後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人間が好きだから旅をする(1)不登校生から教わったこと

2008年10月23日 | 旅行記

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外国体験のいろいろ(75)在日韓国人・朝鮮人を大切にする、を最後にして「外国体験のいろいろ」シリーズを止めて、その続編として、「人間が好きだから旅をする」シリーズを始めたいと思います。外国で色々な人々に助けられ親切にしてもらいました。外国人という人間が好きになりました。その体験を書き綴ってきました。しかし何の縁故もない数多くの日本人にも親切にして貰い、助けて貰いました。

「人間が好きだから旅をする」という題目の意味は、「人間が好きだから人生という旅を楽しくすることが出来る」という意味です。このシリーズでは外国人も出て来ますが、日本人が数多く出てくる筈です。

今回は不登校の高校生から学んだことを、簡単に書いて見たいと思います。

1994年から1998年まで不登校生が多いある種の高等学校の顧問のような仕事をしていました。通信高校制の勉強を学校形式でさせ、提携した通信制の高校の進級試験を受けさせて、3年後には高校卒業資格を取らせる学校です。代々木高等学院です。

中学校時代や高校で不登校になり勉強について行けなくなった生徒の高校卒業資格取得を支援する学校です。顧問のような立場だったので、よく両親や不登校生だった生徒の相談に乗りました。不登校関係の本もいろいろ読みました。それで明解に分かったことが二つありました;

(1)これは紛れもない病気である。(学校へ行こうとすると頭痛や腹痛が本当に起きる)

(2)病気の原因は複雑であり、またその原因を不登校生と話し合ったり、議論すると病状がますます悪くなる。親や先生も原因を子供に追求したり、説教するとますます悪くなる。

(1)は説明の必要がない。(2)は複雑な心因性の病気の原因を本人と一緒に追求したり議論すると本人はもちろん周りの家族を傷つける結果になる。そのことが病状を一層悪くするのです。間違った親や先生の対応が一層悪くするのです。

病気ですから説教しても直らない。例えば風邪を引いている人へ「咳をするのを止めなさい!そうすると風邪が治りますよ」と言ったとしたら、それは馬鹿げている。不登校生へ学校へ行きなさいということほど馬鹿げた話は無い。本人も行きたいのだ。

病気だからかかり易い人、かかり難い人が居る。かかり易い生徒は「人間関係を作ることに生まれつき不器用な人間」である。

人間関係がうまく作れないのには2つのタイプがある。他人へ対して攻撃的で独善的な人。そしてもう一つは性格が優しすぎて、自分が他人を傷つけるのが怖くて人間関係が器用に作れない。そして、自分の心が傷つくことに過敏になり過ぎる。

不登校になる生徒は圧倒的に第二のタイプの人です。

不登校生と1時間、2時間と話し合っていると、まず彼らの優しさに圧倒されます。こちらが不愉快になるような言葉を絶対に喋りません。数人の不登校生と話し込んで例外なくすっかり好きになってしまいました。人間ってこんなに優しくなれるのだ、という感慨にとらわれます。

すると相談にくる両親へ言うべきことが分かります。「学校へ行きなさい」は禁句ですよ。「不登校は病気だから絶対に直るよ。親だから心配はしているよ。食事だけは部屋へ届けるから健康だけには注意してね。気が向いたらコンビニへでも買い物に行って良いよ。」それ以上のことは言ってはいけないのです。ただ温かい気持ちで接することだけが重要になります。

こんな体験で不登校生が好きになってしまいました。その延長として「引きこもり」なども善い人間性の表れのように思っています。周りの家族の心労が大きいだけに、本人からは距離をおいて、一層好きになって上げればよいのです。でも言葉でいい過ぎないように。(続く)

