4月21日(木)。向島百花園。フジ棚。
遠くにスカイツリー。
新型コロナ感染拡大で、去年の暮れから閉園、3月の梅も見ることが出来ず(3年連続で梅の季節が・・・)。
3月22日。やっと蔓延防止が解除されて来たときは、梅も桜もあまり見るべきものはない(足もとの小さな草花も含めて)、ということも。
しばらくぶりに自転車で「国道6号線(水戸街道)」を走っていると、ツツジが満開。
百花園はどうだろう、と少し足を伸ばしてやってきました。
水戸街道の歩道沿いにも色とりどりのツツジが。
古びた(失礼! )バイク屋さんの屋根には見事なフジが。年中通りますが、始めて気づきました。
屋根を覆うように。
平日の昼下がり。三々五々訪れる人たちがいます。
筍や牡丹などは、4月20日・「穀雨」のときに紹介済み。そこで、ツツジを中心に百花園の今を。
八重咲きのサクラ「普賢象(ふげんぞう)」とツツジ。
名前の由来は、花の中央から出ている雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白象の鼻に似ているため。別名はフゲンドウ(普賢堂)もしくはシロフゲン(白普賢)。荒川堤で栽培されていたサトザクラの一つ。樹高は高木で、樹形は傘状。花は八重咲きの大輪で花弁は淡紅色。東京の花期は4月下旬。
歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは神奈川県の鎌倉の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、1552年に成立した『塵塚物語』には、室町時代には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の千本ゑんま堂の「普賢象」に後小松天皇が感心した事、この「普賢象」の枝が足利義満に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。
(この項「Wikipedia」参照)
※文殊菩薩が獅子に乗っているのに対し、普賢菩薩は白い象に乗っている。
園内の所々にツツジ。
他の草花も春爛漫のようす。
ハナミズキ。
ヒメウツギ。
タムケヤマ。
新緑の雰囲気。
セイガイ(青崖)。
※4月の初旬に明るい紅色の新芽となり秋にも紅葉する。夏の葉は緑色。
コデマリ。
シラン。
ユキモチソウ。
※花のように見える部位は仏炎苞(ぶつえんほう)と言います。これは内部にある花を包むように発達した葉です。
ユキモチソウ・・・仏炎苞から雪のように白い餅に見える付属体があることからこの名がつきました。(解説は「百花園便り」より)
ハナモモ。 タラヨウ
※タラヨウ(多羅葉)。
日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、その多くは寺社に植樹されている。
また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。
文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ(多羅樹)という木のようだということで、タラヨウ(多羅葉)名前の由来となっている。(「Wikipedia」より)
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