後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人間は高齢になると驚異的に考えが変わります(2)家族や親類へ対する考え方の変化

2013年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

家族と言えば私の場合すぐに妻を思いつきます。もう53年間も一緒に住んでいます。父母とは24年間一緒でしたから、その2倍以上も長い年月一緒に生活しています。

高齢になって妻への考えはどのように変わったのでしょうか?と考えてみると全然変わっていません。大切なかけがえの無い人です。よく出来た人です。楚々としています。などとブログで妻の自慢を並べることは愚かな事なのでこれ以上は止めます。

後期高齢者になって変わったことは「愛」から「感謝」へ変わった事のようです。しかしその変化は次第、次第に起きたので「驚異的な変化」ではありません。

それとは対照的に娘と息子の「2人の子供」へ対する考え方は急速に変化しました。

自分が現役の間は、自分が戦前生まれなので「立身出世」に奮闘していました。したがって娘や息子を叱咤激励して立身出世に努力するように説得していました。

しかし時代が変わったのです。反発しかしませんでした。私も不幸でしたが本人たちも不幸でした。戦前型の親孝行の重要さも教えました。

しかし後期高齢者になって私の考えがガラリと変わってしまったのです。

娘や息子へ何も期待しなくなったのです。これは諦めではありません。自然のままが一番良いと考えるように変わったのです。

親孝行に関する考え方も変わりました。彼らが生きている事だけが最大の親孝行と考えるようになったのです。そうすると自分も幸せになります。彼等も幸せになります。それで良いのです。

親類へ対する考えも引退した70歳を境にして驚異的に変化しました。

現役の間は伯父叔母、や従兄妹や家内の親類との付き合いを面倒で厄介なものと考えていました。それが70歳になってからは急に楽しくなってきたのです。

法事や親類の集りで、こちらが楽しそうにしていると、名前も分からない家内の親類が話しかけてきます。そしてどのような血のつながりがあるか丁寧に説明してくれます。

それで偶然分かったことですが家内は土方歳三と血がつながっているのです。家内の祖父の母が土方歳三の姉だったのです(家内は内緒にしていましたが)。歳三さんと家内のDNA鑑定をすれば似たようなパターンになるのです。これはどうでも良いことですが親類というものに急に興味が湧いてきたキッカケになったものです。

結論的に書くと家族や親類に対しての考えが「利己的な愛」から「自然な温かい関係」に変わったのです。その境目は仕事を止めた70歳の頃なのです。

現役の間は職場の人間関係と競争で忙しく、家族や親類の人々と自然な良い関係を築くことが出来なかったのかも知れません。

後期高齢者になると家族や親類との関係が自然になり、幸福な関係が出来るのです。さて皆様はいかがでしょうか?

それそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうし上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


ヤマセミとセキレイ3種の姿をお楽しみ下さい

2013年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

ヤマセミは文字通り山の渓流に棲む美しい鳥です。

そしてセキレイも水辺で尻尾を振り振り精悍な動きを見せる素晴らしい鳥です。

下に、野鳥の会のHP:http://www.birdfan.net/gallery/library/sanya_keiryu.html からその写真をしめします。

一番上の写真はヤマセミです。あとは3種のセキレイですが、名前をあてて下さい。

(正解は上に示した野鳥の会のHPにあります。)

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0061

0491

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このようにして野鳥の名前を少しづつ覚えて行くと愛着が湧いてきます。そして神様はなんと繊細で美しい動物を作ったかと驚きを禁じ得ません。

そんな想いで多くの人は野鳥の写真を撮っている事でしょう。自分で野鳥の写真を撮ろうとして苦心したことがあります。非常に根気の要ることです。野鳥の写真を撮っている人々へ尊敬と敬意を感じます。(続く)


ガンの放射線照射治療を受けて・・・武蔵野日赤病院を絶賛します

2013年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

2009年8月に武蔵野日赤病院で前立腺ガンの全摘出手術を受けました。

その後ガンがゆっくり局所再発し、手術後3年6ケ月から約7週間にわたる放射線照射治療を受け、昨日その照射治療が終わりました。

PSA値が0.500を越えたので総計66グレイの放射線(エックス線)を照射したのです。副作用はほとんどありませんでした。

さて治療を受けて感じますことは武蔵野日赤病院の素晴らしさでです。

病院が素晴らしいと表現すると変な感じがするかも知れません。しかし7週間の照射治療が楽しかったのです。愚かな私には素晴らしいとしか言いようがないのです。

2009年8月に前立腺ガンの全摘出手術を受けた時も、この病院に感動して6編もの記事を書いてこのブログに掲載しました。末尾の参考資料に示した通りです。

さてこの病院が何故素晴らしいか、その理由を2つに大別して説明いたします。

(1)お医者さん、照射室の技師さん、カウンセリング担当の看護師さん、受付のスタッフが実に親切だったのです。

担当のお医者さんは放射線科第一部長の星 章彦先生でした。毎週1回、照射治療の経過と副作用の説明をしてくれます。柔和な性格で親切にいろいろ説明してくれました。明快です。論理的です。

