おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

人権擁護法は誰を守るのか

2005-03-11 18:41:30 | 平和
 人権擁護法を巡って、さまざまな議論が。特に、メディア規制につながる恐れが多い法案として反対も強い。人権を侵害された被害者が泣き寝入りしたり、いわれなき誹謗・中傷に苦しめられ、差別を受けることがないようとする、この法案。日本国憲法にうたわれた「基本的人権の尊重」を具体的に法整備するものであったはず。
 この法案に対して、ある特定の団体への偏見などに基づく反対意見も多く出されているが、その場合も、表面上の根拠としては「メディア規制への反対」となっている。今、このことの是非は問題にしない。おそらくメディア規制の部分が凍結されたとしても、法案反対の立場は変わらないのではないか。
 ただ、法案推進の一方の旗頭が公明党であることにもっと注目したい。すでに公明党幹部は「メディア規制の部分の凍結は、法案からの削除と同じだから凍結には反対」と発言している。
 これは、いったい何を意味するのか。宗教法人・創価学会への批判はいっさい許さないぞとの強い意思表明と捉える必要がありそうだ。人権が損なわれたことを口実にして。
 具体的に述べよう。創価学会の週刊新潮への敵対意識は、すさまじいものがある。記事に関して次々と訴訟を起こし、「勝った、勝った」と自分たちの出版物を駆使して、宣伝をし放題。「聖教新聞」や「潮」ならまだしも、「第3文明」や「パンプキン」とかにも掲載し、つり広告で大々的に。まさに憎っくき敵なのだ。噂によれば、学会員は、お題目を唱えるとき、日蓮正宗の敗北とあわせて、週刊新潮の撲滅を祈っているらしい。
 勿論、週刊新潮側にも、学会記事については取材不足の記事や偏見・誤解記事もないわけではない。訴訟で負けるのもしかたがないような粗雑な記事も目立つ。それにしても、週刊新潮や週刊文春への学会員の憎悪は大変なものである。もし「人権擁護法」が成立すれば、たてつづけに人権委員会に訴えるだろう。ましてや弱小メディアに対しては赤子の手をひねるように攻撃をしかけ、完膚無きまで叩きつぶすに違いない。ブログや掲示板もその対象になるかもしれぬ。
 こうして、学会批判を封じ込めることに成功すれば、あとは思うままに。かつて言論弾圧問題で煮え湯を飲まされた学会は、今回は、法によって守られ反対派を封じ込める権力を十分に行使できるようになる。かくて日本は、どこかの国のように自由のない国家に変貌するだろう。「そうなってはいけない」この一点で小生は、この法案に反対である。
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東京大空襲とアメリカの戦争犯罪

2005-03-10 23:44:06 | 平和
 第二次世界大戦後、ドイツのニュルンベルクと東京で国際軍事裁判が行われた。戦勝国が敗戦国の指導者を裁いたこの二つの法廷のどちらでも、その起訴の根拠となった罪は、3つあった。
A 平和に対する罪(侵略戦争を共謀、遂行した罪)
B 通例の戦争犯罪(民間人や捕虜の虐待・殺害、略奪、軍事上不必要な都市破壊など)
C 人道に対する罪(政治的または宗教的、人種的理由にもとづく迫害行為など)
 ただし、東京裁判(極東国際軍事裁判)では、BとCとは一括り。
 第二次大戦では、連合国側にも戦争犯罪の疑いが濃いケースもある。その例としては、ドイツ・ドレスデン空襲、広島・長崎の原爆投下などがあげられる。1945年3月10日未明の「東京大空襲」もその一つである。
 しかし、ニュルンベルク、東京ともに、連合国側の罪はすべて不問とされ、敗戦国側の罪だけが問われた。裁判そのものも、裁判官や検察官は、連合国か第3国の人に限られていた。また、裁判の根拠となる法律(根拠)が事後法であった。(戦争が始まったときは、まだ制定されていなかったことをさす。ーある行為があったとき、それを罪とする法律がそのときにはなかったにもかかわらず、後から制定した法によってそれを犯罪行為として裁くことは出来ない。特にAとCの罪ー)このことなどから、東京裁判を非難する立場も生まれる。
小生は、「だから、東京裁判は無効だった」とする立場はとらない。公開された東京裁判によって、それまで国民には見えていなかったさまざまな戦争の実態、特に、これまで知らされていなかった、アジア諸国民への加害者としての日本軍(軍部)の実像、また戦争の悲惨さや平和のもつ重みなどが暴き出された点では、大きな意義をもつ裁判だったと考える。
 一方で、アメリカ軍をはじめ、連合国軍にB(第二次大戦以前から存在していた戦争犯罪)級戦犯がいないわけではない。「東京大空襲」「広島・長崎の原爆投下」たくさんの無辜の市民を殺害した作戦策定者、実行者、為政者などへの戦争責任(個人的罪から国家的罪まで)を追求する必要があるはずだ。これは、いまさら何も国家が行えというのではない。日米の市民レベル、学者レベルでの真摯な検証が必要なのではないだろうか。軍事的な側面ではなく、太平洋戦争(大東亜戦争)そのもの検証としても重要だろう。
 同じように朝鮮半島や中国大陸での戦争犯罪も、市民レベルで議論する必要を感じる。そうした中ではじめてお互いの国民同士の理解と交流が出来るのではないだろうか。東北アジアの平和はそこから始めなければならない。
 以前、原爆展をアメリカで開催しようとした際、それが元軍人たちによる反対運動で縮小されてしまった教訓もあるのだから。
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AO入試は予備校頼み

