佐原街道歩きで訪れたところも再掲しながら。
「すずめ焼 麻兆」。
すずめ焼き、佃煮を沢山販売されてます。佐原で有名な鰻もしぐれ煮として販売。鮒だけではなく、すずめ焼とは佐原の地域の様々なお店で販売されている佃煮の一種で、小鮒等の小魚を串に刺したもの。
姿が小枝に止まっているすずめに似ているから、や、お殿様がすずめを焼いたものと勘違いしたから、等様々な説があります。
(この項、「」HPより)
以下、前回訪問したときのブログより(2019/6)
「忠敬橋」から「小野川」北側(下流)を眺める。
「解説板」。
佐原の町並
利根川図志(1855年)に「佐原は、下利根附第一の繁昌の地なり、村の中程に川有りて、新宿 本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚げさげ、旅人の船、川口より此所まで、先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」と記してある。
江戸時代の佐原は「小江戸」と呼ばれ、この周辺の町並には、国指定史跡伊能忠敬旧宅や県指定有形文化財小堀屋本店店舗、正文堂書店店舗をはじめ、土蔵造りの古い商家がある。
また、関東三大祭りの一つとして数えられる「佐原まつり」は、豪華絢爛を競い、山車で奏される県指定無形民俗文化財佐原囃子は水郷情緒を代表するものである。「植田屋荒物店」の裏手。
南側(上流)を歩きます。対岸には「まぎの屋菓子店」。
「伊能忠敬旧宅」。
「樋橋(とよはし)」。
樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。
もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれました。
昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。「割烹 宮定」。
このお店はテレビ東京の「和風総本家」のオープニングとして使われ、お店の看板を「和風総本家」に書き換えている、とか。「遅歩庵(ちぶあん)いのう」。
「樋橋」の近く、「伊能忠敬記念館」のそばにあります。「東京バンドワゴン」の看板。これは、2013年に放映されたドラマ「東京バンドワゴン~下町大家族物語」のロケで、「遅歩庵いのう」が使われた名残。ドラマの設定では、古本屋だったそうです。
重厚な「見世倉」。
「中村屋乾物店」。
「茶屋花冠」。
奥に見える赤レンガ造りの建物は、「佐原三菱館」。
明治の洋風煉瓦造建築の様式を受け継いだもので、外観はルネサンス建築様式、屋根は木骨銅板葺き、正面右にドームを配している。 内部は吹き抜けで、2階の周囲に回廊がある。窓や出入り口には上部巻上げ式のよろい戸、鉄製のサッシが残っている。 建築当時の図面にはこのほか、カウンター奥の壁中央に大理石張りの暖炉、南東隅には二階への螺旋階段があった。 佐原の町並みの中では、その特徴的外観からシンボル的な存在の建物である。
《大正3年築。旧三菱銀行佐原支店(それ以前は川崎銀行佐原支店)》
(この項、「Wikipedia」参照)
「小野川」沿いに下って行きます。この地区にも両岸にすてきな古風な建物が並んでいます。
1880年代のようす。「小野川」界隈の賑わいぶりが分かる。
2010年代のようす。「小野川」に架かる橋が「忠敬橋」。中央黄色い道路、右が「香取神宮」方向。左上が「佐原駅」方向。旧道は左下からの道。
柳の新緑が川面に映える。
「開運橋」。ちょうど外国人を乗せた遊覧船が通りすぎていきます。JR成田線の踏切が見えます。
※今回は、この橋の所から佐原駅に向かいました。
佐原駅。
伊能忠敬像。
鹿島線の電車。
次回は、どこまで歩けるやら。だんだんJR線から離れて行きそうなので。