星先生から2つのことを学びました。ガン細胞は正常な細胞より放射線に弱いことです。焦点以外の部分を放射線が通過してもそれほど悪影響がないように照射の強さと回数を決めるのです。成程と納得しました。

そして照射する放射線は波長を最適化したエックス線なので他の臓器への副作用は弱いということも明快な説明でした。ですからどんな種類のガンでも放射線治療は有効なのです。

さて次に感心したことは毎朝行くと松島さんという看護師が必ず副作用の相談にのってくれることです。これは大変重要な仕事です。ガン患者は悩みを持っています。放射線は怖いものです。それを毎日数分ずつの会話をして解決しようといているのです。下に松島看護師の写真を示します。

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この松島看護師はどんな患者にも公平に優しく話しかけ、患者の心の負担を軽くしているのです。写真をブログへ出して良いですかと聞くと、どうぞどうぞと言ってくれました。

さて次は下の写真の扉の中の照射室で働いている数人の技師さんたちの見事な働きぶりです。良い意味でプロフェッショナルなのです。

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体を台の上に乗せ、体の位置を微妙に動かして放射線が間違いなくい患部へ当てるようにします。

私の体に手をかけて微妙に向きを変えたり少し引っ張ったりします。真剣です。その真剣さに感動します。技師さんは男も女もいて、合計15人位でしょうか。

チーム3人で交代で照射してくれます。彼らは良い職業を選んだのです。感心しました。

そして放射線科の受付の女性がまた優しくて気が利くのです。来る患者がガンを持っているのでそのような人を病院が選んで配置したに違いありません。

素晴らしい病院の一番重要な条件は働いている全てのスタッフが患者に優しく、そしてそれぞれが優秀な技能を持っていて、更にお互いの連携プレイが噛み合っているころだと思います。

この病院のマネージメントは成功しています。ちなみに院長は丸山 洋先生という方です。

さて素晴らしい病院であるためのもう一つの条件を以下に書きます。

(2)病院の設計が患者に負担をかけないように深く考えている。

例えば駐車場が広く、かつそれが病院建屋に接近しているんです。これは高齢の病人にとっては実に有難いのです。下にその駐車場を病院建屋3階から撮った写真を示します。

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駐車場は何時も空きがあり、親切な案内人が近い場所へ誘導してくれます。料金は100円とか200円でした。自分の家からここまで20分弱で来れるので、毎朝7週間の通院は楽しいドライブになりました。

この駐車場から建屋に入ると自動受付機がずらりと並んでいます。

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磁気メモリーの診察券を上の自動受付機へ入れると受付票が出てきて何処へ行くべきか明記してあります。(その科の場所が分からない時は後ろに待機しているスタッフにたずねると、親切に連れて行ってくれます)その指示通り地下の放射線科へ下りて行き、そこで又、放射線科の自動受付機へ診察券を入れると全て終わりです。

あとは約束通りの9時20分になると照射室へ呼び込まれます。その中には下のような照射機械があります。数人の技師さんの言う通り服を脱ぎ、台の上に仰向けに寝ます。

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前立腺が存在していた部分に焦点をあて上下左右4つの方向から約20秒づつ照射します。服を脱いだり着たりする時間も含めて10分でおわります。

後は放射線科の受けから診察券を返してもらって、一階にある自動精算機でお金を払って終了です。

この手順の素晴らしさは「待ち時間」の無いことです。病院といえば1時間や2時間はじっと待つのが当たり前と思っていました。病気を持った身にとってそれは苦痛なことです。

それが無く約束の時間どうり治療が終わるということに感動しました。

このように設備も良く、働いているスタッフの全員が親切で連携がよくとれている病院は最高です。たまたま近所にそのような病院があった幸運を神へ感謝しています。

そんなわけでガンの放射線治療をこれから受けられる方は是非、武蔵野日赤病院で受けますようにお薦め致します。

それそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうし上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

