一般に人間は現職の間は、「自分の職業とその分野」だけが大変重要な職業と考えがちです。そしてそれ以外の分野へは興味が無いものです。
卒業以来いろいろな大学で工学の研究を続けていましたのでその分野の研究者や会社の技術者だけとお付き合いがあり、他の分野の職業人とは接触がありませんでした。時代は丁度、高度成長時代でした。その成長を支えているのは工学の研究と技術開発であると信じていました。
しかし仕事を一切止めていろいろな分野の人々とお付き合いをしてみると自分の職業観が狭量過ぎることに気がつきました。それは愕然とするような体験でした。
その上、戦前、戦後の育ちだったので日本の戦前の職業観の影響を強く受けていました。職業には聖職があり、そうでない職業もある。その上には職業には貴賤があると教えられたのです。
明治維新以来の官尊民卑という考え方もあり人々の職業観へ深い影響を与えていました。
私も1960年に行ったアメリカ留学までは「職業には貴賤がある」と信じていました。
それがアメリカで恩師になってくれたセント・ピエール教授が学生時代に、アルバイトにバーのボーイをしていたという話を聞きました。ショックを受けました。日本の大学生のアルバイトは書生です。あるいは家庭教師です。
バーのボーイのような水商売はいけません。
しかしセント・ピエール先生の話を聞いてから私は職業に貴賤が無いと思うようになりました。
それはそれとして、社会に役に立つ重要な職業とほとんど役に立たない職業があるという考えは変わりませんでした。
その上、自分の職業の分野だけが一番重要だと信じていたのです。
しかしそれは恐ろしい偏見です。有害な偏見です。その事に気が付いたのが仕事を止めた後だったのです。
仕事から遠ざかり、縁が無くなると昔の自分の職業を実に客観的に考えられるのです。
そのような考えに変わってから7年になります。現在は大声で以下のことを宣言出来ます。確信しています。
「全ての職業は社会の為に重要です。どんな職業にも貴賤は絶対にありません。すべての職業は聖職です」
人間にとって一番重要なことは自分の職業を大切にし、良い意味でのプロフェッショナルな人になることです。そしてどんな職業でも平等なのです。
こんな当たり前のことが分かっていなかった自分が恥ずかしいです。私の人生は本当に恥じ多い人生でした。死ぬ前にそのことに気が付いたことを神に感謝しています。(続く)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
来週の日曜日は復活祭です。その一週間前の今日は「受難の主日」と言います。
群衆がイエス様を棕櫚の枝を打ち振ってイエスサレムへ歓迎した後、ピラトへ死刑にしろと叫ぶのです。それで「枝の主日」とも言います。
イエス様が十字架の刑になったのは来週の金曜日ですが、「受難の主日」は処刑されたその金曜日の前の日曜日に便宜的にします。
日曜日のほうが多数の信者が教会のミサへ参加出来るからそうしたのです。
当時のその地方はローマの支配下で、ローマ総督はピラトでした。
死刑判決のような重い刑罰はローマ総督自身でしか下せない刑でした。そこで群衆はイエス様をピラトへ訴え死刑にして貰うとしたのです。
ピラトはイエス様を死刑にする理由が分かりません。鞭打ちの刑だけで釈放しようとします。
ピラトの奥さんも群衆の言うことを聞かない方が良いとピラトへ言います。しかし自分の任地で騒ぎが起きるのを嫌ったピラトは群衆の言いなりの判決を下すのです。
聖書にはこのようにピラトの無責任な事なかれ的な態度が描いてあります。
イエス様を棕櫚の枝を振って歓迎した群衆が何故心を変えてイエス様を死刑にしろと叫んだのでしょうか?
