小野川。
「佐原」は、佐倉街道・成田街道・佐原街道と歩き、その終着点としてやって来ました。
そのときはJR線の南側周辺の、伊能忠敬関連施設、また小江戸と称される伝統的な建物が点在する街並みを町を歩きました。
その時と同じように「小野川」沿いを少し歩いて(今回はちょっと上流に向かって)佐原駅まで向かいます。
※利根川の支流である小野川は、江戸期より水運の集散地として佐原の町を発展させた。農業用水としても古くから利用され、香取市牧野地先に堰を造り、樋橋を介して市内関戸方面や本宿耕地方面に水を引いていた。1951年(昭和26年)に国鉄佐原駅北側に小野川から掘り込み式の佐原港が完成したが、船の需要がなくなったため1970年(昭和45年)に埋め立てられた。2004年(平成16年)には市街地の洪水を解消するため香取市牧野地先から本宿耕地地先利根川までを流す小野川放水路が完成した。
※「佐原港」の今昔
1970年代のようす。駅の北側に堀割の港。 2010年代のようす。千葉県香取合同庁舎などの敷地に。
ところで、
26、27日とお葬式のため、大分まで出かけました。行きの羽田空港は大混雑。今までもあまり経験がないほどの。家族連れ等でごった返し。保安検査場を抜けるのに、1時間近くもかかりました。出発の15分前に搭乗口に。コロナ感染症がこれ以上、蔓延しないうちに、というわけではないでしょうが。久々の帰省ラッシュ。混雑を甘く考えていました。
甘く見ていたのが、大分空港への往復。
大分空港に着くと、今度は小雪混じり、気温はマイナス。
空港を出ると、路面が凍結し始めて、迎えの車も慎重運転。
もともと、大分空港から大分市内までは1時間30分ほどかかる道のり。
大分の方達は雪の経験があまりなく、スタッドレスタイヤを持っていない方がほとんど。慣れぬ雪道での運転でした。
何とか無事に着きましたが、大分迄来ると、寒いことは寒いですが、雪の降った気配などまったく、なし。別府湾をはさんで北と南ではこんなにも違う!
翌日、葬儀も終わり、大分空港へ。今度は道中、大渋滞。空港へ向かう高速道路が積雪のため、閉鎖。下道の県道を延々と走るしかない。停まってはノロノロ進み、時にはまったく進みません。これでは出発する便に乗れるかどうか、と。
別府湾をぐるりと回って行くしかない、片側一車線の一本道。空港手前に峠道。そこから延々と渋滞だったわけです。
運転してくれた方、前日の雪模様で事前にスタッドレスタイヤに変えてくれていた。
一番渋滞している(だろう)ところを機転を利かせて脇道に入り、渋滞を避けることができて、無事、空港に着くことができました。感謝、感謝!
後から聞いた話ですが、大分から乗るのを諦めて、小倉まで出て、新幹線で帰京した、また、福岡空港に回った、という方も。
〈閑話休題〉
「若山牧水 水郷めぐり」碑。(旧入船橋近くにある「川岸公園」内。)
(終點の佐原驛に着いた時は、昨夜の徹夜で私はぐつすりと眠つてゐた。搖り起されて闇深い中を俥で走つた。)
俥はやがて川か堀かの靜かな流れに沿うた。流れには幾つかの船が泊つてゐて小さなその艫の室には船玉樣に供へた灯がかすかに見えてゐた。その流れと利根川と合した端の宿屋川岸屋といふに上る。
小野川の流れ。「川岸公園」付近から佐原港へ通じる水路があった。
「田端義夫歌唱碑」。
田端義夫。「バタヤン」の愛称で知られた田端義夫の「大利根月夜」の歌詞が刻まれています。平成10年(1998)建立。
あれを御覧と指差すかたに 利根の流れをながれ月 昔笑うて眺めた月も 今日は今日は涙の顔で見る
愚痴じゃなけれど世が世であれば 殿の招きの月見酒 男平手ともてはやされて 今じゃ今じゃ浮き世を三度笠
もとをただせば侍そだち 腕はじまんの千葉仕込み 何が不足で大利根暮らし 故郷(くに)じゃ故郷じゃ妹が待つものを
(映像は「youtube」より)
JR成田線。
香取市マンホール。
市の花「アヤメ」の咲く水郷での鮒釣りをデザイン。