・・・・・・参考資料:以下5編の記事は2009年8月の掲載記事です・・・・・・・・・・

外科医、田中良典先生から学ぶ名医の条件

献身的な若き看護師たちの働き

女性の偉大さは全ての宗教や思想を超越する

「ガンになって知った個人病院と大病院の見事な連携プレイ」―東京都の地域医療支援病院制度―

前立腺全摘出の後遺症ー男が階段を下りる時、

・・・・・・以下1編の記事は2010年9月の掲載記事です・・・・・・・・

私はガン、命を預けているお医者さんをご紹介します・・・田中良典先生のこと


白モクレンが急に満開になりました

2013年03月19日 | 写真

今日は25度になり初夏のような陽気です。近所の白モクレンが急に満開になりました。カメラを持ってその花々の写真を撮って来ました。白モクレンと言ってもその白の色合いもいろいろです。枝ぶりも違います。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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・上はJR小金井駅の北口にある白モクレンで昔はある住宅の庭にありました。駅の拡張で住宅や庭は歩道になってしまいましたが庭木の白モクレンだけが毎年春に見事な花を咲かせます。

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・足元にレンギョウが咲いていたのでついでに撮りました

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産業技術遺産・駒橋水力発電所・・・その水路のロマン

2013年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

日本で一番古い、そして現役の水力発電所は明治21年、1888年に仙台に出来た三居沢水力発電所でした。(日本一古い水力発電所・・・仙台、三居沢(さんきょざわ)水力発電所

それで東京で一番古い現役の水力発電所は何処でしょうか?

それは大月市猿橋にある駒橋水力発電所です。明治40年、1907年に東京電燈が作った発電所で、その出力は15000KWで当時としては日本で最大の水力発電所でした。

そして発電所から東京の早稲田変電所までの76Kmを電圧55KVの高圧で長距送電に成功したのです。明治40年以降の東京市の夜が明るくなったのは駒橋発電所の完成と長距離高圧送電技術の成功のおかげなのです。

この駒橋水力発電所は現在東京電力のものとして相変らず発電を続けています。

この産業技術遺産探訪記は、http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2002/koma/koma.htmに掲載されています。そこから以下の写真をお借りして示します。

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落差104mと高い山の頂きへどのように水を引いて来るのでしょうか?不思議です。そこで水路を調べましたら以下の地図を見つけました。

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発電用の水は山中湖や忍野八海から流れ下る桂川の上流の、都留市古渡で取水しています。そしてすぐに川茂水力発電所で小規模な発電をしてから駒橋発電所へえんえんと送るのです。随所に水を送るトンネルを掘り抜き、ひたすら水を流します。

下は富士山が遠景として見える川茂水力発電所です。

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出典は山梨日日新聞です。

さて駒橋発電所で使用した水はその後どうなるのでしょうか?一度桂川の下流へ返します。そこで桂川の水と合体して、八ツ沢水力発電所へトンネルと水道橋をつないでまたえんえんと送るのです。下にその桂川の取水口の写真を示します。

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取水口は写真の右上のほうに写っています。

この取水口から大野調整池までにある3つの水道橋が産業技術遺産になっています。

それはそれとして、大野調整池からまたトンネルで水は八ツ沢水力発電所へ送られるのです。その上、八ツ沢水力発電所で使用済みの水はさらに松留水力発電所へ送られ発電をした後で、再び桂川に返され、相模湖へ注ぎ込むのです。

相模湖ダムの下部には相模湖ダム水力発電所がり、さらにその下流には城山ダムがあり、もう一つ大規模な水力発電所があるのです。

ちなみにこの相模湖ダム水力発電所と城山ダム水力発電所は、神奈川県庁企業局のもので東京電力のものではありません。もっとも発電した電気は東京電力へ売っているようです。

以上のように山中湖や忍野八海から流れてくる桂川には、水路をうまく作ることによって幾つもの発電所を作ることが出来るのです。その上、相模湖ダムや城山ダムを利用したダム式水力発電所も作ることも出来ます。

このような水流の巧みな利用方法は人間の知恵や文化がつまっていて、何故かロマンを感じさせます。

上に示したような考え方で、もう一度ご自分の住んでいる所の川やダム湖を見直すといろいろ興味深い発見をすると思いいます。(続く)


人間は高齢になると驚異的に考えが変わります(1)連載記事の内容の概略

2013年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事をやめて毎日趣味を楽しむだけの生活になると人間の考え方が大変に変わるようです。

