後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京富士美術館で開催中の「華麗なるオーストリア大宮殿展」

2009年11月25日 | 写真

八王子市の北の郊外の雑木林の丘に創価大学があります。その正門の向かいに東京富士美術館があります。「華麗なるオーストリア大宮殿展」が10月31日から1月17日まで開催中です。ハプスブルグ家一族の肖像画やシェンブルグ宮殿などの宮殿で使われていた家具、食器、調度などが華麗に輝いていました。13世紀から19世紀まで続いたヨーロッパの王朝、貴族文化の煌びやかさに息を飲む思いがします。

藝術的な感動とは違いますが、貴族文化の存在感に圧倒されます。展示室は全て撮影禁止でしたので入口の看板だけを示します。

一方、常設展示室は第一から第五室までは撮影可です。展示作品の数枚の写真を示します。交通はJR八王子駅から創価大学正門行きのバスに乗って40分位です。東京富士美術館(http://www.fujibi.or.jp/ )を検索して交通、休日、入場料などをお調べの上、お出かけ下さい。

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冬ですね。お花の写真をお送りします

2009年11月25日 | 写真

色々な花々の季節も終り、落ち葉が風に舞う季節になりました。なんとなく淋しくなって来ましたので、お花屋さんの店先の花の写真をお送りします。昨日、家内とシクラメンの花を買いに行った店です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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独身生活が良いか?夫婦生活が良いか?比較こそ客観的に考える第一歩

2009年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、「ブログへ夫婦のことを書く時は独身の人々の事を考えながら書く」という記事を掲載しました。それへ対して色々貴重なコメントを頂き、有難いと思います。

私の舌足らずの書き方で誤解を招いた部分がありましたので、補足的な一文をお送りします。

独身の人々の事を考えて書く、その目的は2つであります。そのような方々へ不快感を与えないように注意深く書くのが一つの目的です。実はもう一つ重要な目的が有ったのです。それは独身生活と夫婦生活の両方を比較しながら書くと、それぞれに対して客観的な評価が書けるという理由があるからです。

私の掲載する全ての記事では優劣を論じません。それは記事を読んで下さった皆様のお仕事です。

よろず物事や思想や宗教は比較して書くと理解し易いのです。より客観的に書けるのです。

しかし,比較出来ないものを無理に比較することは全く無意味であり、読む人を惑わすだけです。

例えばキリスト教の日本正教会と仏教の日蓮宗を比較することは無意味です。

それでは独身生活と夫婦生活の比較は無意味でしょうか?これは重要な意味を持っています。しかしどの指標を使うか?その条件を設定する必要があるのです。その考察は明日以降の記事で掲載致したいと思います。

いきなり話が飛びますが、水が凍る温度と沸騰する温度はどちらが高いでしょうか?

賢明な皆様は沸騰する温度のほうが高いと即座に答えるでしょう。ところが凍る温度を0度と決め、沸騰する温度を100度と決めたのが科学の進歩の第一歩なのです。

比較した結果を定量的に数字で表す。これが科学の第一歩です。

独身生活の点数は何点ですか?夫婦生活の点数は何点ですか?全く無意味な議論ですね。比較は出来るが定量的な評価が全く無意味なものを取り扱うのが文系の分野なのです。理系の分野では定量的に評価します。その結果を数字で表します。

独身生活が良いか?夫婦生活が良いか?という問題は決定的に文系の分野です。それは科学的問題ではありません。(続く)


絶海の孤島への旅のロマン(1)雄大な景観の八丈島と忘れ得ぬ人

2009年11月24日 | インポート

日本列島の周囲には絶海の孤島が沢山あります。現役の間は忙しく、単なる憧れの土地でした。島独特の文化や生活様式を本で読み、心の中でロマンチックな空想を膨らませていました。70歳で仕事を止め、自由な時間が出来たので、長い間憧れていた島旅へ出ます。