撮影場所:富士山スバルライン5合目終点から6合目までの登山道にて、

撮影日時:10月13日午前10時前後


東京でまだ萱葺家に住んでいる人を発見しました

2008年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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東京も西多摩郡桧原村の奥の山地へ行くと、昔ながらの萱葺きの家に住んでいる人々が居ます。でも上の写真は青梅市に近い日の出町を車で通っているとき偶然発見しました。江戸時代の後期、150年以上前の造りと推定しました。柱や梁が100年以上も囲炉裏の煙で燻されて真っ黒になっています。しかし梁の材木は太い一本木で、上等な材木を使っています。写真を撮らせてもらおうと、玄関まで行きましたが、お留守でした。上の写真は生垣の外の道路から撮ったものです。掃き清めた庭の反対側には綺麗な白壁の蔵も建っていました。

この写真をよく見ると2階の前面に明り取りの障子が張り廻らせてあり、養蚕に使っていた様子が伺えます。屋根を仔細に観察すると一番下は稲藁で葺いています。その上を萱で葺いて、表面は檜皮葺きになっています。いずれは屋根全体をトタンで覆うートタン葺きになるのでしょうが、この家の家族は先祖伝来の立派な家を大切にして、悠々と暮らしています。

時代がいくら変わっても古い家を修理しながら豊かな気持ちで人生を送っているこの一家へ深い敬意を感じます。お留守でなければお話も聞けたに違いありません。(終わり)

撮影日時:10月15日午前12時頃、撮影場所:東京都日出町、秋川街道沿いにて


現在の老人、昔の老人を少し比較してみる

2008年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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この写真は10月13日午後、富士五湖の山中湖で撮った風景です。水面の風波、空の雲を眺めていると、「この風景は10年後も50年後も変わらない。でも人は生まれ、死んで行く」と考えてしまう。仕事を止めて、毎日遊んで暮らしていると人生で一番幸せなのは引退後と思う。年金があって食費はなんとかなる。趣味を楽しむほどほどの貯えもある。

それで、つい昔の老人のことを考えてみる。昔は年金制度が無い。仕事を止めれば生活に困る。ところが長男が親の生活を支える。嫁や孫たちと一緒に住んで毎日を過ごす。孫の世話をすることが多くなり、趣味などをしている暇が無い。敬老の気持ちがあるので毎日大切にされる。従って趣味など持っている人は少なかっかた。

しかし、よく考えて見ると、江戸時代には現在とはかなり似ている趣味もあった。和歌や俳句を嗜んだり、茶席を楽しんだりする。素人ながら絵を書いて楽しむ人も居る。盆栽に凝ったり、書画骨董を収集する人もいる。お伊勢参りなどの旅を楽しむ人もいる。

このように書くと現在の趣味と同じように見える。しかし現在とひどく違うところは、江戸時代の趣味人の数が非常に少なかったことである。趣味という言葉が無くて、風流人とか好事家と言い、変わり者のように考えられていた。人口の大多数を占める農民には趣味を楽しむ暇など無かった。

しかし、農村の老人は、元気な間は畑仕事を楽しむことが出来た。生産の喜びをいつまでも味わえる。

現在の日本では子供が独立して老人と別々に住んでいる。子供が帰省したときしか孫達に会えない。年金を貰っている人々が増えてきたので金銭的に子供から独立している。それどころか、子供たちより豊かな老人が日本中に溢れている。

現在の老人にとって趣味が重要になって来たのは子供と別々に住むようになったのが原因である。

現在の老人と昔の老人の日常生活はこんなに違ってきた。どちらが幸せか?

山中湖の風波や空に湧く雲の様子を見ながら、こんな愚にもつかない考えで時を過ごして来た。(終わり)


カトマンズのスラム街とストリート・チルドレン

2008年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
藤山様
フィリピン、タイ、インドと スラム街は 発展途上国の都市の大きな問題ですが、その問題が カトマンズでも生じてきています。
貧乏人には 眼を向けない政府ですから、今は見てみぬ振りをしています。