私自身は70歳になって仕事を一切止めてから物の考え方が驚くほど変わりました。その変化は驚異的なものです。自分ながらあきれています。

現役の間は老後は淋しいだろうと考えていました。仕事が面白かったので、それが無くなるのですから不幸になると信じていたのです。

ところが毎日が急に晴れ晴れとして楽しくなったのです。不思議です。

そこで考え方がどのように変わったかを以下の実例について連載記事として書いていきたいと思います。そして何故変わったのか、その理由も考察して行きたいと思います。

(1)家族や親類に対する考え方の変化。

(2)友人や知人に対する考え方の変化。

(3)職業に関する考え方の変化。

(4)恩人、自分を支えてくれた人々への深い感謝。

(5)趣味に対する考え方の変化。

(6)宗教や死生観に対す考え方の変化。

その他いろいろと考え方が変わったものが沢山あります

考え方の変化は職業への執着心からの解放、因習的な家族制度からの解放、家族への期待や要求心からの解放、仕事のストレスからの完全解放、この世への執着心からの解放などなどが原因になって驚異的な変化が起きたものと考えています。

高齢になると物事が自然と公平に見えるようになります。我欲が弱くなるので、全てがあるがままに見えるのです。そうすると以前とはまったく違う風景が見えてくるのです。

これこそが老境の幸せです。勿論、体力も衰え、いろいろな病気とも一緒に歩かねばなりません。しかしその不幸よりも大きな幸せを感じる毎日になるのです。こんな変化は自分でも驚いています。若い時には想像も出来なかったことです。

さて高齢になった皆様はご自分の考え方が現役の頃と大きく変わったでしょうか?

そんなことを書きつづっていきたいと存じます。下の写真は先週の鎌倉の浜辺です。春が来たのでさっそく親子が遊びに来ていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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日本一古い水力発電所・・・仙台、三居沢(さんきょざわ)水力発電所

2013年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

自分の故郷の仙台には三居沢水力発電所があります。小学校の時、見学に行きました。それは明治21年に出来た日本一古い水力発電所です。宮城紡績会社が作ったのです。現在は東北電力の現役の発電所として最大毎時1000キロワットの発電をしています。(常時290キロワット)

仙台大空襲では被害が無く、戦後は進駐軍の住宅へ電気を供給していました。

2011年3月11日の大震災ではほとんど無傷でしたが、3日だけ停電しました。

詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B1%85%E6%B2%A2%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80にあります。

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発電用の水は広瀬川の少し上流で取り込み、発電後はまた広瀬川の下流へもどします。


ロマン溢れる水力発電所のある風景

2013年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、暇にまかせて山の中のある貯水池へドライブしました。

JR中央線の山梨県、四方津駅から山中へ登ったところにかなり大きな貯水池があります。

周りには数軒の農家があるだけの小さな盆地で、如何にも住み心地の良さそうな里です。周囲に水田も畑の無い山地なのに何故こんなに大きな貯水池が必要なのか昔から不思議に思っていました。

池の周りを散歩していたら看板がありました。以前には無かったものです。読んでみると、この貯水池は八ツ沢水力発電所専用の調整池ですと書いてあります。しかし発電所は遠方にあります。その水路が産業文化遺産として最近有名になっているそうです。

以前から岡鹿之助の雪の発電所という絵画が好きでした。心がシーンと静まる絵です。

そこで八ツ沢水力発電所を必ず訪問する決心をしただけでその日は帰ってきました。

岡鹿之助の雪の発電所の写真を示します。出典は:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/images/2012/01/120108_snow.jpg です。

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そして八ツ沢水力発電所の写真も示します。出典は:http://portal.nifty.com/2008/02/07/c/img/028.jpg です。

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水力発電は環境に無害です。明治、大正から昭和40頃まで日本の電力の大部分を担って来たので何故かロマンが感じられます。文化的に興味のある存在です。

そこで最近いろいろとその歴史や日本全土の存在地を調べています。

川の上流からえんえんと水路を作り山の斜面に取り付けた導水管を急に落下させて水車を回し、発電するのです。その努力が人間らしくてロマンが感じられるのです。

調べ始めて分かったことは水力発電所は大小さまざまで無数にあるのです。

所有者も大きな電力会社から県庁や民間会社まで実にさまざまで全貌が分かりません。

奥只見ダム発電所や黒部ダム発電所や田子倉ダム発電所のように巨大ダムを作って利用している所もあります。

これから調べを進めて行き、水力発電所のあれこれを記事にして掲載していきたいと思っています。(続く)


北海道の地名の8割はアイヌ語、そして富士山、利根川、能登もアイヌ語です

2013年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道に住んでいる人々は北海道の地名の8割ほどがアイヌ語をカタカナや漢字で表現した地名であると知っているそうです。しかし北海道以外の日本人は意外にこの事実を知っていません。札幌も稚内も石狩川もすべてアイヌ語の地名を漢字で書いたものです。