八丈島、神津島、伊豆大島などへの船旅です。景色や生活様式、そして言葉が島ごとに違います。無責任な比較民俗学者になったように調べてきました。そして印象深い人に会い、忘れ得ぬ人となりました。ロマンチックな旅にする為に独りで旅立ちます。今回からそんな孤島への旅の思い出を書いて見たいと思います。

冬の強風が荒れる八丈島には今年の1月に4日滞在しました。船も飛行機も欠航になり予定より滞在が長くなりました。今考えるとそれがかえって孤島感を深めて強い印象が残りました。

八丈島は江戸時代から流人文化の地として独特の社会が出来ていたのです。秀吉の家老だった宇喜多秀家をはじめ才能豊かな政治犯が多く流されて来た島です。島の人々は彼らを温かく迎えたのです。流人は恩返しに島の生活が少しでも楽になるように八丈の作り方やサツマイモの栽培法や焼酎の蒸留方法を伝授したのです。方言は沖縄の島々と同じように島ごとに違っていました。そんな生活、文化の様子は次回以降にご紹介いたします。

八丈島で忘れ得ぬ人は八丈島の歴史民俗資料館の細谷昇司氏です。八丈島の歴史や文化について詳しく説明して下さいました。その後もメールでいろいろ教え下さいました。「ながれ」というハンドル名で四季折々の島の出来事をブログに書いていらっしゃいます。 ながれhttp://blog.goo.ne.jp/zuninrunin/)。とても友情の厚い方で現在もメールで色々な事を教えてくれます。

今日は島の雄大な景色と、植物の写真を示します。植物は熱帯に近く、冬でも緑豊かに繁茂しています。八丈島は想像以上に大きな島です。東に10万年前に噴火で出来た三原山、西に1万年前に出来た八丈富士、そして西の海上には八丈富士の弟のような急峻な火山が突き出ています。この3つの山が近すぎず、遠うすぎず、丁度良い距離でどっしりと座っています。この配置が雄大な景観を作っています。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人

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日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」

2009年11月23日 | うんちく・小ネタ

はじめに:先日、短時間お会いした日本正教会の伝教師の金田一豊さんへ教義の内容を書いて送って下さるようにお願い致しました。あまり細かなことまで書いて頂くと一般の方々にはお分かり難いと思い、カトリックと比較して大きな相違を3つだけお教え下さいと頼みました。お忙しい中にも関わらず、下記のような明快な文章を頂きましたので感謝しつつ、ご紹介致します。

======金田一豊師から頂いた文章です============

「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」

(1)まず、神様理解が違います。もちろん殆ど変わらないのですが、微妙な差です。正教会は表現として父なる神がハリストスを遣わしたといいますが、ハリストス自身を父なる神と見ています。つまり神自身が人となってこの世に降りてこられたと強く表現します。それゆえにモーゼに十戒を与えたのはハリストス、燃える芝でモーゼに語りかけたのもハリストスであると言います。モーゼもダビデも皆正教徒であるといいます。

この点が明らかに表されているのがニケア・コンスタンティノプール信経です。「聖神(聖霊)は父より出る」といいます。ローマ教会の理解は知っていますが、「聖霊は父と子より出る」と言うと二つの神から出るというような意味合いにもなりかねないので、二元論を避けるために古来のニケア・コンスタンティノプール信経を用います。

そして神様の説明を比喩的に表すときに、父なる神は太陽、子なる神・ハリストスは注がれる光、聖神゜(聖霊)は太陽から注がれる熱、全てのエッセンスは太陽から来るように神も唯一である。といいます。


(2)正教会は御聖体となるパンは酵母の入った膨らんだパンを用います。ローマ教会も7世紀まで同じであったことは歴史的事実ですがその後に変わりました。

最後の晩餐でハリストスが弟子たちに渡したパンはギリシャ語で「アルトス」と書かれており、これは酵母が入り膨らんでいます。無酵母のパンを用いるのは過ぎ越し祭を迎えてからなので、それより前の最後の晩餐の時は酵母が入っていました。モーゼが無酵母のパンを用いたのは過ぎ越しの祭り以降で、このパンをギリシャ語で「アジモン」といいます。