ネパールでは貧しい人たちの山村での生活は、スラムでの生活と 似たりよったりですから、自然環境の違いを除けば、あまり違いはないのかもしれませんが、密集した住居、衛生面では劣悪と言っていいでしょう。
どんな環境の中でも生きていく人間のたくましさはあります。
タイやフィリピンのように 薬物中毒になっている人がいないだけでも まだ健康的な人々です。
                             ひかるの
2008-10-14 火 13:49:04 | URL | ひかるの [編集]
======ひかるのさんから小生のコメントへ対するお答えです=======
何度もご紹介しましたが、ひかるのさんは25年以上、タイ、インド、ネパール、カンボジア、ラオスベトナムなどの南アジアに住み込んでいらっしゃる方です。そのブログのURLは、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ です。
数日前から、特にネパールの首都、カトマンズ市のスラム街やストリート・チルドレンの記述を読み、考え込んでいます。カトマンズはヒマラヤ登山の基地として有名で、古くから、王朝が何代も交代して作り上げて来た美しい古都というイメージしか持っていませんでした。その街のスラムの様子や、街路で生きている子供たちの写真が、生きる厳しさを物語っています。そして、ひかるのさんの文章が、貧しい人々への限りない慈しみと親しみに満ちているのです。
最近、趣味をテーマにして色々書いています。このようなカトマンズの貧しい人々にとっては趣味などは想像も出来ない無縁のものに違いありません。毎日の食べ物を得るだけで精一杯です。趣味とは人々がある程度豊かになり、経済的に余裕が出なければ存在しないのでしょうか?趣味と貧困の関係を論ずることは避けられません。とても難しい問題です。でも何時かは書きたいと思います。(終わり)

10年後の日本(5)木工趣味の拡大

2008年10月21日 | うんちく・小ネタ

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アメリカ文化の特徴は、Do it yourself ! である。それは自分自身でしなさい!という意味の文章である。しかし、それには深い意味が込められている。ヨーロッパ文化ではどの分野でも専門家が独自の権威を持っていて、素人の立ち入りを厳しく禁じている。アメリカでは可能な限り専門家の権威を低く見て、平等な人間関係を作ろうとする。平等の関係を作ることへ神経質になっているようにさえ見える。そんなにまで平等でなくてもい良いのではないか?と呆れることが多い。

素人が大工仕事をする。素人が配管工の仕事をする。車の修理もする。家や飛行機まで自分で作る。素人でも安全に、安くできるようにシステムが出来上がっている。

アメリカは人件費が高いから自分でするのだ。と、日本人は理解するが、それは

Do it yourself ! の表面的な意味しか分かっていないのだ。

自分で作ったものの安全性は自分の責任である。自分の安全は自分で守るという社会なのだ。医者とか弁護士だけは専門家の制度が確立しているが、その他の分野には規制がゆるやかである。

筆者は50年以上も前の高校時代に、「木工クラブ」へ入っていた。そこで電動ドリルで木材へ穴を空けることを覚えた。鋸で板をタテに切る方法を覚えた。カナヅチで釘を真っ直ぐに打ち込むことを覚えた。ところがカンナとノミの使い方は覚えなかった。

それが何十年も後になって、山林の小屋の趣味を豊かに彩っている。三畳のバンガローや2畳の風呂場を作った。八畳の焚き火小屋も作った。木製の机や椅子も作った。

しかし、カンナとノミを使えないので仕上がりの見かけが悪い。素人の作品で、とてもみっともなくて東京では使えない。山小屋の回りも何か貧乏くさくみえるので最近はすべて撤去してしまった。そういうものは作っている間が面白いのだ。

最近、小屋の近所に見事なログハウスが出来ている。先日、可愛い子供が2人いる若夫婦に会った。ご主人がこともなげに言う、「このログハウスは自分達で作ったのです」と。

吃驚して詳しく聞いてみた。アメリカから輸入した家で、すべての材木に番号が打ってあって、順序良く積んで、組み合わせて行ったそうだ。間違わないで組み上げて行くと、素人でも完成できるようなキットになっている。材木は細めの丸太を平らに削ったもので大人2人で持ち上げられる重さになっている。ただし屋根の頂上の梁や急勾配の屋根の骨組みだけは本職に作って貰ったそうだ。子供も手伝って一家4人で少しずつ完成していったという。