2005-03-09 21:23:21 | つぶやき
そろそろ大学入試もおしまいだね
明日は東大の発表か
相変わらず東大東大って
騒いでるかって

まあ一部の連中
サンデー毎日とか週刊朝日って
新聞社系の週刊誌だけじゃない
高校別合格者数なんてやっているの

いったいどういう人たちが見ているのかね
売れ行きがよくなるとは思えないけど

教育問題も少子化で地盤沈下じゃないの
ま、相も変わらず「自虐史観」だって騒いでるけど

今度は本気で採択狙っているようだね
どうしても新しい歴史教科書とれって
自民党なんかも圧力かけている発言
またまた飛び出したし

そもそも、今、日本人が元気がないのは
教科書のせいじゃないさ
政治がよくないだけ

なのに何だかすべて学校教育の
それもマルクスレーニン主義のせいだって、バカっじゃないの
今時そんなこと言っている政治家って

自分たちの失政を棚上げにして
まるで責任転嫁ってやつだね

バブル崩壊後の政治も経済も
まるで無能そのもの
それを自虐史観の教科書のせいだなんて笑っちゃう
戦後の政治を担ってきた連中の責任も少しは感じろって

ごめん、ごめん、話しがそれた、それた

大学も選ばなければ
誰でも入れる時代になったって
それは本当ですね、もう入れる、入れる

大学によってはもう来てくれる人がいれば
学力はどうでもいいって
なにしろ経営のためには先立つものは金、金、金・・・

そうそう、AO入試ってあるじゃないか
自分で課題出したり、論文書いたりして合否が決まるやつ
あれなんか予備校に持ち込めば
添削どころかすべて書いてくれて
それをそのまま大学に提出して
合格ってことになっているんだって
噂じゃないさ、ホント

ふつうはさ、これはこうしてって赤ペン先生になって
こういう書き方がいいとか、こういう参考資料がいいよとか
あくまで助言でしょ、やることは
それが全部書いちゃう、それも高校生らしい文体でね
あとは受験生が書き写すだけ、なかにはそのまま提出だって
それで見事、合格証!

いよいよどうでもいいって感じだね、大学入試も
そうして入った大学生はいったいどうなることやら
ニートだかミートだか知らないけれど

いよいよ日本もつぶれるね、地震が来る前に
若者の手によって
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健康と教育は金で買えるということ

2005-03-08 23:45:23 | 平和
 ひと頃、日本人の中には、自分は中流意識、上流階級ではないが、下層階級でもない。まあ、ほどほどに経済的にも満足感あり、家庭的にもまあまあ満足。少し将来への不安はあるが、それは健康のこと。なんとか老後も送れそう、といういうような感覚で生活している人は多くいた。
 会社も右肩上がりかせいぜい悪くなっても現状維持、子どもの教育費はかかるけれど、それも何とかやっていけそう、借金も家のローンとか車のローンがあるけれど、どうにか払っていけるだろう。・・・
 そんなふうに多くの日本人の家庭は、こうした家族ぐるみで落ち着いて平和な暮らしが続くと思っていた。バブルが崩壊しても、多くの家庭はそれほどそれの荒波をかぶることなく、何とか影響も少なく通り過ぎることができた。まだまだ中流意識は自分たち多くの庶民の思う自分の立場・環境であったのだ。
 それが、今や完全に失われたようだ。自分たちには、老後の不安がのしかかる。健康だけではない、経済的な不安。家族関係の崩壊。会社・雇用不安、リストラ・・・。明日への生きる活力を失って、ただ不安な日々。子どもたちへの教育も投資する金もない。
 一方で、金持ち相手の商売はますます繁盛。金にあかしての遊興三昧。持つ者と持たざる者の差はますます激しくなるばかりだ。
 教育面でもしかり、東大合格者の家庭の年収は、はるかに一般庶民を超えている。小さい頃から塾通い、そうしなければなかなか受かることが出来ない。こうして東大は高嶺の花と化した。
 健康もそのような気がする。生活習慣病にかからないために、万全の注意を払える環境。貧しいが故に医者にもかかれず、経済不安のために、思うような生活設計を描けない。能力の違いではなくて、経済力の高い・低いで将来が決定されてしまうような社会は、犯罪や自殺が増える一方の社会だろう。能力の高低が経済力の高低とイコールではない。
 これが、「競争はいいことだ」という政治スローガンに引きずられている現実だとしたら、もはや取り返しがつかない状態に日本が立ち至ったということに違いない。事実、今や日本の所得格差は、競争社会の典型であるアメリカ合衆国以上にひどくその差が出てきたらしい。
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「唐様で書く三代目」又は株主に対する説明責任について