その上、驚くべきことは、富士山や利根川や能登半島もアイヌ語だそうです。そして神佛などというときの「神」もアイヌ語から来ているそうです。このことは明治時代に、東京帝国大学の教授であったバジル・ホール・チェンバレン教授によって明らかにされたのです。彼は英・アイヌ・和語辞書を作った学者です。

アイヌ人は縄文時代末期まで、関東地方にも広がって住んでいたのです。その後、大和朝廷に少しずつ北方へ追いやられ、江戸時代には北海道(蝦夷地)にだけになりました。しかし本州の関東以北にはアイヌ語の地名をいくつも残して退却していったのです。

話はいきなり飛びますが、アメリカの内陸部の地名、河の名前がインディアン語のものが多いのです。オハイオもそうですが、オハイオ州の河や地名の多くはインディアン語由来のものです。先住民は消えて行いきます。しかし先住民から受け継いだ貴重な名前を軽々しく変更すべきではないと信じています。

最後に参考資料として、「北海道の地名・駅名」についての資料を付記しておきます。出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%83%BB%E9%A7%85%E5%90%8Dです。

「北海道の地名・駅名」というキーワードで検索すると、北海道のアイヌ語由来の地名をカタカナや漢字で表すときの一般的な規則らしいものが分類され出ています。

=========Wikipediaの「北海道の地名・駅名」より抜粋======

北海道の地名・駅名は、概ね以下のように分類できる。

  • アイヌ語に由来するもの
    • アイヌ語に日本語(漢字)表記をあてたもの
    • アイヌ語をそのまま使用しているもの
  • 内地からの開拓・入植に際して地名が決められたもの
  • 周辺に存在した施設・自然状況、あるいは周辺の風土などから命名
  • 上記によって定められた地名・駅名に、方向や大小などの接頭語・接尾語をつけたもの

@アイヌ語に由来するもの

アイヌ語地名に日本語風の地名・駅名につけるにあたっては、以下の方法が見られた。

  1. アイヌ語に漢字の表記をあてたもの
  2. アイヌ語の音に漢字をあてずカタカナで表記しているもの(日本語を割り当てていない)

@アイヌ語に漢字表記をあてたもの

老者舞(おしゃまっぷ)
(釧路町老者舞集落入口にある標識)

漢字の当て方には、次の2通りが見られる。

  • 音訳 - アイヌ語の「音」を流用し、漢字を当て字(仮借)したもの
  • 意訳 - アイヌ語の「意味」を解釈し、似た意味の日本語を割り当てたもの
音訳したもの

音訳の例としては、「ホッキ貝の多い所」を表す「ポク・オ・イ」からとった母恋や、「川口の汚染された所」を表す「オ・トイネ・プ」からとった音威子府・音稲府(枝幸町)などがある。また、アイヌの地名をそのまま日本語地名としては冗長であったりごろが悪かったりする場合には一部短縮・省略したものもある(オペレケレケプ->帯広、ピウカ->美深))。

これらは音のみに着目した「当て字」である。漢字は表意文字であるが、あてられた漢字の意味にアイヌ語原義との直接的な関連性があるとは限らない。例えば、道内に数多く見られる「内」「別」は、それぞれアイヌ語で川を意味する「ナイ」「ペツ」に当て字されたものであり、「内側」「別れる」の意味は持たない。同じように「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字で、「幌」の字の持つ意味とは関係がない。

========以下省略==================

下に1912年に北海道で撮ったアイヌ民族の写真を示します。

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(上の写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C)

1912年にチェコのヤン・ハヴラサという旅行家が北海道のアイヌを訪ねて撮った写真が残っています。本が出版されたからです。その本は、ヤン・ハヴラサ著、長与進訳、「アイヌの秋ー日本の先住民族を訪ねて」という本です。未来社から1988年9月に第一刷が発行され、1994年1月に第3刷が発行されています。

1912年のアイヌでは伝統的なアイヌの衣装を着て生活をしていたのです。独立した民族としての最後の頃の写真が多くあります。その後、日本人はこの違う文化を持った他民族を消し去ったのです。現在は2013年。丁度100年位後です。多くの日本人はアイヌが北海道に堂々と住んでいたことを忘れてしまいました。しかしたまにはアイヌ民族のことを思い出してみることも良いと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)


