独裁を続けるためには人民が納得する正当な理由が必要です。それには抗日戦争を戦い抜き、勝利したのは共産党だったという教育が絶対に必要です。何故抗日戦争を続行したのかという理由は、日本の侵略と残虐行為にあるのです。このような歴史的事実を小学校の教科書から始まって大学まで根気よく教え込むのです。国民は共産党は偉い。祖国を救ったのは共産党だ。それなら共産党を信頼して独裁を続けて貰おうという気持ちになります。これこそが中国の共産党の狙いなのです。

もう一つ、中国人が非常に恐れる事は中国国内の分裂なのです。清朝末期から1949年の中華人民共和国の成立までの約100年間、中国は内部分裂を繰り返し、民族的団結に一度も成功しなかったのです。その混乱に突け入って侵略したのがイギリス、フランス、ドイツ、日本でした。分裂していたので香港が、青島が、アモイが、上海や北京の租界が、そして台湾や満州が奪取されたのです。ですからこそ中国人は分裂が死ぬほど怖いのです。それにとどめを刺したのが毛沢東の狂気の紅衛兵による国内戦争です。ああ、もう厭だ、厭だ。国内闘争だけは厭だ。それくらいなら平和的な共産党独裁の方がよっぽどましだ。これが中国人の本音です。その上共産党独裁のお陰で急速な経済成長に成功したのです。北京オリンピックや上海万博も大々的に開催し、大成功したのです。欧米に対して中国の面子が立ったのです。共産党独裁、万歳!です。これが多くの中国人の本音です。

こような考え方をしている国民とどのように付き合って行けば良いのででしょうか?簡単ではありません。しかしこれだけは確かです。共産党独裁があるかぎり中国は他の自由で民主的な国家とはまったく違う国のなのです。この認識で外交を進めることが絶対的に必要なのです。民主党政権はこの認識が甘過ぎます。中国との外交とアメリカとの外交交渉は違うやり方が必要なのだと信じて居ます。上記の事に関して皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)


日本人の心の美しさに感動する毎日

2010年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

老境の素晴らしさは働かなくて良いこととしみじみ思います。時間が悠々と流れて行きます。天気の良い日は近所の町々を散策します。すると今まで知らなかったことを発見し、そして人々の心の美しさに感動します。日本の自然は美しいとよく言われますが、心もそれ以上に美しいと思うようになりました。青い水の惑星のこの地に生まれた運命に感謝しています。

今日はJR中央線沿線の吉祥寺と日野市の万願寺という地名の所で発見したことを書いてみます。

吉祥寺という地名があるからにはお寺が有ると思い込んで探して見ました。ありません。それもその筈で、江戸の明暦の大火で吉祥寺の門前町の人々だけが引っ越して来て、お寺は文京区の駒込に残っているのです。引っ越して来た人々が吉祥寺が懐かしくて吉祥寺村という名前をつけたのです。

吉祥寺北口の繁華街を北方向へ抜けたところに月窓寺という静かなお寺を発見しました。お寺を見ると必ず入ってみるのが私の趣味です。すると下の写真のような唐の西安の絵画通りの玄奘三蔵法師の銅像を発見しました。私が好きなお坊さんです。背中には、インドからの経典がビッシリと詰まった重い箱を背負っています。1400年もの前に亡くなったお坊さんを尊敬して、銅像にしている人々の心の美しさに感動します。玄奘三蔵法師が好きで、尊敬している方々へ送る写真です。

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平日にお寺に行くと誰も居なくて静かです。本堂へ、お賽銭を供え、靴を脱いて外廊下に上がります。座って、暫く境内を眺めながらそのお寺の歴史などを考えます。戦乱が有る度にお寺は兵站基地になるので敵方に焼かれるのです。そしてまた再建します。人間の愚かさとお釈迦様を想う心の美しさの両方が行ったり来たりして来たのです。この月窓寺もそうだったのかもしれません。外廊下からの写真です。

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吉祥寺の北口繁華街アーケード通りで買い物に疲れたら月窓寺で一休みすることをお薦めです。ほんの少しでもお賽銭をお願いいたします。

さて話はかわります。土方歳三のお寺の近所に万願寺と言うモノレールの駅があり、その一帯の地名になっています。その名の寺を探して散策してみました。向島親水路という散歩道が木々に覆われています。心地良い道なのでお寺のことを忘れて歩いて行きました。水車があったり、あずまやが有ったりして楽しい小道です。

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このほの暗い小道を500mも歩くと、いきなり明るい川べりに出ます。浅川です。

親子が水辺で遊んでいます。2人の息子と母親との愛情があふれ美しい光景です。

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川下を見やると白く輝く立派な橋がかかっています。行ってみると人間だけが通れる歩道橋なのです。左右の素晴らしい浅川の風景を楽しみながら人間だけがゆっくり渡って行きます。車の騒音が一切無いので急にシーンと静かになったような錯覚を覚えました。そしてそのように人間を大切にしようとする人々の心の美しさに感動です。貧しい戦後に生きた私にとっては、ああ、日本も豊かになったものだとも感心します。

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ふと、橋のたもとを見ると、「万願寺歩道橋」と書いてあります。道行く人に万願寺は何処にありますかと聞きます。笑いながら、よくそのような質問を聞きますが、日野市にはありません。随分昔に無くなってしまったお寺のようで、その歴史も分かっていませんと教えてくれます。これで納得しました。お寺が無くなっても名前だけを残した人々の心根の美しさに感心します。

つまらない老境の日々の事を書きました。つまらい事に感動をもてることに感謝していいます。

今日は皆様も毎日新しい発見をし、楽しい日々を過ごされますようにお祈り申し上げます。藤山杜人