歓迎した群衆と、死刑にしろと叫んだ群衆は別人だったのでしょうか?あるいはイエス様の活動に反発していた律法学者たちに扇動されたのでしょうか?どちらにしても群衆心理の無責任さぶりを示しています。
処刑場についたイエス様は十字架の上に釘打たれます。
その作業をしている人々のことをイエス様は神へ祈るのです、「父よ彼らをお赦しください。自分がなにをしているのか知らないのです。」
そして十字架上で苦しんだ末に、午後3時に「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」とおっしゃって息を引き取られたのです。
今日のミサの前には下の写真のような教会の鐘楼の下に信者が棕櫚の枝を手にかざして集まります。
そして2000年前に群衆がしたと同じように棕櫚の枝を打ちふってイエス様を歓迎する場面を再現します。それから聖歌を歌いながら聖堂に入ります。
そして、イエス様が裁判にかけられ、十字架の刑がくだされ、処刑される経緯を書いた聖書を丁寧に朗読して、祈るのです。
信者にとってとても感銘深いミサでした。
この記事をお読み頂いた方々へ神様の御慈しみがありますようにお祈り申し上げます。
仕事をしていた間は外国に憧れて、住んでいたこともありました。しかし引退してからは外国へ行かなくなりました。年老いて長い飛行機の旅が辛くなったからです。
その反動か、国内の辺境の地への興味が急に湧いてきました。
辺境への憧れは誰しもが持っていると思います。
そんな憧れを心に抱きつつ、国内のいろいろな所へ行きました。その中から特に印象深かった辺境の地への旅日記を連載して行きたいと思います。
第一回目は北海道の東の端の野付湾を囲む細い半島への旅日記です。
その細い半島の内側にトドマツやナラの木々が立ち枯れになっている風景があるそうです。あまり観光客も行かない辺境の地のようです。
北海道東部の川湯に連泊しながら、レンタカーを根気良く運転しての2012年9月の旅でした。
その川湯から50kmくらい東へ行くと、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。
その南30kmくらいの所に幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た野付半島が、湾曲しながら26kmも伸び野付湾を囲んでいます。
その風景はまさしく辺境を感じさせる異様なものでした。砂洲の上には細い道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。
地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。
その白骨のような林が野付湾を一層荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。
下に野付半島の写真を示します。
(写真の出典は、http://betsukai.jp/blog/0001/archives/2009/06/images/1245371831.jpgです。)
しかし野付湾には美味しい縞エビが棲んでいて、夏にはその味を楽しむことが出来ます。
旅の目的の一つは荒涼たる野付湾と、トドワラやナラワラを見てその写真を撮り、その後でゆっくり茹でた縞エビを食べることでした。
茹でた縞エビは濃厚な味で、確かに有名なエビだけに申し分の無い美味でした。
下に雨もよいの野付湾の風景写真を2枚示します。
小雨が降ったり止んだりで、時々薄日が射していました。
上の写真のような野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。下にその光景を示します。
よく見ると下の写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所もあります。
ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。
その駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。下の写真です。
上は立ち枯れた木が倒れた場面ですが、立ったままの林もあります。それを下の写真に示しました。私は自信が無かったので行かず、家内だけ先端まで歩いて行きました。木道は高く狭いので、強い海風や雨が吹き付けると落ちそうになり怖かったそうです。
この野付半島の向かい側、16km沖には国後島があります。今回は天気が悪く見えませんでいでしたが、野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
訪れたビシターセンターの2階には昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉・国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。