このように聖書と歴史的事実の内容を正教会は変わらずに、そして変えずに守っています。そして主の死と復活はたった一度の出来事なので、正教会では聖体礼儀(ミサ)のために1つの宝座(祭壇)は一日に一回しか使用することができません。

(3)最後に、マリアの被昇天や無原罪というものは正教会にはありません。特に無原罪と教皇様の無謬性は18世紀に制定されえていますので、正教会はそれ以前の理解を保持しています。なぜ無原罪がないかというと、正教会には原罪がなからです。逆に言うと原罪という教理は全宗教のなかでローマカトリックとプロテスタントにしかない教えですので、正教会は本来のままの教えを残しているということです。正教会の教えは罪は内在するものではなく犯してしまった結果残るものなので「定罪」、つまり自らを罪に定めてしまうという状態であるとします。それゆえに人となったハリストスも、ハリストスを産んだ母マリアも、そして私たちも生まれてくるときには罪を持っていません。罪は犯した結果によるものだからです。そのために母マリアの無原罪という教理も必要がないのです。それから、マリアの被昇天もなく、マリアは人間としての最高の人物であるけれども、通常の人間として死んで眠りにつき、現在は神のもとで私たちのために執り成しをしているとします。

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あとがき:(1)では、正教会ではキリスト(ハリストス)は神自身が天から人の形で降りてきた。すなわちキリストは初めから神であると理解します。カトリックでは人の子としてマリアから生まれたキリストが磔の刑で死んだあとに神の右の座に着きます。

正教会での神の比的な表現は分かりやすい表現です:「父なる神は太陽、子なる神・ハリストスは注がれる光、聖神゜(聖霊)は太陽から注がれる熱、全てのエッセンスは太陽から来るように神も唯一である」

(2)最後の晩餐の時、イエスはパンを取り、割いて弟子へ分け与えます。「これを私の肉として受けよ」と言います。赤い葡萄酒はキリストの血として弟子へ与えます。それを記念して礼拝式(正教会では聖体礼儀と言い、カトリックではミサと言います)の一番重要な部分として聖職者は信者一人一人へ小さなパンを与えます。正教会では史実に忠実に酵母入りパンを用い、カトリックでは酵母の入らない小さな円形のパンを与えます。

(3)正教会には人間には原罪は無いと言います。ですから私たちも生まれてくるときには罪を持っていません。罪は犯した結果によるものだからです。ところがカトリックでは人間はもともと罪を持って生まれてくる。これを原罪といいます。この点が正教とカトリックは違います。

上の教義の違いはキリスト教の諸宗派によって少しずつ違いがあります。しかしイエス・キリストの教えは福音書に書いてある通り皆同じです。その教えを信じ、実行するのがキリスト教の信者であります。宗派による教義の違いをあまり強調するとイエス様の教えを忘れ、神学論争にあけくれする事になります。皆様は如何お思いでしょうか?(続く)


ブログへ夫婦のことを書く時は独身の人々の事を考えながら書く

2009年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログへ時々夫婦のことを書きます。その度に色々な事情で独身で暮している方々の心を傷付けないように祈りながら書いています。ブログは不特定多数の方々が読みます。何方が読んでも不快感を持たないような書き方をするのがネット社会の礼儀だと信じています。

独身にもいろいろな方がいらっしゃいます。まだ結婚前の若い方。種々な事情で離婚した方。まだ若いのに病気や事故で夫や妻を亡くされた方。高齢になって夫や妻が旅立ってしまった方。結婚するのが面倒臭いと独身を通している方々。一生独身を通うすシスターや修道者、そして神父さん。佛教のお坊さんや尼さん。

そのような方々へ対して、「こんな馬鹿なことを書いて、済みません」と謝りながら書くこともあります。しかし夫婦の間の愛や生活の実態は人類共通な普遍性を持っているのです。ですから人間の深い問題を描きだそうとすると夫婦の関係を描くと便利なこともあります。例えば若夫婦、中年の夫婦、高齢期の夫婦の関係は年齢とともに変わって行きます。若夫婦は「有頂天になった愛し合い方」をする時期です。中年夫婦は冷めてきて協同生活者の関係が色濃くなり、子供の教育に苦労します。高齢期になると、又夫婦2人きりになり夫婦であることの重要性が増大します。静かな深い愛情関係が育つ時期です。

