後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教を棄教したブログ上の友人のことを考え続けています

2009年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年の11月28日にこのブログ上で下記の記事を掲載しました。この銭本三千年さんの事を考え続けています。真面目に人生を考えた結果、キリスト教から離れて行ったのです。

最近、やっとその理由をブログの上に自分の言葉でキチンと書く決心をしました。その前に下記の再掲載した記事をお読みください。

=====2008年11月28日の記事の再掲載です===========

私のブログでは宗教のことを何度を取り上げています。いろいろな視点からの感想や考察を公平に紹介し、皆様にお考え頂ければ幸いと思っています。

最近、吉備野禅三様(本名:銭本三千年(ぜにもと みちとし)様)とおっしゃる方がご自分の宗教にたいする心の軌跡を真摯に御書きになっている文章を読み、感動しましました。

ご本人の許可を頂けましたので何回かに分けて連載したいと思います。

戦争になると宗教の教団がどうなるか?貴重な歴史的な記録と思います。

====ある方の宗教に対する心の軌跡(1)「軍国少年」だった私の告白=====

 第二次世界大戦・・・日本を巻き込んだ15年戦争。その全時期を、私は「軍国少年」として育ち、敗戦を迎えた時、15歳でした。熱心なキリスト教徒であった母の影響で、私は幼児洗礼を受けたクリスチャンでもありました。何が私を「軍国少年」に育てたのか? 

 老境に入った今、静かに、それを想う時、私は、二つの「神」に操られたことを思います。
現人神(この世の生き神様)の「天皇陛下」と、日本独特の日本基督教団が奉戴した「全知全能の唯一神」です。

 信じられないでしょうが、この二つのは、共に、あの戦争を、西欧帝国主義が植民地化したアジア友邦諸国を解放し、天皇陛下を盟主とする「八紘一宇」を樹立するための「聖戦」であると礼賛し、若者たちを戦場へ送りました。

 現人神の責任追及は、天皇陛下の「人間宣言」で帳消しにされました。しかし、日本基督教団が奉戴した《「八紘一宇」を祝福した全知全能の神》については語られることがありません。

 戦争翼賛のため合同し、第二次世界大戦を聖戦として信徒を戦場に送り出したこの教団は、現人神と仲のいい日本式全知全能神を創造しました。この事実と、過ちは知る人が少ないと思います。若いキリスト教信者が「靖国で会おう」を合い言葉に戦場におもむいた、その事実から目をそらしてはなりません。

 私は、クリスチャン・ボーイであると同時に「軍国少年」であった自分の不思議を、キチンと整理し、次世代に残す責務を感じています。是非、以下の告白を真剣に受け止めて下さることを、国民の皆様にお願いいたします。(続く)

藤山杜人の感想:キリスト教の教団が戦争になるとどうなったかという貴重な記述と思います。教団を組織していたのは弱い人間でした。キリストの教えを深く理解しなかったのです。自分も同じようなことをしそうです。このような事実を戦後の日本は忘れたのでしょうか? あまりにも生活が苦しくて忘れようとしたのでしょう。でも今こそ静かに考えることが出来ます。そんな時代が来て幸いです。(続く)

原文のURL:http://zenmz.exblog.jp/1125365#1125365_1

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何故、銭本さんが棄教したか、その私なりの理解は次の記事に書きます。(次の記事へ続く)


ブログ上の友人、ジャンさんとの惜別を想う

2009年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
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今年の10月10日にこのブログ上でジャンさんという方の美しいイラストをご紹介しました。上の2枚がその時のイラストです。その後ジャンさんは下記のような別れの文章を送って下さいってネット上から消えてしまいました。

私はジャンさんの指示通り三輪修さんという画家と「あんべえさん」という鉛筆画家の絵画をこのブログ上で皆様へご紹介しました。こうして三輪修さんと あんべえさんと親しくメールの交換をし、友人になりました。

それだけではありませんでした。彼女は自分の何人もの友人へ私のブログを紹介して下さいました。その中の数人からは友人になって下さいというメールも頂きました。昨日もそんな方がいらっしゃいました。