死者を思い出し、感謝し、冥福を祈る・・・豊かな気持ちになる

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日はお彼岸の入りです。午後から気分が少し良くなったので家内の父母、祖父母、親類のお墓参り行きました。家内と一緒に故人を思い出し、感謝し、それぞれの冥福を祈りました。お彼岸の中日に沢山お花を供える予定なので、今日は家の庭に咲いている花々を少しだけ供えてきました。

家内は、可愛がってくれた祖父母や父母のことをいろいろと思い出し楽しそうにしていました。私も自分の父母、祖父母、親類のことなどを思い出し、楽しい時を過ごしました。下にそのお寺とお墓の写真を示します。

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冥福を祈るといえば昨日中央高速道路の下りの初狩PAで献花小屋を見つけました。昨年の12月に笹子トンネル天井板の崩落事故で亡くならた9名の方々へ献花をして、冥福を祈る小屋です。

一般の人々が花を買って、お供えしていました。とても良い光景だったので写真を撮りました。

その小屋の窓の外には真っ白い富士山が見えます。富士山が故人と、故人の冥福を祈る人々を見下ろしているのです。

日本人の心の豊かさに私共も気分が豊かになりました。下に写真をお送りいたします。

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私が愛用する教科書は片岡弥吉著「長崎の殉教者」と「踏絵ー禁教の歴史ー」

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は風邪気味で午前中は寝たり、起きたりしていました。ミサへ行かなかったので、そんな時は片岡弥吉著「長崎の殉教者」と「踏絵ー禁教の歴史ー」を読みかえしています。

キリシタンの歴史書でもありますが、卓越した郷土史家として客観的な文章で長崎の歴史を淡々と描いています。

随分、昔にこの「長崎の殉教者」を読んで感動し、片岡氏へ手紙を送ったことがありました。丁寧な文章の返事が来ました。

片岡弥吉氏の書いた本は、http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E7%89%87%E5%B2%A1%E5%BC%A5%E5%90%89&tag=yahhyd-22&index=stripbooks&jp-ad-ap=0&hvadid=6841747588&ref=pd_sl_4fxsyctxjd_b で購入出来ます。

片岡氏は1980年に亡くなり、著書も絶版になっているものが多いようです。しかし読んだ人がもっと多くの人に読んで貰いたいと思うらしく中古本もネットで購入出来ます。更に死後20年経過した2010年に、片岡弥吉全集1.日本キリシタン殉教史 智書房 2010.5、※全5巻予定で年1冊刊が発刊されています。

以下にWIkipedeaの「片岡弥吉」の項目の資料をご紹介いたします。

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片岡 弥吉(かたおか やきち、1908年1月12日 - 1980年2月21日)は、日本史学者。

長崎県生まれ。日本大学卒。主として長崎の歴史、キリシタン研究で知られる。1964年『浦上四番崩れ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。1951年純心女子短期大学助教授、後に教授、副学長。

著書

高山右近 大夫長房伝   カトリック中央書院 1936

信仰に輝く日本婦人達   きりしたん文化研究所 1941.10/ 復刻:大空社 1995

少年少女のための日本キリシタン物語  中央出版社 1948.12

聖フランシスコ・ザビエル物語  新太陽社 1949.5/ 復刻:長崎純心大学 1999

永井隆の生涯   中央出版社 1952

長崎の殉教者  角川書店(角川新書) 1957/ 改訂版.角川選書 1970

日本キリシタン物語  中央出版社(少年少女文庫) 1958

浦上四番崩れー明治政府のキリシタン弾圧   筑摩書房 1963/ ちくま文庫 1996

高山右近  高山右近列福運動本部 1964

河浦町郷土史 第4輯  天草学林とアルメイダ 河浦町教育委員会 1964/ 新版1984、小冊子

かくれキリシタン  歴史と民俗  日本放送出版協会(NHKブックス) 1967

雲仙・天草  外山三郎共著 講談社(原色写真文庫) 1968

踏絵 禁教の歴史  日本放送出版協会(NHKブックス) 1969

近世の地下信仰 かくれキリシタン・かくれ題目・かくれ念仏
圭室文雄・小栗純子共著、 評論社[日本人の行動と思想] 1974

ある明治の福祉像 ド・ロ神父の生涯  日本放送出版協会(NHKブックス) 1977.1

日本キリシタン殉教史  時事通信社 1979.12

片岡弥吉全集1.日本キリシタン殉教史  智書房 2010.5、※全5巻予定で年1冊刊

長崎のキリシタン  聖母の騎士社 (聖母文庫) 1989.5

長崎のキリシタン使徒たち  純心女子短期大学 1991.4

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神の前の平等とこの世の不平等や不自由・・・山を前にして考える

