おやじのつぶやき

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読書「サラエボで、ゴドーを待ちながら」(スーザン・ソンタグ)みすず書房

2013-01-05 13:09:29 | 読書無限
 サラエボ。1990年、多民族国家・ユーゴスラビアが東欧民主化の嵐の中で崩壊、国内は内戦状態となり、1992年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こりました。サラエボは、民族浄化・他民族排撃を大義名分にした、セルビア人武装勢力によって包囲されました。銃撃を受け、人も街並みも荒廃したさなか、ソンタグの演出によって「ゴドーを待ちながら」を上演したときの、自らの思いと現地の演劇人との交流、市民生活の現実とを織り交ぜながら経験的に語った文章が、表題のものです。
 (かなり説明的になりますが)、 

 『ゴドーを待ちながら』は、サミュエル・ベケットによる戯曲。副題は「二幕からなる喜悲劇」。初出は1952年で、その翌年パリで初演。不条理演劇の代表作として演劇史にその名を残し、今もなお多くの劇作家たちに強い影響を与えています。

 2幕劇。木が一本立つ田舎の一本道が、舞台。
 第1幕ではウラディミールとエストラゴンという2人の浮浪者が、ゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはなく、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにポッツォと従者・ラッキーがやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、市場に売りに行く途中だとポッツォは言う。ラッキーはポッツォの命ずるまま踊ったりするが、「考えろ!」と命令されて突然、哲学的な演説を始める。ポッツォとラッキーが去った後、使者の少年がやってきて、今日は来ないが明日は来る、というゴドーの伝言を告げる。
 第2幕においてもウラディミールとエストラゴンがゴドーを待っている。1幕と同様に、ポッツォとラッキーが来るが、ポッツォは盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。2人が去った後に使者の少年がやってくる。ウラディミールとエストラゴンは自殺を試みるが失敗し、幕になる。

 2人が待ち続けるゴドーが何者であるかは劇中で明言されず、解釈はそれぞれの観客に委ねられています。木一本だけの舞台上で同じような展開が2度繰り返されることで、自己の存在意義を見いだせず、よるべきものすらない絶望的な現代人の姿とその孤独感を描いている、といえます。
 
 1993年8月17日~19日、サラエボ。こうした作品・『ゴドーを待ちながら』(結果的に1幕目のみでしたが)を上演することの筆者の深い思いについて、現在の私たち読者に訴えようとしたものは何か? 
 包囲され銃撃の嵐にさいなまされ、水も食料も途絶えたサラエボ市民たち。そうした生死の究極状況に置かれた街。つい近年までヨーロッパの伝統的な文化豊かな街であったサラエボ。すっかり死に絶えた状況の中、乏しいろうそくの光の下での、上演。

 「ゴドーは今日は来ない、しかし明日は必ず来るだろうという使者の言葉に続くウラディミールとエストラゴンの長い悲劇的な沈黙のとき、私の眼は涙で痛み始めていた。ヴェリボール(注:役者の一人)も泣いていた。観客の誰一人として音を立てる者はいなかった。聞こえてくるのは、劇場の外から来る音だけであった。国連軍の武装した人員輸送車が轟音を立てて通りを走る音と狙撃兵の銃声だけであった。」(P254)


 その後、各地で激しい内戦状態になった紛争は、NATOや国際連合の介入により収束し、サラエボも内戦以前の街並みを取り戻しつつあって、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、文化・伝統の中心都市、とのことです。
 
 ソンタグは、世界を旅して行動するアメリカの女性評論家でした。この書でも、文学、映画、写真、絵画、などさまざまジャンルの文化への批評活動を取り上げています。その大きな一つがこのサラエボでの演出活動に関するエッセイ。
 この方の英語文は、流麗かつ正確な英語用法に則っている文章遣い(厳密な英語を用いることを自らに課していた)とのことで、他言語圏の人からは批判もされるようですが、機会があったら、原文にも接してみたい、と。

スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)

コメント
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