情の深い友情とはこういうものと思います。ジャンさんから頂いた最後のメールを示して、ジャンさんの友人達と一緒に彼女のご健康とご活躍をお祈りいたしたいと思います。尚、下記の2009年【紅萌ゆる山里】心象風景への誘い、は彼女が、ご主人と一緒に八ヶ岳の別荘に滞在中に撮影した作品と想像しています。ある期間が過ぎると自動的に削除されますので急いでお楽しみ下さい。

====ジャンさんからの退会のご挨拶========

藤山さんには大変失礼ですが、日記に書きましたように仕事が忙しくなった事情で退会する事にしました。お願いが2つございます。
1
.マイフレさんの要望がありましたので
私の「ネット上の友人の楽しい絵」はお差し支えがなければ そのまま残して頂けませんか。
2
,ご紹介したい画家のお方と退会寸前に巡り会いました。
シュウさん    (三輪 修)
http://smcb.jp/_pr00?oid=264647
でおたずねしましたら
http://mujika.jp/miwa-index.htm
の展示に、アンドリュウワイエスを彷彿させる、完成度が高く、感銘を受ける作品が有りました。彼には掲載のご許可をいただきました。コメントを貼ります。ご先方の方に決めて頂いても結構です。この作品は好きです。
http://mujika.jp/miwa/miwa-1993-index.htm
*どうぞ今日の日記のテーマの転載をに叶う物として、お気に召したらお願いします。         …………………………………
あと藤山さんとは違う視野で私が捉えた八ヶ岳の景色お時間がありましたらご覧下さい。 2009年【紅萌ゆる山里】心象風景への誘い
 http://www.digibook.net/q/pJGlwVK8uDISyWHK/
ブログにお訪ねさせて頂きますが、ご健勝とご活躍を願っております。

さようなら!

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今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


夫婦旅行、万葉集に歌われている弥彦神社、その菊祭り風景

2009年11月19日 | 写真

新潟平野に独立峰として聳え立っている弥彦山は昔から神の山として信仰されて来ました。山そのものがご神体で、その麓に弥彦神社があります。万葉集にも歌われた神社なので、それ以前から存在していました。境内で今年も菊祭りがあり、様々な形に育て上げた見事な菊が展示されて居ました。あいにくの雨天でしたが、写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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下に菊の色々な形の展示を示します。

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キリスト教が犯した大罪ーその謝罪を祈るローマ法王のヨハネ・パウロ2世

2009年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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周りの人々へ時々、「私はキリスト教の信者です」と言います。すると親しい人は、「私は宗教は嫌いです!宗教は戦争の原因になるから嫌いです!」とニベも無く言い放つ人がいます。「そうですか。そうですね。」と答えて話題を変えます。

最近、読売新聞の「時代の証言者」という連載記事でヨゼフ・ピタウさんの話が二十数回続いています。カトリック信者にとって興味深いバチカンの組織内の話やイエズス会のことなど色々書いてあります。

しかし、時々一般の人々の宗教へ対する疑問へも明快な解答を出ています。

11月17日の「時代の証言者」にはピタウさんが2つ重要な解答を出しています。

(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をした。例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。その状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

(2)キリスト教が犯した大罪を認め謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。

十字軍のイエスラレム奪還の為の遠征と殺戮、それも正教徒も殺戮した大罪。ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。その上、その大罪の許しを神へ祈ったのです。特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。(2005年に亡くなりました)。

日本人の常識ではキリスト教が戦争の原因になっているとしか見えません。

しかし洗礼を受けて信者になってみると違う理解になります;「人間はどんな理由でも戦争をする。他民族を殺戮する本能を持っているからそうするだけです」、そして「キリスト教が原因ではないのです。ただ戦争の口実にキリスト教の名を利用するだけです」とご理解できます。ですからヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと自分は考えています。十戒の一つの殺人を大量にした罪。その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪。この二つを一緒にして神の許しを祈ったのだと、私個人は理解しています。

ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本人へのかかわりかた等については次回に書きます。此処までお読み下さった方々へ感謝いたします。(続く)

上の2枚の写真の左は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時の写真で右はローマ法王当時の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました)