日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。ロシアは返還しません。
墓参りくらいは行けるのでしょうか?そんな事を考えながら雨のそぼ降る道を帰って来ました。
暗い淋しい小さな旅でした。(続く)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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神代植物公園の桜:
サトザクラなど65種類、約200本のサクラが植えられている。サクラ園の他、芝生広場西側やバラ園横のソメイヨシノの並木も見事。ジンダイアケボノがシンボル。
アクセス:
東京都/新宿区 | 春の特別開園 3月25日~4月24日 春の特別開園期間中は無休 | |
東京都/台東区 | うえの桜まつり 3月23日~4月7日(開花にあわせて) | |
東京都/墨田区 | 墨堤さくらまつり 3月下旬~4月上旬(開花にあわせて) 3月30日~3月31日・4月6日~4月7日 イベント開催 | |
東京都/江東区 | 桜まつり 3月下旬~4月中旬 | |
東京都/板橋区 | 舟渡さくらまつり 3月31日 10:00~15:30 | |
東京都/北区 | さくらSA*KASO祭り 4月6日~4月7日 | |
東京都/八王子市 | 滝山城跡さくらまつり 4月7日 野点、お囃子、甘酒の配布他 | |
東京都/小金井市 | 第59回小金井桜まつり 4月5日~4月7日 10:00~18:00 | |
東京都/羽村市 | はむら花と水のまつり2013 3月29日~4月15日 前期さくらまつり | |
東京都/あきる野市 | さくら祭り 4月13日~4月14日 園内のふれあい広場で、各種だしもの、地元物産販売、飲食販売など | |
東京都/千代田区 | 3月末~4月上旬 千代田のさくらまつり(開催予定) | |
東京都/千代田区 | 「千代田のさくらまつり」 3月末~4月上旬開催予定 | |
東京都/世田谷区 | JRA馬事公苑 第12回桜まつり 3月30日~3月31日 9:00~17:00、馬のアトラクションなど | |
東京都/立川市 | フラワーフェスティバル 3月23日~5月26日 | |
東京都/調布市 | 桜フェスタ・さくらコンサート 3月下旬~4月上旬の日曜日に実施予定 | |
東京都/国立市 | 4/6(土)~7(日) 第36回くにたちさくらフェスティバル | |
東京都/港区 | 春まつり2013 3月22日~3月24日 六本木ヒルズ内飲食店舗が出店する屋台が並びます。 | |
東京都/福生市 | 4月5日~4月14日 ふっさ桜まつり | |
東京都/多摩市 | (1)乞田桜まつり 3月31日 (2)多摩センター桜まつり 4月7日 | |
東京都/中野区 | 4/5(金)~7(日)「第27回中野通り桜まつり」 | |
東京都/港区 | 3/29~3/31 桜まつり2013 | |
東京都/港区 | 3/20~4/14 Midtown Blossom 2013 | |
東京都/文京区 | 3/23~4/7 第42回 文京さくらまつり | |
東京都/江東区 | 3/30(土)~4/21(日)「お江戸深川 さくらまつり」 |
明治、大正、昭和と自分の会社で使う電気は自分で発電する体制がありました。
昭和14年にJRの前身の国鉄が信濃川に千手発電所を作りました。その後、同じ水系に小千谷発電所と新小千谷発電所を増設して合計44万キロワット余の最大発電量になっています。
この3つの発電所はまとめて信濃川発電所といい、現在はJR東日本の所有になっています。そして発電業務はJR東日本、東京支社が行っています。
この信濃川発電所の発電量は現在のJR東日本の消費電力の25%にあたります。
この信濃川発電所の特徴は年間を通じて非常に安定した発電を行っていることです。
年間の総発電量が佐久間水力発電所についで全国2位になっています。佐久間が143万MWhに対して119万MWhの発電量です。
佐久間ダムは天竜川中流にある巨大なダムです。下にその写真をしめします。
全国各地の鉄道会社はそれぞれ水力発電所を所有して電車を走らせています。その地方ごとの事情を調べると面白いと思います。これからそんな調査もして行きたいと思います。
以下にWikipedeaの「信濃川発電所」の項目からこの発電所関連の写真をお送り致します。
右が小千谷発電所で左が新小千谷発電所です。
上は千手発電所です。
上は信濃川発電所の調整池です。
上が静岡県の天竜川中流にある佐久間ダムです。発電、洪水防止、工業用水などの為の多目的ダムです。
昨日、3月22日の読売新聞の夕刊の一面に、「中国 環太平洋演習に参加」という記事が出ていました。
私は直感的に、ああ、これで中国の狂気の軍事行動が抑えられると深い安堵感を覚えました。
中国は巨大な経済力を持っています。そこで私は中国が北朝鮮的な軍事冒険国家にならないようにと祈っていました。特に最近は尖閣諸島近海で攻撃的な行動をとっていたのでとても心配でした。航空母艦を出動して、太平洋の制海権を取ろうとする態度に深い危惧を感じていたのは私だけではないと信じています。
