おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

23 用水路と肥溜めと

2009-04-11 09:10:36 | つぶやき
 子どもの頃、まだ葛飾区の中央部あたりでも、国鉄や京成電車の駅の周辺を除いてはほとんどが田んぼでした。田んぼの中にあぜ道が続く風景。今の環七と中川との間の地域には農家が多くありました。その西側は、一面田んぼでした。田植えから稲刈りまで春から秋までまさに農村風景でした。黄金の秋には、刈り取った稲干しの棚がずらっと並び、干し草の匂いが一面に漂っていました。小学校には、そのあぜ道を通って通いました。(もちろん当時は、環七など姿形もありません。)
 通っていた中学からは、はるか遠く北の方まで見渡せて、ちょっと歩くと、常磐線を走る蒸気機関車の姿を見ることが出来ました。
 その後、少しずつ家が建ち並んで来ていましたが、まだまだ至る処に用水路が流れていました。幅2㍍くらいで、一㍍くらいは掘り下げられていたでしょうか、雨が降ると、けっこうな水量になりました。田んぼがなくなり、家が建ち、だんだんと汚いどぶ川のようになってきました。
 コンクリートで枠がつけられ、ところどころ、幅10センチくらいの桁が架けられています。子ども達はそこを渡ったりするのが、遊びの一つでした。だから、落ちたりする子もしばしばです。中には、川の向こうに渡ろうとして、幼くして命を落とす悲劇もありました。また、池でおぼれて、死に損なった子どももいました。そのうち、上にコンクリートのふたが出来、暗渠となりました。そして、アスファルトで舗装され、道路に。
 今、かなり大きな下水管が、そうした道路の下を通っているところも多くあります。もうすっかり昔の面影はありません。田んぼどころか、畑も見あたりません。たまに見かけても、家庭農園用に一般区民に貸し出している所しかないようです。
 落ちると言うと、冬の日、雪の積もった時に、友達が肥溜めに落ちて大騒ぎになったこともあります。田んぼの中に、肥溜めがあった時分です。すっかり地面が雪景色で、どこが道か田んぼか肥溜めか分からない。そして、ついに肥溜めにずっぼとはまってしまったのです。あわてて、大人達が引き上げましたが、実に大変な状況。糞尿にまみれて、臭いわ、汚いわ。もう深刻ですが、何となくおかしな光景でした(見ている者にとっては)。こうして書きながらも、その雰囲気、臭いまでもよみがえってきます。これらは、葛飾の60年近く前の出来事。
 そういえば、何年か前に、職場の同僚から、「どうもこの下町は、足元に水が流れているようだ」と言われたことがあります。まさに、今ある道路の大半、家の下は、かつては、水田と用水路だったのです。その方の指摘は、直感として正しかったのです。
 写真は、水戸街道・亀有警察署前の「新宿交通公園」近くにある「小岩用水」。細く穏やかで、きれいな流れになって、水辺には草花も植えられています。今の子ども達は落ちることも、おぼれることも、おそらく怪我をすることもないでしょうが・・・。
コメント
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