勿論、立派な薪ストーブもついている。排煙の再燃焼・浄化装置つきなので煙も出ないという。先日のブログでは浄化装置の開発・普及が期待されると書いたが、すでに実用されている。

山林の中の小屋の近所で見ていると、最近の若い夫婦は何でも自分で作っている。猿よけの大きな金網小屋を作って、美しい花々を咲かせている。庭には風流なベンチや野外テーブルが作ってある。薪ストーブのための薪を綺麗に切りそろえてキチンと積んである。週末になると、東京の自宅から山林の中のログハウスへ来て子供達が自然の中で遊ぶ。

10年後の日本では、このように週末に過ごす別荘が、海辺や山林の中に、今まで以上の速度で増え続けて行くと信じている。少なくとも山梨県の北杜市の山林の中を車で散策していると小奇麗な別荘がどんどん増えている。その幾つかは自分で組み立てた別荘なのだ。それこそ、Do it yourself ! である。(続く)

写真2枚の出典:http://kinoie.co.jp/log/fin.html


白州の名水

2008年10月20日 | 写真

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関東地方のテレビのコマーシャルでは、白州の名水がよく出てきます。ペットボトルのお茶や、名酒やウイスキーに使われているという広告です。背景には甲斐駒ケ岳の白い花崗岩の峰が青く光っています。

名水の出所は幾つもありますが、尾白川はその主なものです。数枚の写真でご紹介致します。(終わり)

撮影場所:山梨県北杜市横手の奥の尾白川にて、撮影日時:10月17日午後2時頃


10年後の日本(4)趣味と贅沢の考え方が変化する

2008年10月20日 | うんちく・小ネタ

このブログでは中古のヨットや山林の中の小屋の話を中心にして、いろいろな趣味の話を書いています。粗末な小屋でも中古のヨットでもお金がかかる趣味です。もっと広く趣味一般を考えてもお金がかかるものが多いものです。

ですから趣味を持つことは贅沢だと言うことも正しいでしょう。趣味なんか、お金持ちの老人が盆栽いじりをするようなもので、真面目な勤労者がするものではありません。まあ、そのような考え方が社会の主流でした。しかし、1960年のオハイオへの留学以来、欧米人と付き合うと趣味の無い自分に疑問を持つようになりました。大げさに言えば劣等感のようなものを感じてきました。その理由は長い間、ヨットや山林の中の小屋の趣味を続けてきたお陰でやっと明解に分かりました。欧米人は個人の人格完成の手段の一つとして趣味を考えているのです。ですから軽薄な欧米人へ、「趣味はありません」と言うと、ーー人格に無関心な悪い人間ーーと単純に誤解されることがあります。

これは間違った考えですね。でもそれが欧米の文化の一部でもあるのです。

さて贅沢とは何でしょう?お金や物を無意味に浪費することですね。

従って趣味がその人にとって重要なものなら、それにお金を使うことは浪費ではありません。贅沢でもありません。実生活に使うお金と趣味に使うお金の比率は各個人が決めることで他人が意見を言わないほうが良いものです。

例えば筆者は45年前に住宅金融公庫からお金を貸してもらい家を作りました。その陋屋を建て替えないで貯金をしながら小屋やヨットの趣味へ使ってきました。

大げさに言えば、住宅金融公庫のお陰で現在の趣味が出来たわけです。ですから趣味に余分な、そして浪費的なお金の使い方をしないようにしています。別荘ではなく粗末な小屋にこだわります。新品のクルーザーでなく格安の中古クルーザーです。筆者の収入からみれば別荘は贅沢のきわみです。新品のクルーザーの金額は遠い世界のおとぎ話のようです。でも、そう感じない人々も居るものです。それはそれで良いことです。人それぞれ趣味を楽しめば良いのです。

もう一つ例を上げます。先日、何十万円もする鋳鉄製の薪ストーブをブログの記事でご紹介しました。それ以来随分悩んだ末に、下の写真のような鉄板製の薪ストーブを新潟県の会社へ注文しました。金額は14700円です。年金生活者にとっては分相応の買い物と思います。

下らない細かな話は止めます。この項では10年後の日本はどのように変わるか?という問題を取り上げています。いきなり話が飛びますが、エンゲル係数というものをご存知ですか? そうです。全収入にたいする食費の割合ですね。エンゲル係数が80とは全収入の80%を食費に使っているということです。終戦後の日本には珍しいことではありません。現在は20や30くらいでしょうか?