夫が家事を手伝うと定年後が人生で一番楽しい季節になります

2009年11月19日 | うんちく・小ネタ

仕事をしている間、家事は妻まかせが多いものです。奥さんが働いていても妻任せな人も多いのです。不公平です。でも夫婦愛があれば破局へは行きません。

しかし、定年後は全く違うということに気がつかないと 大変なことになります。

私は仕事を止めた3年前から進んで家事の一部をすることにしました。家事のある種のものは大変面白いのです。自分の意外な才を発見してニヤニヤ微笑みながら仕事を楽しんでいます。妻の不得意なことをしているという ささやかな優越感も味わえます。

妻は私が楽しんで家事の一部をしていることを知らないのでとても感謝します。その結果として、「定年後が人生で一番楽しい季節」なります。

この状態を作る鉄則は、「自分が得意とする家事だけをする」ことです。家事を手伝うと妻は嬉しくなるらしく、不得意なものは すすんで肩代りしてくれます。

具体的に家事を分類すると、炊事、洗濯、掃除、孫の世話、の4種です。この中で私の楽しみながら出来ることを例示します。

(1)炊事で得意な部分:

大フライパンを使った炒めもの全般。天麩羅やフライを油で揚げる部分。大きな魚を出刃包丁でおろす仕事。肉類を圧力鍋や魔法瓶鍋で柔らかく煮上げる部分。山小屋で焚火でするバーベキュー。魚の燻製を作る。自宅での焼き魚を根気よく焦がさないで焼くこと。妻が洗った鍋類、食器などをフキンで丁寧に拭き取る部分。

これだけをすると妻が感謝して私の不得意なことを全てしてくれます。野菜をきざむ。魚肉を切り身にする。料理のの味付けをする。ご飯を炊く。甘酢あんを作り、小生の揚げた魚にかけてくれる。要するに細々した嫌な仕事を一切してくれるのです。

(2)洗濯で得意な部分:

衣類を洗濯機に入れ、洗剤を加え、水を回転させる部分。出来上がった洗濯ものをきちんと干す部分。乾いた洗濯ものの自分のものだけをキチンとたたみ、自分用のタンスへ分類して仕舞うこと。洗濯物を畳むときは、ヨットのセールを畳むときと同じ要領で、セイリングのことを考えながら畳むのです。

(3)掃除で得意な部分:

不要な物を捨てること(妻にはこれが出来ない)。部屋の中の整理整頓を短時間でする事。座敷箒を上手に使いゴミを掃き出すこと。庭木にハシゴを掛けて枝を大胆に切り落とすこと。庭の畑を掘り起こすこと。

(4)孫の世話で得意な部分:

子供野球をしているので、他校チームとの試合のとき彼方此方へ 「8人乗りのワゴン車」で送迎すること(子供なので10人乗れる)。孫たちを山小屋へ連れて行って自然の生活を体験させること。同じくヨットへ連れていって船の危険さと楽しさを教えること。湖での釣りの体験をさせること。そうすると日常のこまごました孫の世話は妻が率先して(実は楽しんで)してくれます。

以上のように書くと家事の大部分を私がしているようです。しかし公平な書き方をすれば、上に書いた家事を毎日しているのではありません。時々だけで良いのです。そうすると妻は大変感謝してくれます。現役の間、家事を妻任せだっただけに少しでもその効果が絶大なのです。今、流行りの言葉で言えば、「コストパーフォーマンスが最高なのです!」。その結果、遊びの方も一層楽しくなります。

家事を一切しないと、嘯(うそぶ)いている高齢の男性に時々会います。私はひどい憐憫の情で彼の顔を見ます。そして、静かに、余計な忠告をします。フライパンの柄を握って火にかけて焼きそばを炒めなさい。味付けは奥さんが率先してしてくれますよ!

そうです。たった一つで良いのです。千里の道も一歩からというでんはありませんか?

さて皆様は家事を夫婦でどの様に分担していらっしゃるでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人


自然の営みの神秘(3)ナメコ、クリタケ、マイタケ、シイタケの不思議さ

2009年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

キノコの栽培を少しでもしてみると、キノコの不思議さに魅了されてしまいます。

私の山小屋の近所の鬼家(オニイエ)さんは色々なキノコを栽培しています。キノコを自然の雑木林の中で育てています。クリタケやナメコやマイタケは原木を土に半分埋めて落ち葉を掛けておきます。ですから自然林の雑木林の中にキノコが成長しているように見えます。