2013年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

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Img_3940 昨日は甲斐駒岳の麓の山林の中へ遊びに行きました。写真のように都会とは違って広々した空間が広がっています。青空に春らしい雲が流れています。

枯葉に埋もれている小川の水も春らしく輝いています。

そんな環境に入ると自然に神を感じます。自然の山や森に住む神々も感じます。

そして全知全能の唯一の神も見えてきます。その神様は全ての人間を一人一人平等に大切にしてくれます。平等に愛してくれます。

人間は神の前で完全に平等なので他人へ隷属することなく自由に生きることが出来るのです。この感じ方がキリスト教の平等と自由の考え方です。欧米人が他Img_3937_3 人の思惑を考えずに自由に生きている背景にはこんな感じがあるの でしょう。

しかし神の前では平等でも、この世は不平等に満ちています。この世は不自由なものです。

貧困の家に生まれる人と、裕福な貴族の家に生まれる人は、生まれながら不平等を背負って生きて行かねばなりません。

権力者が他人を押さえつけます。人々は権力者の意のままに不自由な生活をしなければなりません。これがこの世の定めと諦めて生きている人もいます。それも立派な人生です。

しかし神の前の平等と自由もこの世の実社会で実現しようとしている国があります。その例がアメリカ合衆国です。

アメリカは階級による差別をなくそうと努力してきました。黒人差別を克服しました。あらゆる差別を廃絶するために「差別用語」を徹底的に排除しました。家柄とか教育によって人間を評価しなのです。人間の価値はその人が現在、何をしていて、将来、何をしようとしているかによって決まるのです。

このように書くと簡単ですが実生活では毎日大変な努力をしています。例は枚挙にいとまがありません。アメリカ人とビールでも飲んで、親しくなっても私の家柄といか卒業した大学を絶対に聞きません。勿論こちらからも聞いてはいけません。

アメリカも以前はインディアンンと言って原住民を差別していました。その呼び方は禁句になりました。アメリカ原住民と言います。

それから以前は郵便封筒に書く名前の前にMr.(ミスター)とかMrs.(ミセス)と言う敬称をつけていましたが、現在は敬称を一切付けてはいけません。いきなりKazuzhiro Gotoと書きます。勿論、Dr. もProfessorも敬称としては用いません。

看護婦は看護師と呼びます。消防夫は消防士です。男女差別を徹底的に廃絶するのです。

日本の社会でも最近は差別用語は廃絶されています。しかしキリスト教の「神の前の平等」という概念抜きでされているので何か軽い流行のような感じで受け止めている人が多いようです。

欧米社会での民主主義はキリスト教の影響を受けた民主主義と考えるのが自然ではないでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


お釈迦様の前に立った人間の平等と自由

2013年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

カトリックの復活祭の前の40日を四旬節と言い質素な生活をして復活祭を迎える心の準備をします。そしてその四旬節の前に「灰の水曜日」があります。教会に行って神父様から頭に灰をかけて貰います。すべての人間は土から生まれて灰に帰るという事を思い起こすためです。

どんなに偉い人も、全ての権力者も、貧しい者も富める者もみんな、みんな完全に平等に灰になってしまうのです。これこそが神の前に立った人間の平等というものです。そしていずれは皆が灰になるのですから神に与えられた能力にしたがって自由闊達に生きれば良いのです。これが神の与える自由というものです。

ところで話は飛びますが私は祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので幼少の頃から般若心経を唱えていました。

その教えは、どんなに偉い人も、全ての権力者も、貧しい人もみんな、みんな完全に平等に空(クウ)なのです。そして全ての空(クウ)なものこそ人間や、全ての物質の本質なのです。

そしてお釈迦様は弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ以下のように語るのです。

舎利子(シャーリプトラ)よ この諸法は空の相にして 生ずることなし滅することなし。 垢ならず浄ならず 増えず減せず。是の故に空の中に色は無く 受も想も行も識も無し・・・・以下省略・・・

このお経を聞くと私はカトリックの灰の水曜日の教えと全く同じではないかと感じるのです。

このお経の前では人間は完全に平等なのです。平等だからこそ自由に生きて良いのです。気持が癒されます。気持が晴れ晴れします。お釈迦様の慈悲を感じます。そうです。お釈迦様は人間の一人一人を平等に大切にします。

以下に般若心経とその解説をお送りします。般若心経の意味は上に書いたものよりもっと、もっと深く、その完全な理解は凡俗の私には無理です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料======================