しかしこのように書く間にも私の心は痛むのです。中年で離婚したり、死に別かれた方々の深い悲しみを思うと手放しで夫婦の関係は素晴らしいなどと書けないのです。

しかし、人間の他人を愛する心は夫婦関係と母子関係などを見るとなにか崇高な部分を感じます。

母親が無限の慈しみを子供へ与えている光景は、結婚をし子供が出来ると日常的に見ることが出来ます。自分が食べる前にまず食べ物を子供の口へ運んでいます。どんな場合でも子供の味方になって夫へ向かってきます。無限の愛なのです。

論理も宗教も関係の無いこの愛は男性にとっては驚きです。女性は凄いと感心します。

このように書けば独身の方々にも少し参考になると信じています。即ち、夫婦の関係を書く時はその善い側面だけを建設的に書くように努力するのです。すると普遍的な意味も出て来るし、誰が読んでも不快感は持たないと思っています。

夫婦関係の悪い事例や破局を書くのは絶対に避けるべきです。そんなことを書かなくても人生にはあまりにも悲しい事が多いのですから。悲しさを乗り越えて、希望を持ってまた明るく一日を過ごしましょう。

今日もご皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人


水の美しさを撮影することの難しさ!何方かご指導下さい!

2009年11月22日 | うんちく・小ネタ

自分には大昔の水生動物だった頃の遺伝子が入っているせいか、不思議に水を見ると美しいと感じ、写真に撮りたくなります。しかし元々絵画を描くのが下手な上、写真術も貧弱なので、水の美しさを上手に撮影出来ません。自分が美しいと思った感動の十分の一も表現出来ません。下にその失敗作を3点掲載しますので、何方かご指導下さい。どこが下手で、どう写せば少しは良くなるか、その方法をお教え頂ければ嬉しく思います。まず忍野八海での写真を示します。岸辺が水面の美しさを引き立てている風景を撮った心算です。

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次は裏磐梯の五色沼の風波立つ水面の美しさと撮った心算です。

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最後は夕日に輝く霞ヶ浦の水面の美を撮った心算です

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これら3枚の写真はトリミングをしていません。何処かを切ってしまえば、少しましな写真になるかも知れまっせん。どこを何割切ったら良いかご指導頂ければ嬉しく思います。その通りトリミングして再度掲載いたします。どうぞ宜しくお願い申し上げます。藤山杜人


今日の宗教的な記事へ対するコメントと私の答え

2009年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今日はこの記事の下に2つの宗教的な記事を掲載しました。それに対して趣味人倶楽部のYKKさんから下記のコメントを頂きました。それに対する私のお答えも合わせて、ご紹介いたします。

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仕事でお茶の水界隈に行った時は外から眺めるだけでした。
私は神社仏閣は信仰の対象とは見ておらず歴史的建築物として見ます。したがって、お賽銭をあげることはありませんし、初詣にも行きません。子供の七五三も自宅でささやかにやりました。どうしても宗教を意識せざるを得ないのは冠婚葬祭の時だけですね。信心深い人間ではありません。ご容赦ください。

YKKさんへ
私に日記へコメントを下さいまして有難う御座います。
この日記をお読み頂いただけで嬉しく思います。私のような変な人間も居るもんだ、とご理解頂いただけで嬉しくおもいます。
宗教は無理に押し付けたりしないで、お互いあるがままでお付き合いをするのが最高に良いお付き合いと信じています。
正直なコメントを頂き、とても嬉しく思います。
敬具、    藤山杜人


世にもおかしい会話です

2009年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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キリスト教の聖書には現実的によくあるようなお話が沢山あって興味が尽きません。今日のミサで朗読したピラト総督とイエスの会話は現在でもよくある会話のような話です。相手が言っていることを理解できないピラトが勝手なことを言っているから可笑しのです。ピラトは政治権力にだけ興味があって宗教のことには全く無知だったのです。