2005-03-07 20:49:51 | 世間世界
 ライブドアのニッポン放送株買い占めに端を発した今回のフジテレビ、ニッポン放送、ライブドアの争い。双方のやり方に、日本の企業の脆弱さを垣間見た感じがする。
 今、ライブドアと書いた。しかし実際は、堀江社長(さん)の株買い占め問題とした方がいいようだ。また受けて立つ側も。それほど日本の企業経営が資本(株式)・株主との関係があいまいな関係でこれまで来たことがはっきりしてきたと思う。
 別の味方をすれば、これまで、日本の株式会社が株主の地位や権利を軽視してきたつけが、今、回ってきているような感じがするのだ。
 日本の企業の株主総会というと、いかに早くしゃんしゃんと終わるかが至上命題であった。株主総会がもめると、その企業のイメージを損ねてしまうという強迫観念。そして、総会屋というやくざ組織と持ちつ持たれつの関係の中で、株主総会を円満?に行ってきた。それが、かえって、企業イメージを悪化させ、責任をとって社長以下幹部がやめるだけでなく、会社そのものを失う結果を生んだ。
 また、同族会社。資本主義の本家・アメリカでもオーナー一族による会社支配がないわけではないが、日本の場合は、およそ資本の論理とは無縁の、いかに一族の利益を一族に還元するか、永久管理するかに汲々としてきた。そのために、せっかく大きくした会社が見事につぶれる羽目になってしまう。堤しかり、中内しかり・・・。
 昔の言葉に「唐様で書く三代目」というのがある。これは、せっかく祖父が築き上げた財産(家屋敷)を、孫の代になって没落し、「売り家」と書いて土地財産を売却することになってしまうことを揶揄した言葉だ。会社が社会の財産であるという発想もなく、ただただ自己のモノとしか考えないことの結果。ましてや、株主のことなど利益を還元するのが惜しいかのような扱いをしてきたつけ。今回のライブドアの件でも、堀江さんも、日枝さんも、亀淵さんも社長として株主への説明責任をきちんと果たしているのだろうか。
 同じように、フジテレビのTOBに応じた、株券を所有する会社もその会社の株主への説明をきちんとする必要がある、なぜ応じたのかということに対して。これまで取引があってこれからもというような説明では、何の責任ある説明とはいえないだろう。トヨタの社長が応じない理由も、車が売れなくなったら困るという程度。大・中・小、それぞれあまりにもお粗末な対応ではないか。 もし、こうした日本的な株式市場操作が続くならば、外国の機関・個人投資家は日本市場から離れていくだろう。そうなったら、日本の企業は全くお手上げ状態になる。攻めるも守るもきわめて日本的な土壌。いつになったら成熟した企業経営が成立するのだろうか。
 日本独自の資本主義だから、これまでなんとか戦後の日本が、ここまでやってこられたのかも知れないが。
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おばあさんと年老いた猫の話し