その中国が習近平主席に交代してアメリカが主催する太平洋での国際共同軍事演習へ参加するのです。2014年に22ケ国以上が参加する海軍艦艇を主にする共同軍事演習です。この軍事演習は1971年から始まり、日本の自衛隊も1980年から参加しています。
昨年の共同演習では艦船46艦、航空機200機、人員25000人が参加した大規模な演習でした。
艦艇を出して参加した国は、アメリカ、日本、オーストラリア、韓国、カナダ、ニュージーランド、シンガポール、メキシコ、チリ、ロシア、フランスの11ケ国です。
軍人だけ参加した国は、インド、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、トンガ、ペルー、コロンビア、ノルウエー、オランダ、イギリスの11ケ国です。
演習では水上戦、対潜水艦戦、対空戦、ミサイル発射などの戦術訓練が実行されました。
この演習は2年毎で、次回は2014年です。
これに中国が参加するという事は中国が孤立して狂気の軍事行動を起こさせない保険のような効果が期待できます。
中国がアメリカや日本や韓国の軍事能力を正確に理解し、自分の軍事能力を客観的に理解出来るのです。これこそが、中国単独の冒険的な攻撃を抑える効果があるのです。
日本が狂気の真珠湾攻撃をしたような大間違いを事前に防ぐことが出来るのです。
今朝の読売新聞一面には、「中露、領土問題で連携」という記事も出ています。
中国の習近平主席がロシアを訪問してプーチン大統領と親しく話し合い、両国間の関係を強化し、アメリカへ対抗する方向に合意しました。
これは中国が孤立しないで国際協力を重視している証拠です。国際的な常識が通用する中国である限り日本は中国と円満にお付き合いができるのです。
最近に無い明るいニュースでしたので、その効果を前向きに描いてみました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
1964年に小金井市へ引っ越してきました。家の周りは畑や雑木林がありました。カッコーのようですが尾は長く、色はグレイと水色、頭は黒のとても美しいオナガという鳥が群れをなして裏の雑木林で鳴いていました。見たことも無い綺麗な鳥だったので見とれていました。姿に似合わず声はギャーギャーと汚くて、家内と「天は二物を与えずだね」と言っていたものでした。それが15年くらいたって突然姿を消したのです。
調べてみましたら留鳥であり近場に一年中棲みついているそうです。
それが20年、30年前から、各地で急に居なくなったようです。原因は分からないそうです。懐かしい鳥なので「日本野鳥の会」(http://www.birdfan.net/gallery/library/sanya_keiryu.html)のHPからお借りした写真を下に示します。
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参考:オナガ、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%82%AC
ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域に分かれて分布する留鳥である。 分布の一方はロシア東部、中国東部、日本など東アジアで、もう一方はイベリア半島の一部である。いずれの地域においても局所的、飛び地状に生息域が存在する。
近年の遺伝子分析によれば、2つの地域個体群は種レベルで区別されることを示した。またイベリア半島内では化石も発見されており、両個体群の分化が数万年昔にまでさかのぼることがわかっており、イベリア半島の個体群は別種 Cyanopica cooki となる可能性が示唆されている。この事実が明らかになるまで、本種の特異な隔離分布は長らく謎とされており、15世紀の南蛮交易船が日本からイベリア半島へ持ち帰ったという珍説まであった。
なお、日本では分布を狭めており、1970年代までは本州全土および九州の一部で観察されたが、1980年代以降西日本で繁殖は確認されておらず、留鳥として姿を見ることはなくなった。現在は本州の石川県以東、神奈川県以北で観察されるのみとなっている。わずか10年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因はまったくわかっていない。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に破れたという説がある。このように分布域を狭めてはいるが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にある。
全長は 34-39cm で、キジバトより一回り大きい程度。ただし尾羽が 20-23cm と長く、頭と体の大きさはムクドリ大。 名前の由来は、尾羽が長いことによる。