雑木のたたずまいとキノコの様子が調和して不思議な、静かな空間を作っています。何度も見に行きました。何故か心の休まる光景です。

時々は採らせて貰います。自分で採ってみるとキノコのヌルヌルした手触りが心地良く感じるのです。完全に自然林のなかで自分が発見したことを想像すると心が躍ります。鬼家さんによるとキノコの栽培は不思議な現象だそうです。雨の多い年、暑い年、などと気候の微妙な変化で多く出る時もあるし、少しの時もあるそうです。自然の営みの不思議さを感じるそうです。

下にそんな雑木林の下に育ったナメコ、マイタケ、そしてクリタケの写真を順に示します。

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一方、シイタケだけはキノコ菌を埋め込んだクヌギの原木を日陰に立てて栽培します。下の写真は昨年、鬼家さんから頂いて来た6本のクヌギの原木を庭の日陰に立ててある様子です。右の写真は今年の4月に出てきた大きなシイタケの写真です。直径が25cmもありました。秋には沢山出てくると楽しみにしていましたが1個も出て来ません。不思議です。鬼家さんに聞きましたがやはり不作だったそうです。

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上の2枚の写真は自分が撮ったものですが、始めの3枚は鬼家さんのHPの中の雑記帳から転載しました。その雑記帳にはキノコ栽培の方法が詳しく書いてありますのでご参照下さい。(http://ihcuik69.web.fc2.com/

キノコ栽培のご経験をお持ちの方々からのご意見やご感想を頂ければ嬉しく思います。(続く)


山本量太郎著「最後の引っ越し」連載、その二(完結編)

2009年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

@終の住みかへ

「終(つい)の住みか」という言葉があり、最後に安住する所、これから死ぬまで住むべき所という意味でふつう使われる。同じ構内にある桜町聖ヨハネホームのような老人ホームもよく終の住みかとよく言われる。しかし、真の意味での終の住みかは、最後の引っ越しをしてから住むことになる天の永遠の住みかだけである。

@持っていけるもの

身一つならそれほど大変ではないかもしれない。引っ越しを重ねるごとにそう思い、持ち物を増やさにように心がけるようになった。

しかし、人生にとって最重要事は、最後の引っ越しの時に持っていけないと分かっているものに執着することなく、持っていけると約束されているものを大切に生きることではないだろうか。

 「自分のために集めたものは何一つ神さまのもとへ持っていくことはできない。逆に、人のために差し出したものを持っていくことができる」。子供のころ、教会の葬儀尾の説教で聞いた言葉が50年近くたった今も心に残っている。(終り)

008 編者による後書き:    左の写真は昨年のものですが山本量太郎神父様のお姿です。2人の信者へ聖なるパンをお与えになっているところです。

10年前に山本神父さまが小金井教会へ引っ越しでいらっしゃった時のことを鮮明に覚えています。中古の車に積めるだけの荷物でフラリと着任されて来たのです。

引っ越しを手伝いしようとしていた教会委員の人々がその簡単さに吃驚していました。それ以来、私も最後の旅立ちの後によけいな物を残さないようにつまらぬ本や衣類や道具類を整理処分をして来ました。身軽になって爽快な気分です。

この記事の第一回の掲載文を延べ315名の方々がお読み頂き、数編のコメントを頂きましたことに感謝して終りと致します。有難う御座いました。藤山杜人


夫婦旅行の薦め、そして地方の歴史・文化を楽しむ

2009年11月18日 | 旅行記

高齢化社会になり、引退し、悠々自適の境地の人々が増大しています。暇にあかせて色々なことを考えて見ると、現役の頃の考え方は 自分の職業だけから見た考え方だけという 極く狭い視野であったと吃驚します。

夫婦で旅をすると夫婦円満になります。その上、男女双方の立場からの文化にたいする考え方の違いを ゆっくり話合うことが出来ます。日本全国を一緒に旅をすると色々な地域文化や歴史の特徴が分かり興味が尽きません。

例えば新潟の内陸部の魚沼地方ではご飯が美味でオカズが要りません。味噌汁も美味です。ご飯とみそ汁だけの生活と思い、土地の若い人に聞きました。彼女は我が意を得たりとばかり、嬉しそうに言います、「そうです。それがこの地方の自慢なのです。オカズは要りません」と。これが新潟、魚沼地方のお米文化です。家内がそれにしても彼女は健康そうで新潟美人なのは、きっと野菜は食べていると言います。農家は自家用の野菜は作っているに違いありません。そうでなければこの地方の人は皆脚気で死んでいるはずです。白米だけを食べていると脚気になります。