当時の中近東はローマ帝国の領地で、ローマから派遣されたピラト総督が裁判権を持っていました。イエスの反対勢力のユダヤ教徒がイエスを処刑して貰いたくてピラトへ引き渡します。

ピラト;「お前がユダヤ人の王なのか」

イエス;「あなたは自分の考えでそう言うのですか?それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか?」

ピラト;「お前の同胞や祭司長たちが、お前を私に引きわたしたのだ。いったい何をしたのだ?」

イエス;「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、私がユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、私の国はこの世には属していない」

ピラト;「それでは、やはり王なのか?」

イエス;「私が王だとは、あなたが言っていることです。私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聴く」

ピラトは何が何だか理解できないままイエスへ磔の刑という判決を言い渡します。そして、イエスは、ゴルゴダの丘でローマ兵によって処刑されました。その上、ローマ兵はイエスの着ていた衣服を取り合うのです。当時衣服は貴重だったのです。

ピラトはユダヤ教の有力者が反乱をおこし総督としての自分の経歴に傷がつくのを恐れたのです。

裁判の間、ピラトの奥さんは女の直感で「これは何か変だ」と感じます。そこで夫にこの罪人にはかかわらない方が良いと忠告します。しかし夫は奥さんの言うことを無視します。何でも奥さんの言う通りしていれば良いという、おまけの教訓まで暗示しているように感じます。もっともこの暗示に賛成する人は恐妻家だけでしょうが。

要するに新約聖書の内容は人間的で、分かりやすく、現在でも良くあることが簡明に書いてあります。ピラトのような権力者は日本の現在の政治家にもよく見られるタイプの人間です。新約聖書をお楽しみ頂ければきっと何か得るところが有ると信じています。(終り)

上に示した写真は近所のサレジオ学園の鐘楼の写真です。


お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます

2009年11月22日 | うんちく・小ネタ

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いきなりこんな書き出しをしてどうかと思いますが、私は最近非常に感動的な体験をしました。何気なく寄ったニコライ堂で正教会の金田一豊さんという聖職者にお会いしたのです。その方が私の面倒な要求に基づいて正教会のことを色々説明する長文の文章を送ってくださったのです。その文章を私の責任で編集し、宗教や神学の専門用語を出来るだけ分かりやすく一般用語に変えて、数回の連載記事にいたします。

今回は建築学的にも貴重なニコライ堂を見学し、日曜の礼拝式に一般の人が参加する場合のご案内をご紹介いたします。以下は伝教師の金田一豊様から頂いた文章の一部です。

==========金田一豊師の文章============

他の教会も兼任している忙しい神父さんは不在のときもありますが、僕の場合は伝道師なので基本はいつでもニコライ堂の聖体礼儀にて奉仕をしているますから、どうぞいつでもいらしてください。

古いローマカトリックの場合と同じく、洗礼志願者や信者ではない方の入るのに許される場所というのがありますが、もしそれでもよろしければどうぞ参祷してください。正教徒ではない場合は少し後ろ側の席になりますが、ちゃんと儀式は見ることが出来るのでご心配なく。(一般の方々は静かに見学も出来ますー藤山による追加の部分です)

それから僕でよければ時間の許す限り応対したいと思いますのでよろしくお願いします。

聖体礼儀中の説教と聖体礼儀後の信徒会館での講話というのが当番で回ってきますので、担当の日になってしまうとバタバタしてしまうでしょうが、それ以外は大丈夫ですのであまり気遣いなさないで気楽に来てください。

主日の開始時間は、10時に主教の入堂式があり、聖体礼儀自体は10時30分から始まります。終了は大体13時くらいだと思います。

一般の方に気をつけて欲しいことは、聖堂内では帽子を取って頂くことと肩にかける荷物は方から降ろして手に持って頂きたいということですね。基本的なマナーは昔ながらのローマカトリック教会とほとんど変わらないと思います。以下に少し詳しく説明いたします。

(1)祈祷文や司式の全体構造:

骨組みはローマカトリック、聖公会、東方諸教会、正教会はみな共通しています。

骨組み、つまり嘆願するときや聖書の読み、聖変化、領聖(聖体配領)などの基本的な組み立ては同じです。ただ、細かい点において差異が見られます。その一つとして東方正教会は古来から受け継いだまま現在に至り永遠に司祭、信者ともに東(同じ方角)を向いて祈祷を捧げます。これは儀式を司る主教、および司祭、ならびに輔祭(助祭)や堂役(侍者)は宝座(祭壇)の周りを囲み天国の天使が神を讃美する姿に倣い法事、奉仕をすることを意味することを基本として行います。そしてその讃美が煙とともに天に昇ることを願うので大量の香をたきます。

(2)もともと骨組みがローマカトリックと正教会は同じ:

正教会の聖体礼儀を基本にしてローマカトリックのミサを見比べたときには、この部分はここに当てはまる、あの部分はここに当てはまる、という風に説明することができます。が、逆はなかなか難しいです。なぜなら、ローマカトリックは時代とともに進化、変化をしていて、ある部分は簡略化となっているところもあります。一方正教会は簡略化や省略はせずにどんどん付け足していきます。なので、ローマカトリックで現在行われない部分などが正教会には色濃く残っています。その結果、祈祷の言葉や挿入部が多くなり複雑そうに見えます。

ローマカトリックの司祭が御ミサの前に別室で行うホスチアとぶどう酒の用意は、正教会では完全に儀式の一部なので儀式の一番初めに行われます。そしてローマカトリックの司祭入場という最初の部分は、正教会では聖体礼儀の中の小聖入と言う部分に当てはまり全体の3分の1ほどが進んだところになります。

そして正教会は毎回必ずニケア・コンスタンチノプール信経を用いて信仰を宣言します。

(3)楽器を使わない歌ミサ:

ローマカトリック教会の御ミサではパイプオルガンやその他の楽器が用いられますが、正教会では楽器は一切使いません。全てアカペラの合唱にて聖歌を歌います。楽器は素晴らしいものですが、感謝や讃美を捧げる行為、つまり心から神に捧げることは楽器よりも人間の体を用いるのが一番適しているということから歌のみという伝統となっています。

もちろんローマカトリックと同じく司祭との掛け合い(応答)形式になっていますが、全てが歌によって行われます。

そして教衆(聖職者や聖歌隊)と聴衆(参祷者)との役割の違いにおいて線をひいて儀式が行われ、進んでいきます。これは旧約時代の祭司やレビ人が担っていた役割を正教会は変えずに継承しているということになります。

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金田一豊師は赤羽のカトリック教会の方でしたが正教会へ改宗(正しくは帰正)された方です。何故ですか?と聞きました。「その方がイエス様(ハリスト様)の近くへ居るような気がしたからです」、これが彼の答えでした。素晴らしい答え方です。

まだ若い明朗闊達な方です。2、3分間しかお会いしなかったのですが、目から鱗が落ちるような気持ちになりました。気楽に何でも聞ける雰囲気を持っています。生まれつきの伝道者としてのタレントを神に頂いたのでしょう。私はカトリックの信者を止めるつもりは毛頭ありませんが正教会のこのような伝道者に会えたことを神へ感謝しています。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


ネット社会から退会したジャン^ . ^ ゞから退会後の感想文が来ましたので掲載します

2009年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ジャン^ . ^ ゞです。
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【退会後のSNSについてつれづれ思うこと】

SNSはPV(ページ.ビュー)すなわち閲覧数とアクセス数 を上げる事に追われる。
コメントは「イマ.キタ.三行」発言に留めないと多くの友人とのコミニュケーションは難しい。etcとSNSへ対する批判的な諸説 が有ります。

しかしながらネットには素晴らしい、「集合知」が存 在します。人それぞれの方法で試み体験、理解すれば実に貴重な知見が得られます。リアジュウ、すなはち、リアルな充実は現実のみとを主張する人が居ます。更に、「ウエブ はバカか暇人のもの」と本に書いた著者も居ます。しかし、何故そんなに簡単に断言したのか問いたい思いです。