頭は黒く、背は淡い灰褐色、翼と尾は青灰色、のどから腹は灰白色で、尾の先が白い。雌雄同色である。なお、イベリア半島に分布する亜種は尾羽の先の白斑がない。
平地から低山地の比較的明るい森林や竹林を好み、森林に近接する市街地などでも見られる。
食性は雑食で、昆虫や果実、種子などを常食する。
樹上に枯れ枝などを使って皿状の巣を作り、1腹6-9個の卵を産む。抱卵期間は17-20日で、雌が抱卵する。雛は約18日で巣立ちする。カッコウの托卵先になることがある。
いつも高いところにおり、群れで行動し、カラスの仲間とあって学習能力は高い。警戒心が強く、また敵に対するモビング(疑攻撃)行動も活発で、巣が襲われた場合などは集団で防衛にあたる。
鳴き声は「ギューイギュイギュイ」「ゲー、ギー」などと汚い大声がよく聞かれるが、これは警戒音声であり、繁殖期のつがい同士などでは「チューイ、ピューイ、チュルチュルチュル」など愛らしい声で鳴き交わす様子も観察される。
小金井桜は玉川上水完成後まもなく、約270年以上前に上水の堤に植えられたのが始まりと言われています。
有名になったのは江戸後期に長谷川雪旦の「江戸名所花暦」や「江戸名所図会」、そして歌川広重の「武州小金井堤満花之図」や「小金井橋夕照」に描かれてからだそうです。
江戸、明治と見物客によって賑い、明治天皇も行幸になりました。
また小金井公園の桜花の奥の光華殿には第二次大戦中に現在の平成天皇が皇太子のころ疎開なさっていました。
現在の五日市街道沿いの堤の桜は車の排気ガスで勢いがなくなりましたが、小金井公園に植えた染井吉野、山桜、嵐山長柄の豆桜、深山桜などなどが咲きます。
今日はこの前の記事のように染井吉野桜が咲き始めました。その他の種類はこれから順次咲いて行きます。
下に歌川広重の「小金井橋夕照」を示します。
出典は、http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/wa33-5/wa33-5-005-l.html です。
今年も桜が咲きだしました。下の写真は3月20日に墓参りに行ったお寺の参道で撮りました。
あと少しで東京の桜の名所も満開なるでしょう。人々が浮かれて桜花の下でお酒を飲みます。楽しい季節です。
我が家では家内が桜が好きで、これから数日間は小金井公園、井之頭公園、国立市の桜並木、桜堤団地、神代植物公園、学芸大学や国際キリスト教大学、などなどを訪れます。
満開の櫻木の下を歩いていると心楽しくなります。豪華な桜並木を見やると豊かな気分です。生きていた幸せで身がほてるようです。
しかし桜を見るたびに戦前生まれの私は悲しい想いもします。喜びと悲しみが入り混じった心境なのです。
「桜の散りぎわのようにいさぎよく死ね!」という呼びかけが耳の中に木霊するのです。そして九州の南端の開聞岳を見下ろしながら沖縄へ飛んで行った特攻機のニュース映画を思い出すのです。沖縄戦の始まったのが3月下旬で東京の桜が満開になるころです。下にあるような開聞岳の姿が櫻木の向うに見えるような気がするのです。その上、参考資料に示したように「桜花」という特攻専用戦闘機もあったのです。
日本人はよく「武士道」を自慢します。しかし私はそんな言葉を信用しません。ほとんど騙し討ちのような真珠湾攻撃が武士道なのでしょうか?食料の補給もしなで玉砕しろというのが武士道なのでしょうか?米英の捕虜を虐待するのが武士道でしょうか?満州の関東軍が民間人を置き去りにして逃げたのが武士道なのでしょうか?戦争には行かなかったけれども戦前、戦後の生まれの日本人は武士道のむなしさを体験しているのです。
楽しい桜の季節になると桜花のように散れという武士道のまやかしを思い出します。悲しい気分になります。そんな日本人も少なくなり、やがては楽しさいっぱいの桜花の季節になることを祈っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
====参考委資料:「桜花」============
終戦までに11型が製造され755機生産された。桜花で55名が特攻し戦死した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E8%8A%B1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F
左から今日の南アルプス主峰、農鳥、間ノ岳、北岳です。
一生、登りたく思いつつ遂に登れなかった北岳です。そのバットレスを何度も眺めて溜息をついていました。
甲斐駒岳の7合目小屋までは息子と2回登りました。頂上直下200mで敗退しました。老齢でもう登れません。
八ヶ岳です。左端の西岳へは登りましたが主峰へは憧れだけで我が人生も終わりです。
このような山々の麓の山林の中にある私の小屋です。
近所の山林を伐採している人へお願いして焚火の周りの椅子にする短い松の丸太を貰ってきました。お土産の中村屋の御菓子を喜んで貰い嬉しかったです。
とても気の良い若者がクレーンで伐採した材木をトラックに積んでいました。
晴天の下、新鮮な空気の春風が吹いていました。