同じ新潟でも海岸地方に行くとガラリと食生活が変わります。暗い冬の日本海から豊富な魚介類を取って来て食べています。特に冬の荒れる日本海の魚は美味で有名です。昨日は寺泊地方の魚屋街へ行きました。暗い海と、そこから獲れたズワイ蟹の写真を下に示します。都会の人は、ズワイ蟹は一匹一万円、二万円すると信じて居ます。

生産地では1000円、2000円で売っています。味が違うのではなく脚やハサミが折れた所謂キズものです。味には変わりありません。セイコ蟹というメスのズワイ蟹は300円位です。蟹だけではありません。タラ、ノドグロ、サバ、ブリ、等が驚く程安価です。この地方は魚沼産コシヒカリではなく きっと名も無いお米を、美味しい魚介類と共に食べているのでしょう。

通りすぎた寺泊の暗く広い漁港には 漁船ばかりで、ヨットやモーターボートの影が有りません。太平洋岸の漁港には必ずヨットが1、2隻いるのものです。荒れる日本海はヨットに向いていないのでしょう。日本海地方の純日本的な文化がヨットやモーターボートを排除しているのかも知れません。

何が純日本的な地方文化でしょうか?それは続編へ譲ります。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人

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美しいブナ林を愛する方々へ送る写真3枚

2009年11月17日 | 写真

新潟県の十日市町の近くに美しいブナ林があります。名前が変ですが松之山美人林といいます。昨日撮った写真をお送りいたします。樹林がお好きな方らなら、きっと お喜び頂けると信じています。おやすみなさい。

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山本量太郎著「最後の引っ越し」連載、その一

2009年11月16日 | インポート

はじめに:山本量太郎氏はカトリック小金井教会の主任司祭です。理路整然とイエス様について話す説教は圧倒的です。話す言葉をそのまま印刷し、本にしたくなるような珠玉の説教です。いつも感心しています。10年前に小金井教会の主任司祭として着任されました。これから2回連載でご紹介する話はカトリック小金井教会ニュース「さくらまち」146号(2009年11月15日)に掲載された記事の転載です。

ご高齢の方は「終(つい)のすみか」にご関心があると思います。その事に関する心休まる名随筆です。宗教にご関心の有無に関係なく、是非お読み頂きたいと思っています。

小金井教会に隣接する桜町病院とヨハネ会修道院は2年半前に建て替えました。そのために、「引っ越し」の苦労をしました。そして「終のすみか」の事を考えたというお話です。(以上、藤山記)

====山本量太郎著 「最後の引っ越し」連載、その一=====

@工事のさなかに

桜町病院とヨハネ会修道院の建て替えが終わっていつの間にか2年半たった。工事は確かに大変だった。でも、それは建設会社の人たちがみなやってくれた。そこで働いたり、生活したりしている私たちにとってむしろ大変だったのは、その工事に合わせて引っ越しすることだったかもしれない。なにしろ、古い建物をこわす前に立ちのき、新しい建物が出来たら戻ってくる、という具合に、多くの人は2回引っ越しをせざるをえなかったからだ。

@来し方を振り返る

そんな引っ越しの光景が目にはいったあるとき、私は思った。自分はこれまで引っ越しを何回したかな。そして数えた。調布で生まれて立川で育ち、世田谷区にあるカトリックの学生寮に入り、神学生になって前半は千代田区の哲学院、後半は練馬区の神学院に住んだ。司祭になって西千葉教会、柏教会、喜多見教会、と歴任した。その後は中央協議会の事務所勤め、その間、住まいの方は真生会館、永代働く人の家、日本カトリック会館と変わった。指折り数えたら、10本の指では足りなかったので驚いた。

@行く末を思うと

 そして、いつしか思いは先のことへと移っていった。自分はこれから何回引っ越しをするのだろうか。そう考えているとき、突然、あることで頭がいっぱいになった。それは、自分がいつかすることになる「最後の引っ越し」の事だった。私はその時、地上の道程の最後にくること、すなわち「死」を初めて「引っ越し」という言葉で考えたのである。