「せっせと書き込みをする人の中には凡庸な人がいる」とも本に書いてあります。しかし、そのような事はありません。個性的なテーマを選択して文章を構築しなくては、魅力的な 日記、ブロ グになりません。湧き出す知力は不可欠なのです。

*ネットユーザーを完全なる「善」と捉えない方がよいともよく言われています。一理あるかもしれませんが、それは自己の発信した文章の内容次第で、種はどこかで自分が撒いているのです。

私はこのSNSで大切な友人が出来ました。
. 私の事を思い出してブログにUPして下さる方
. 最期の一秒まで人生を語り合った方
. 退会後も 変わらずお話しできる方
. ご自身が辛いお立場でしたでしょうに 温かい言葉をかけてくださった方
. 永遠に忘れないといってくださったお方
. マイフレさんになりませんでしたが礼を尽くしてくださった方
  (今思い起こしますと、この方々になんと申し訳 ないことをしてしまったか悔やまれます)

思い出の残し方にはいろいろ在りますが、私はどの様な方とお話していたのか解りません。
ある方が昔の写真を下さいました。現実の写真も下さった方がいらっしゃいました。下さった方とは交換 しました。
やりとりの経緯は楽しくて良い思い出になりました。そして音楽です。お別れのプレゼント曲、You Tubeを貼っ て下さいました。感銘を受けた曲はipodにダウンロードしました。あせない響きで、聴くたびに懐かしく思い出します。

私のSNSの羅針盤でおられる藤山様も折に触れ、良質のSNSの楽しみ方をブログにUPされて居られます。過去にお書きになられたご提案をぜひ皆様もご参考にされて、SNSでの巡り会いを大切にされて下さい。(終り)尚、この文章に付随して送られた作品を下にしめます。

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自然の営みの神秘(4)雑木林が年々変化して棲んでいる動物達もこんなにも変わる

2009年11月21日 | インポート

1973年に甲斐駒岳の麓に山小屋を作り36年間通って来ました。すると年々雑木林の樹木が大きくなりながら次第に自然林へ還って行く早さに吃驚してします。森林の植生が変わるにしたがって棲みつく動物が大きく変わるのです。始めのころはキジとリスとカヤネズミだけが棲んでいました。キジの鳴き声をよく聞いたし、カヤネズミは山小屋の中に鳥の巣のような丸い巣を作っていたものでした。それがすっかり消えてしまい次第にイノシシとサルの天下になりました。ニッポンシカや月の輪熊も棲んでいます。年年歳歳、森林が荒れて行き、それに従って大型の野生動物が増えてきました。この変化の原因は人間と森林とのかかわり方によるものです。人々が雑木林から材木や薪をとらなくなって久しいのです。すると林は自然の状態へ還ります。人間の手が入らない雑木林には倒木が増え、いろいろな草木が生えて来ます。里山は普通、人間が一種類だけの樹木を整然と植えた林です。下の写真はその一例です。

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しかし人間の手が入らなくなると次第に雑然となって来ます。いろいろな樹木が混じって生えてきます。見るといかにも荒々しい景観になって来ます。始めは整然と植林された美しい林が山林の中の小屋を囲んでいました。それが下の3枚の写真が示すように倒木が多く、荒れ果ててしまったのです。整然と植林した面影がすっかり無くなってしまったのです。

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景色として美しくなくなった林があちこちにあります。特に少し山に登ればすべてが自然林になってしまったのです。しかし、「見て美しい」とは、人間の勝手で、野生の動物たちにとっては安住の地になって来たようです。動物にとっては住みよい場所に違いありません。山林の中の小屋の回りには、10年位前からイノシシ、サル、日本シカ、クマなどが急に増えだしました。イノシシやクマは神経質でめったに姿を見せません。しかし「鹿子模様」の日本シカは車の前を横切る習性があるのか再三見ます。馴染みはサルの群れで、よく会います。「オーイ、元気か?食べ物に困っていないか?」などど、優しいことを言ってやることにしています。しかし20m以内には近づいて来ません。用心しているのです。先日の朝は、薪ストーブを焚いて、コーヒーを淹れていたら、遠くから窓の中を覗き込んでいました。何をしているのか好奇心いっぱいで見ているのです。小屋の周りを歩るきまわり、木に登って素通しのガラス窓のなかの朝食を覗いています。