『般若心経』は膨大な『般若経』600巻の精髄をまとめたもので、字数にしてわずか262文字の短い経典ですが、深遠な仏教の思想と広大な慈悲のいとなみである宗教的実践を簡潔に説いています。この経は、日本ではほとんどの宗派で読まれています。『般若心経』は、正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』と呼ばれ、大いなる(摩訶)、智慧(般若)の完成(波羅蜜多)の真髄を説いた経典のことです。その内容は『般若経』の中心思想である「空」の思想を簡潔に説いています。この「空」の概念は、ただ単に何物もない・空っぽである、という意味ではありません。すべてのものには「固定的な実体はない」という哲学的概念を含んでいます。ですから経文中の「色即是空、空即是色」とは、色(すべての目に見える対象)は空(永遠に変化しないものはない)なのだ、そして空(変化生成するもの)なるものが色(対象世界)なのだ、という意味なのです。.この経典の異訳は全部で8種類ほどあるとされ、なかでも鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『摩訶般若波羅蜜大明呪経(まかはんにゃはらみつだいみょうじゅきょう)』と玄奘(げんじょう)訳の『摩訶般若波羅蜜多心経』がもっともよく知られています。玄奘訳はのちに読誦用としてもっともひろく用いられるようになり、それが現在、一般に『般若心経』といわれているものです。


般若心経(はんにゃしんぎょう)
  

 仏説摩訶般若波羅蜜多心経
 ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五薀皆空 度一切苦厄
 かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ  しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく

 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
 しゃりし しきふいく くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
  しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
 ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんに むしきしょうこうみそくほう むげんかいないしむいしきかい

 無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 
 むむみょうやくむむみょうじん   ないしむろうしやくむろうしじん

 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
  むくしゅうめつどう  むちやくむとく  いむしょとくこ 
 

 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
 ぼだいさった   えはんにゃはらみったこ    しんむけげ   むけげこ    むうくふ

 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
 おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
  こちはんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうじゅ のうじょいっさいく しんじつふこ

 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
  こせつはんにゃはらみったしゅ そくせしゅわつ


 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
  ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか

 般若心経
 はんにゃしんぎょう
般若心経(はんにゃしんぎょう)の解釈
 仏が説かれた「悟りの智慧を完成させる偉大な真言」の教え

 観自在菩薩が深般若波羅蜜多を修行し時に 

 五薀は皆な空であると照見して一切の苦厄を救いたまえり

 舎利子よ 色は空に異ならず 空は色に異ならず 色は即ち是れ空 空は即ち是れ受も想も行も識も またまた是の如し

 舎利子よ この諸法は空の相にして 生ずることなし滅することなし

 垢ならず浄ならず 増えず減せず

 是の故に空の中に色は無く 受も想も行も識も無し

 眼耳鼻舌身意も無く 色声香味触法も無く 眼界も無くそれから意識界までもすべて無し

 無明も無く亦た無明が尽きることも無くそれから 老死に至るすべても無し

 苦集滅道も無く 得る所無しを以ての故に 智も無くまた得も無し 

 菩提薩埵は 般若波羅蜜多に依るが故に 心のくもり無く

 くもり無きが故に 恐怖も無し

 一切の顚倒した夢のような想いを遠く離して 涅槃を達成した

 現在過去未来のすべての仏も 般若波羅蜜多によるが故に 大いなる悟りを得られた

 故に知るべし

 般若波羅蜜多の是れ大いなる真言 是れ大いなる悟りの真言 是れ無上の真言 是れ比類なき真言

 能く一切苦しみを除き 真実にして虚偽なし

 故に般若波羅蜜多の真言を説く 即ち真言を説いて曰く

 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボディ スヴァーハー

 般若心経


春の野鳥の姿を楽しもう

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、野鳥の姿の美しさに魅せられいろいろな写真を見て楽しんでいます。

野鳥には渡り鳥、留鳥、漂鳥、旅鳥などがいてある季節だけ姿を現すものがいます。

下の写真の鳥達の名前は何でしょうか?クイズをお楽しみ下さい。

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Spring_0703061

Spring_0505231

上の写真の出典は以下に書いてあります。正解もその中にあります。

季節の野鳥(春) | 野鳥を楽しむポータルサイト BIRD FAN | 日本野鳥の会

http://www.birdfan.net/shizen/kisetsu/spring.html

これから季節も良くなります。野山に出て野鳥の姿を楽しみましょう!


白モクレン、菜の花、ケシの花が咲きました・・・いよいよ春ですね

2013年03月15日 | 写真

春らしい陽に誘われて近所を散歩しながら花々の写真を撮ってきました。

急に春が来たような気分になりました。写真から春を感じて頂ければ嬉しく思います。

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