@人生そのもの

そもそもパウロも、「神によって備えられるている建物、天にある永遠の住みかがある」と言っているではないか(2コリント5・1参照)。キリストも、「私の父の家に住む所はたくさんある」と断言しているではないか(ヨハネ14・2参照)。死は天にある永遠の住みかへの引越し、住むところがたくさんある天の父の家への引越しなのだ。

だから、引越しは人生につきものどころではなく、人生そのものである、そう言い切ってもいいとさえ思うようになった。生まれた家で生涯過ごし、看取られるような人生を送る人も、最後の引越しだけは必ずするのだから。(次回で完結)


オバマ大統領のアジア外交政策の演説へ対する皆様から頂いたコメントをアメリカ大使館へ送りました

2009年11月15日 | うんちく・小ネタ

アメリカ大使館、アラムナイ・コーディネーター:クリスタル・プライヤー殿

拝啓、昨日、ご依頼のあったオバマ大統領のアジア政策に関する演説へ対する私自身のコメントをお送りしました。お受け取りになったことと思います。

さて今日は小生のブログの読者の6人の方々から投稿のあったコメントをお送り致します。私のように親米的な立場でない人々の本音のコメントです。

親米的な人々からのコメントだけでは演説に対する間違った評価になると信じています。どうぞ親米的でない平均的な日本人のコメントも翻訳されてワシントンDCへお送り下さいます事を期待致します。

クリスタル様のご健勝とご活躍をお祈りいたしています。

敬具、藤山杜人(1960-62年のフルブライト留学生)

(1)YYさん:ブッシュ大統領以前の大国意識は影を潜めて、是非を認める正しい路線で、来日以前に好感を持たれたオバマさんでした。しかし、銃乱射事件などでのスケジュール変更と短縮もあったので、来日の遅れは誤解を招きました。原爆投下を非と認めたことの証に、広島、長崎で慰霊塔に献花があれば、日本人の心を完全に掴むことができたでしょう。鳩山政権の対米政策が信頼されていないので、今回はそこまで踏み込めなかったのかも知れません。アジア外交の重要性と、力でなく協調路線を明らかにしたことも前進であり、チェンジでありました。

新政権に対する社交辞令とAPECを重視の姿勢だと、歪んだ見方の日本人から批判の声も一部にあります。保守から革新へ変化の日米の両政権です。ともに新しい道を探って行くべきで、早計な結論は慎むべきだと思います。

(2)ZBRさん:演説で述べられている範囲では、確かに藤山氏の感想は的を得たものであるし、その通りだと思う。しかし、もの足らないのは、昨年秋以降の世界同時不況の原因がアメリカにあった事を詫びていない。また多額の公的資金を注入された米国金融機関が、少し良くなるとまたぞろ莫大な報酬を出すといった米国流資本主義の問題への反省の弁が全くないことに失望した。また止むを得ぬとしても、やはり未だに世界を牛耳っているのは米国なのだとの思いが、言葉の裏に隠されている様に思えるのである。またアジアが輸出に依存し過ぎているとしながら、一方で米国の雇用戦略の為には、自国の輸出に重点を置くべきと言うのは、些か虫が良すぎるのではないか?それでも歴代の大統領に比較すれば、数段格上の演説ではなかったかと思った。


今年も公園の巨大な皇帝ダリアが咲きました

2009年11月15日 | インポート

毎年、11月中旬になると小金井公園の皇帝ダリヤが大きな花弁を広げて満開になります。南米原産の豪華な雰囲気を持ったダリアの一群です。背丈が5mくらいで花の直径も25cm位の 南米大陸の原野に咲くダリアの一種です。これが咲くと、ああ、今年の華やかな花々も全て終ったと、しばし過ぎ去った花々を思い出します。四季折々に見た花々の残影が走馬灯のように脳裏に回ります。

地球の裏側から遥々日本へやって来て、毎年咲いてくれることに感謝、感動します。写真を3枚お送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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美人になるために毎日新鮮な感動をする、感激する

2009年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

男性にとって魅力的な女性とは繊細な心を持ち、毎日いろいろなことに感動、感激する人です。見かけが幾ら美しくても鈍感な人は困ります。特に女性は高齢になると若い時の美しさが無くなります。