このエンゲル係数と類似の「趣味支出係数」を提案します。全収入へ対して趣味へ使うお金の割合です。「趣味支出係数」が10とは全収入の10%を趣味へ使っているという意味です。おっざっぱに言って現在の日本の状態ではないでしょうか?

それが10年後には間違いなく増大します。しかし具体的に20になるか25になるかは予測が難しいです。詳細な議論は次回以降にしますが、この「趣味支出係数」を文化レベルのバロメーターと定義したら異論が出ると思います。でもその議論は面白そうです。(続く)Asw601


暗夜の山林を歩く

2008年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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都会に住んでいると昼も夜もあまり変わらない。店の灯や街路灯が明るいので月夜でも満月に気がつかないこともある。しかし人家が遠い山林の中の小屋に泊まると夜の暗さに吃驚する。

上の写真の左2枚は秋の日に輝く庭の小川と小屋の外観である。いつもは夜になると雨戸を閉め室内にこもって、早々と寝てしまう。何かが怖くて夜は外に出ない。

今回は近くの別荘の主人に夕食をご馳走になったので夜の道を帰って来た。ほろ酔いの勢いでその後も山林の中を散歩してみた。懐中電灯を持たないで歩き回る。林の中の道は鼻をつつまれても分からない闇だ。木々の梢の間からほんのり明るい曇り空がわずかに見えるだけである。山林の向こうの石空川の激流の音が遠くに響いている。時々、名も知らぬ夜の鳥が暗い声を上げている。

この小屋に泊まって夜の闇を体験すると、電灯の無かった時代の人間の考え方がよく分かる。月夜のときしか歩かない。暗くて歩けないのだ。提灯やローソクは随分後の時代になってから用いた。それでも足元しか明るくない。昔から半月がだんだん満ちてくるまで心待ちにしていた事情が深く理解できる。

太陽が上がったら起きて、沈んだら寝る。それが人間の生活だった。夜の世界は妖怪や幽霊の世界だから、よほどの事が無ければ外には出ない。古い時代の人々は色々な妖怪の存在を信じていた。その妖怪達は、今では暗夜の山林の中に移住して生きている。イノシシや猿と一緒に住んでいる。でも人間を脅かしたり、悪戯をしたりしない。小屋の中は人間の世界だ。

ヨットに泊まると外の街路や街の灯が明るい。夜の航海をしない限り、漆黒の闇はない。

山林の中の小屋に泊まると、人間の根源的な生き方を考えてしまう。昔の人間は自然に対してあまりにも弱く、小さかった。しかしそれが故に生きる喜び、人生の楽しさ、家族の有難さを一層強く感じて居たに相違ない。毎日、毎日生きることが歓喜であった。山林の中の小屋に独り泊るとそのような実感が体験できる。寒くても頑張って泊ると、何か深い幸福感を味わえるのだ。(終わり)


イスラム教徒へ親しみを、

2008年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なので教会のミサへ行きました。今年は、ローマ法王に正式に認められて、188人の日本の殉教者が福者になります。そして、やがては聖者になるでしょう。現在は26人が聖者ですから、いつかは214人の日本の聖者が認められることになります。1549年のザビエルによる宣教。そして、それ以来の殉教や隠れキリシタンの歴史が、現在の日本のカトリック信仰の基盤になっています。188人の列福式は11月24日に長崎であります。