雑木林や山の森林が自然にかえると野生の動物が増えます。しかし農家にとっては大変な問題になります。

人間が破壊してきた自然環境がもとの状態へ少しでも戻ることは良いことに違いないことです。森林の営みの様子が非常に速く年々変化して行きます。棲む動物も大きな変化をします。植物と動物の変化のかかわり合いは神秘的で不思議です。現在、日本中の森林が年々非常な勢いで変化しているのです。皆様はこのような状態をどの様にお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人

 


聖職者は尊敬する、しかし信用しないことが大切です

2009年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

私が尊敬していて、直接指導を受けている方はカトリック小金井教会の山本量太郎神父様です。尊敬しています。一生独身を通さなければ神父になれないのです。それだけでも凡俗な私は尊敬してしまいます。説教も深い内容で、私の信仰の上での先生です。しかし私は山本神父様を100%は信用していません。

銭本さんは幼児洗礼を受け、第二次大戦中は、あるプロテスタンの教団を100%信用していました。真面目なご性格だったので当然な生き方でした。そのような人を私は尊敬します。ですから彼の長い告白文を何回にも分けて連載したのです。

彼の信用していた教団は大政翼賛会へ協力し、信者を戦争へ駆り立てたのです。敗戦後一切の反省もなくその教団は活動を続けたのです。銭本さんはそのような教団に失望し非常にショックを受けます。その上、日本と戦ったアメリカ軍には必ずキリスト教の従軍牧師がついていた事を知りました。キリスト教の聖職者が戦争に協力していたのです。銭本さんは棄教する決心をします。そんな宗教に愛想が尽きたのです。ごもっともです。

しかし、と私は声を大きくしたいのです。銭本さんの根本的な間違いは聖職者という位を持った人間を100%信じてしまった事です。イエス様のことを直接信じなかった事です。イエスさまと直接会話をしなかった事です。宗教とは人間ではなく神を信じることです。仏教でも全く同じです。色々な宗派の偉い指導者を尊敬はしても、100%信じてはいけません。お釈迦様と直接会話をする訓練をしないと大変なことになります。

どんな宗教でも聖職者は弱い、普通の人と同じくらい弱い人間なのです。戦争に協力して自分の権威を守ろうとします。「イエス様、聖職者は戦争に協力して良いのですか?」と聞いてみて下さい。「私はそんな事は言った憶えは無い。戦争に協力する者は私の教えを信じない者だ」とおっしゃると思います。教団の組織を守るために戦争に協力しろとイエス様は絶対に言いません。教団は人間の利己心から出来るものです。そのような宗教の聖職者や教団指導者を100%信用してはいけないのです。

聖職者の役目は自分の弟子を作ることではないのです。イエス様を愛する弟子を多数作ることが役目なのです。

これは芸術や学問の世界でも同じです。芸術の指導者は自分の芸風を教え込んで子飼いの弟子を作ってはいけません。芸術を真に愛する「芸術の弟子」を作るのが本当に偉い先生です。学問の世界では自分の言いなりになる直弟子を沢山作りがちです。本当に学問が好きで、学問を愛している弟子を沢山つくる先生が偉い先生なのです。子飼いの弟子より、「学問の弟子」を作るべきです。私は現役の間、残念ながら自分の言いなりになる直弟子だけを大切にしました。これは大失敗でもあり、老境に入って深く、深く反省していることです。この失敗は次第に大きな悲しみに変わって行きます。

話がそれました。銭本さんしの間違いを明記しましたが、自分は職業上で同じ間違いをしてきた事を明記します。銭本さんへ対する失礼な内容の文章でしたが、彼は必ず私を許して下さると信じています。(終わり)