同じように男性も高齢になりと全てのことに鈍感になり、怠惰になり、毎日ボンヤリ過ごします。これを悠々自適の境地と言いますが、これも困ったものです。

美人とは男女を問わず美しい雰囲気を持ち、人々を何故か惹きつける人と、私は考えます。何か魅力的な男女を美人と言うことにします。そうすると肉体の老化は避けられなくとも精神の老化は防止出来、高齢になっても美しい人を演じることが出来るのです。

このブログのサイドバーに推薦したい他のブログがご紹介してあります。その書き手で女性の方は、ちひろさん、玲さん、mikaさん、Parismidori さんです。それから昨日富良野の美しい写真をお借りした あとみんさんも女性です。皆様のお住まいが何処で、どの様なご家族をお持ちかは大体分かっていますが、年齢だけは全く不詳です。しかし皆様女性としての美の雰囲気を持っていらっしゃいます。

何故でしょうか? 毎日、日常のごく小さなことに新鮮な感動をし、その自分の感動を写真や文章にして掲載しているからです。その若い心、繊細な心の動きが美しさを醸し出しているのです。

それと全く同じように男性も心が鈍感になってしまっては魅力を失います。老化が進行する一方です。そこで私は毎日、感激や感動をするようにしています。心躍る体験をするようにします。

例えば、昨日のオバマ大統領の日本人向けのテレビ演説を聴いて新鮮な感激を覚えました。まずあの厳しい黒人差別をして来たアメリカ人が、よくも黒人を大統領に選んだものだ!と、心躍る思いをしながら演説を聴きました。1960年ー62年の間、オハイオ州に住んでいました私はバスもレストランも黒人の座る席が厳しく別にしてあるのを見て心の凍る思いをしました。そのアメリカの大統領が黒人になったのです。キング牧師の悲しい演説の声を思い出し感動せざるをえませんでした。

オバマさんが日本人の独り独りへ テレビを通うして個人的に話しかけるように語りかけたことに感動しました。直接民主主義の良さを失わないよう努力しているのです。演説は大声で叫ぶことと考え違いをしている日本人の政治家との違いに感動しました。

そしてこのような感想を書いて皆様に読んで頂けるのも感激です。これで私の老化も少し防げます。有難く思います。

今日も皆様が新鮮な感動を経験し、若々しい一日を過ごされますようにお祈り申し上げます。       藤山杜人

Audrey_hepburn_roman_holiday_crop_2 ヘップバーンさんの美しさは、この写真のように若いころだけでは無かったのです。一生の間、特に高齢にになって天に帰るまで、アフリカの貧しい子供たちを献身的に支援し続けたのです。

その頃の写真は崇高な美しさに輝いています。

彼女のボランティア活動については日本でも多くの本が出版されています。その頃の、「引用しても良い写真」を見つけましたなら後日掲載致します。


幸せな、そして健康な夫婦生活とはこういうものです

2009年11月14日 | 写真

私のネット上での友人に北海道の富良野に住んでいる あとみんさんが居ます。北海道の素晴らしい風景写真を彼女のブログから何度も転載致しましたので、ご存じの方も多いと思います。この方のブログを見るとご主人と息子のように可愛がっている犬の3人家族と分かります。ノルデイックウオーキングとい健康法の指導をしています。美しい富良野の丘や白樺林を元気に歩きまわっています。ブログにはよくご主人のことも書いてあります。幸多い、そして健康な夫婦生活とはこのようなものと何時も感心して読んでいます。久しぶりに秋深い風景写真を下にご紹介します。

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同じ場所の5月の新緑の頃の写真と甘やかされているワン公の写真もしたにお送りします。

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最後に あとみんさんからの転載許可のメールを付記します。

藤山様、ご無沙汰しております。富良野健康生活へコメントを有難うございました。どうぞ遠慮なく、写真お使いください。いつもご丁寧に連絡をいただき恐縮しています。有難うございます。

そちらの山小屋ではヤマメが見られるなんてすばらしい環境ですね。里山の風景が北海道とずいぶん異なる・・・と、、、、藤山様のブログの写真を拝見していて改めて思います。