そんな説教を聴きながら、「何故キリスト教徒はイスラム教徒を攻撃するのか?」という問題をあれこれ考えていました。キリストは敵を愛せと教えました。殺してはいけないとも教えました。なのに十字軍の昔から、現在のアメリカ軍によるアフガニスタンやイラクの武力占領までイスラム教徒へ対する攻撃は止みません。

その影響で日本人もイスラム教徒へ対してなんとなく疎外感を持っています。

けれども、アメリカの影響とは別にして、日本人はイスラム教徒のことを考えてみる必要があると思います。現役のころインドネシア人の留学生と親しくなり、一緒に研究をしたり旅をしました。決まった時間になると礼拝をします。食事のときは豚肉やラードの入った料理は一切口にしません。酒もタバコも飲みません。

一緒に仕事をしてみると大変柔和で優しい人柄です。豚肉を食べ、酒を飲む筆者を蔑むようには見ていません。同じ人間として大切に思っているのです。研究のうえでの先輩として尊敬すらしているようでもあります。

イスラム教はユダヤ教やキリスト教の親類のような宗教で、アブラハムの宗教の系譜に連なっている一神教です。イエス・キリストも予言者の一人としています。610年に、神が最後の預言者、ムハンマドへ与えたコーランを信じている一神教徒です。高等宗教なので偶像崇拝を禁じています。ムハンマドの後でいろいろな宗派に分かれ、宗派の間で争いが起きたりしましたが、これはキリスト教のヨーロッパで

の宗教戦争と同じことです。

日本は仏教の影響が深い国です。キリスト教徒とイスラム教徒を区別して迫害を与える動機は持っていません。

アメリカがイラクやイランへ攻撃的な理由は、キリスト教とは関係が有りません。

ソ連を屈服させ、中国と平和条約を結んだアメリカへ武力的に挑戦しているのは北朝鮮とイラクやイランだけになりました。圧倒的な武力でイラクへ侵攻しフセイン大統領を捕らえ、殺したのです。

今日のミサの間考えていたことは、「キリスト教徒のしていることはキリストの教えと違う」という問題でした。大切なことは、個人的にキリスト様へ聞いてみることです。返事はしてくれません。でも聞けば、答えが自ずから分かります。直接、イエス様へ聞いてみることです。

下の写真はWikipedeaの「イスラム教」の説明文の挿絵から引用しました。(終わり)

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贅沢は敵だ!

2008年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争中に小学校を過ごした人より高齢の日本人は皆憶えている。「贅沢は敵だ!」とか、「欲しがりません勝つまでは!」というお題目を。筆者も、贅沢に対する罪悪感をいまだに持っている。趣味のためにお金を使うことへ抵抗感を持ってしまう。

テレビの番組によく食物を玩具にするような内容のものが多い。思わず目を覆い、チャンネルを変える。

クルーザーヨットや別荘も贅沢だ!そうです。ですからそれを趣味にする場合には極力お金を使いません。別荘と呼ばないで、山林の中の小屋と称し、粗末な小屋を作ります。ヨットも格安の中古品を購入します。係留料金も年間数万円のところを探します。

戦争中のお題目で「贅沢は敵だ!」という考え方は現在でも正しいと信じています。

(続く)


10年後の日本(3)趣味用の部屋の普及

2008年10月19日 | うんちく・小ネタ

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10年後の日本人の考え方はどのように変わるのだろうか?個性教育は個人的趣味の多様化と拡大をもたらす。そして退職して自由な高齢者の数も増え、趣味の生活を楽しむに違いない。どちらも「個人の自由と尊重」というアメリカ流の考え方へ近づく方向へ変化して行くに違いない。

そのような時代になると家の構造も変わってくる。独立した子供部屋が有るように趣味専用の部屋のついた家が現在以上に普及するだろう。

今回は趣味専用の部屋について書いてみようと思っていた。10月17日に甲斐駒ケ岳山麓の紅葉の写真を撮っているとき、上の写真のような農家を偶然見つけた。構造から江戸時代末期の造りと思い、たまたま見かけた老人へ写真を撮ってよいですか?と声をかけた。

文久年間に出来た農家で、その老人は5代目の当主という。藁屋根の上にトタンを葺き、内装は現代風に改装したが大黒柱、梁、全ての柱などは文久時代そのままと言う。150年以上にわたって住宅として使用している。今後も100年くらいは使えると言う。

帰ろうとすると「チョット見ていって下さい」と横の庭に誘う。そこには正しく趣味専用の別棟の平屋が建ててある。下の3枚の写真がその内部を示す。デジカメが趣味で高性能なプリンターや大型液晶画面が揃っている。壁には作品が飾ってある。一角には薪ストーブがあり、そばにユッタリした椅子がある。これこそ趣味専用の部屋、別棟の部屋である。

地方の農家には土地が広く、遠目にも趣味の小屋のように見えるものがある。急にお邪魔して見せて貰うのも失礼なので、想像だけしていた。今回は偶然ながらその本物を見ることができた。とりあえず写真をお送りします。趣味専用の部屋でどのような趣味を楽しむのか?

それは個人の自由です。でも次回以降に少しずつ考えて行きたいと思います。(終わり)

撮影日時:10月17日午後2時頃、場所:山梨県北杜市白州町横手にて


甲斐駒ケ岳山麓の秋風景

2008年10月18日 | 写真

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10月17日、18日一泊で山林の中に行ってきました。18日に別荘地の道普請があり17人で砂利敷きをしてきました。皆で協力しあって作業をすることがとても楽しい体験でした。17日に近所の秋の風景を撮ってきました。相変わらずの写真ですが秋の風景をお送りいたします。(終わり)

撮影場所:山梨県北杜市の甲斐駒ケ岳山麓にて、


10年後の日本(2)薪ストーブ趣味の拡大

2008年10月17日 | うんちく・小ネタ

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10年後は引退した高年齢者が増える。いろいろ多様な趣味が盛んになる。すると現役中の人々へも影響し、若い人々も趣味の重要性に目覚める。引退後に備えて種々の趣味を少しずつ始める人も増える。

例えば、趣味の一つとして「薪ストーブの趣味」が現在よりも一層盛んになると考えられる。

筆者は、1973年に山梨県北杜市の山中に小屋を作って以来、薪ストーブを30年位使ってきた。しかし5年ほど前に止めてしまった。煙いし、灰が飛ぶし、薪つくりが億劫になって来たからである。しかし、機会があったら又始めようと密かにあちこちのカタログを調べている。以前使っていた薪ストーブは札幌から買って来たり、知人の会社で特に制作してもらったりしたものであった。いずれも鉄板製であったために具合の悪い点がある。鉄板製のものは、長い間の使用中に鉄板が少し変形し、煙が洩れるようになる。やはりドッシリと重い鋳鉄製が良いという。最近は鋳鉄製で前面に耐火ガラスが嵌め込んだものが10万円から30万円で売られている。上の写真は新潟県のホンマ製作所のもので10万円から20万円のものである。

薪ストーブの趣味は、従来は別荘に限るという考え方があった。しかし将来は都会の自宅でも使えるようになると思う。

その為には煙の浄化装置を開発しなければならない。都会では焚き火や煙の排気は禁止されている。薪ストーブの排煙を浄化し無害にし、煙突から出す装置が開発されれば自宅でも簡単に使えられる。

もう一つの技術的な開発は煙突を窓から簡単に出せるような仕掛けの開発が重要になる。もちろん壁に穴を開ければ良いのだが、それは大掛かりな工事になる。注意すべきは煙突の直径である。薪ストーブ用の煙突は普通の煙突よりかなり太くて、直径16Cmのものが多い。煙突は高ければ高いほど良く燃える。

薪そのものは都会地の大型ホームセンターでも売っている店があるので問題は無い。今後、このシリーズで取り上げるが、自宅に趣味専用の部屋を作る人々が増加すると考えられる。その趣味の部屋の中にこの薪ストーブを設置するのが良いと思っている。筆者の夢でもあるが。(続く)

ホンマ製作所:http://www.honma-seisakusyo.co.jp/cn_1/index.html )