実は私は関西の生まれです。富良野に来て30年以上。こちらの生活のほうが長くなってしまいました。カトリック教徒ではありませんが、幼稚園からカトリックのミッションスクールで教育を受けました。心のよりどころ・・・と申しましょうか、多大な影響を受けているのを年をとるほど実感します。     投稿 富良野のあとみん | 2009/11/14 00:31


今朝10時からのオバマ大統領の演説への感想文です

2009年11月14日 | うんちく・小ネタ

Official_portrait_of_barack_obama

昨日、アメリカ大使館からメールがあり、オバマ大統領の今朝10時からの演説へ対するコメントを送って下さいという依頼がありました。

元フルブライト留学生へ宛てた依頼状です。感想文は大使館で翻訳してワシントンDCへ「演説の反響」の一つとして送るという約束です。以下に大使館へ送った私の感想文を掲載いたします。皆様からの感想やコメントを頂ければ嬉しく思います。

アメリカ大使館は従来、大統領の訪日にさいして特にフルブライト留学生へ連絡がありませんでした。他の学者や有名人の来日の折の講演会や歓迎会などの出席を依頼してきたことは何度もありました。しかし、今回は初めて大統領の演説へ対する感想文を送って下さいという依頼がありました。この事は「アジア政策の重視」を強調する意味もあり考えさせられることが多いです。

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「オバマ大統領のアジア政策に関する演説へ対するコメント」   藤山杜人

(1960年―62年フルブライト留学生、オハイオ州立大学、Ph.D

オバマ大統領の言うChange とはこういう事かと具体的に鮮明に理解出来ました。抽象的な政策を賢そうに演説したのではなく、アメリカは今後どの様なアジア政策をとるのか?を具体的に、誰にも分かりやすく話したのです。そのことに深い感動を受けました。今回のアジア訪問のなかで一番重要な新しいアジア政策の発表であったという印象をうけました。色々な意味で素晴らしい演説でした。

  1989年の冷戦の終了後はイスラム勢力のテロ活動が続き、2001年9月11日のニューヨク貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンビルへの自爆破壊攻撃へと展開しました。アメリカはその報復としてアフガニスタンを占領しイラクを崩壊させました。ブッシュ政権迄はテロ国家への報復がアメリカの主たる国際活動目的でした。

それがオバマ大統領になって軍事攻撃から「根気よい対話と協調によって世界を導く」という政策へと大きな変化(Change)をしたのです。

今日の演説は就任直後の東ヨーロッパのプラハにおける「核軍縮・核兵器廃絶への勇敢な宣言」と一対をなす今後のアメリカの国際政策の発表だったのです。アジア・太平洋地域の各国がバランスよく経済発展を遂げ、個人の尊厳と人権が守られるようにアメリカは具体的な政策を実行していくのです。その決意を宣言した演説でした。

彼の演説は抽象的な哲学ではありません。中国が、北朝鮮が、ミャンマーが、パキスタンが、アセアン諸国が今後このように変化して貰いたい、そうしないとアメリカとは摩擦が生じます、という具体的な話です。中国のウルムチやチベットの民族弾圧もオバマ大統領は無視していないという意味の言明も含んでいました。北朝鮮の核兵器開発や日本人の拉致は具体的に言及し、ビルマ軍事政権のスーチー女史の拘束へも言及していました。

一国の犠牲で他国が幸福になることは絶対に地域の安全保障にならない。軍備競争ではアジアには安定が来ない。一番重要なことは協調を根気よく模索し平和的に諸国が発展することです。その為にアメリカは本気でこの協調政策を実行する。そしてアジア・太平洋地区の発展と安定が無ければアメリカの経済的安定も無い。と順々と話しかける態度には感銘を受けました。

このようなアジア重視の外交政策を歴代のアメリカ大統領が公言し、実行したことは無かったのです。ああ、アメリカはオバマさんが大統領になって変わった!と実感できました。

そしてユーモアたっぷりに福井県の小浜市の皆さんの支援へも言及し、笑いを誘っています。幼い頃訪ねた鎌倉の大仏の思い出も話していました。人間的な優しさも感じさせる名演説でした。

一国の大統領が日本へ来て、テレビを通じて直接、国民へ話しかける。これこそがアメリカの民主主義と深い感動を覚えました。そういう色々な意味で素晴らしい演説でした。(終わり)