2005-03-06 23:03:58 | 世間世界
 近所の古びたアパートに一人暮らしのおばあさんがいます。猫好きなおばあさんは、近所にいる野良猫の世話をしています。自分の住む、アパートの階段の下の所に餌を置いているのです。
 でも、とても面倒見がよくて猫たちもよくなついています。あまり増えすぎるといけないので、猫たちに避妊手術をうけさせたりしています。これも、けっこうな金額をとられます。
 猫たちは、だんだん大きくなり、年数も経ってきました。年寄りの猫もいます。けれども、餌のときに近づくだけ、おばあさんもそれでよしとして、自分も身寄りがないせいか、猫たちをかわいがっています。
 昨年12月31日、東京地方に雪が降りました。とても寒い夜になりました。いつもは猫たちは軒下やどこかで寒さをしのいでいるのでしょう。おばあさんは、一番古い、もう20年近く面倒を見ていた猫のことがとても気になったそうです。
 最近姿を見かけないし、どうしたのだろう、死んでしまったのか。猫は死ぬときは、姿を隠すと言います、そうかもしれないと。
 それでも寒い冬の夜、おばあさんは、寒い戸外に出て猫たちを探しました。どこからともなくニャアという声がしました。見ると、その年取った猫でした。元気な頃は餌をやっても食べたら、人間に近づきもしない猫でした。それでも何となく気になって、何度か呼び寄せたら、何と近づいてきたのです。そこで、抱き上げました。
 もうすっかり衰えた様子でした。寒かろうと抱き上げたまま、家に入り、小さな段ボールに毛布を敷き、ホカロンを下に敷いて寝かせました。その猫は、小さな箱に入って体を丸めて静かに眠ってしまいました。
 翌朝、元旦。おばあさんが箱の中を見ると、猫は冷たくなっていました。死んでいたのです。年取った野良猫は、最後の最後に、おばあさんの手に抱えられ、暖かくなった、手作りの簡易ベッドで一生を終えました。
 人間の死に様もさまざまです。年取ってみんなに看取られて死ぬ人。誰にも看取られず、本当に孤独なままに死ぬ人。晩年は、人間も動物も皆同じだと思います。
 せめてやさしい肉親に看取られながら死ぬ、という境涯になりたいものです。これは、自分が願っていてそうなるのではないでしょう。いつもその人を陰日向なく見守ってくれる人の存在が大きいと思います。
 最近、こんな話を直接おばあさんから聞きました。話すおばあさんも、一抹の寂しさの中に、安堵の表情が見られました。
 話を聞き終えて、たとえ野良猫であろうと、その生命を大事にする姿勢に心をうたれました。
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経済制裁が消費者に与える影響について

2005-03-05 13:15:25 | 平和
 北朝鮮への経済制裁。船舶の入港制限。直接的には、アサリ、カニなどの水産物の輸入規制。それでも、中国経由になっていたりで、なかなか実効が伴なっていないという政治家サイドからの指摘も強い。もっと強力に規制すべきだという考えが大半だ。
 一方で、アメリカの牛肉輸入解禁をめぐっては、アメリカは、日本に対して経済制裁をちらつかせながら、早期の輸入解禁を迫っている。ここでも、一部の政治家は、「消費者の非常識」を声高に叫んで、アメリカ政府と一緒になって輸入解禁を求めている。
 そもそも、貿易の「易」とは、かえる、かわる、とりかえる、という意味。相手から品物を輸入し、それに見合った対価を払う。相手にモノを売り、相手から対価を得る。国際間の経済活動のごく当たり前の話し。
 日本が北朝鮮へ日本円(あるいはドル、元?)を支払うことをやめることによって、北朝鮮の経済力を低下させ、悲鳴をあげるだろう北朝鮮を拉致問題への解決や核開発を断念させ、6カ国協議の場へ出させる、等を目的としているのだろう。これは、それなりに政治的な意味はある。しかし、対物としてのアサリやカニが輸入されないことで、今度は日本の消費者の台所や飲食店の調理場を直撃するのは、当然のことだ。これまでの安いアサリが日本人の口には入らなくなるという事実の中で、北朝鮮の経済制裁の代償という痛みを分かち合う覚悟があるかどうか。
 北朝鮮は、輸出できなくなったアサリは、中国に回せばそれでいいのだし・・・。また、北朝鮮は、ウラン等の輸出によって外貨を獲得できるのだ。痛くも痒くもないとと言っては、言い過ぎだろうか。
 アメリカの牛肉輸入問題は、BSEという、日本人の生命・健康に関わる重大な事柄。食の安全性に重大な影響を与える問題だ。ここでも、一部の政治家(実は、自民党の連中だが)からは、消費者は非常識だという発言まで飛び出してくる始末。これは、輸入を速やかに再開させるためという、日本へのアメリカの経済制裁予告におそれをなしての発言。
 このままで、輸入を再開しても、日本人の多くは、日本人がもともと持っている、安全性重視の傾向からみて、おそらくアメリカ牛を口にしないだろう。今後、安全性が確認されてから輸入してでさえ、そう簡単には口にしないと思われる。極端にいえば、牛丼屋さん大好き人間以外にはしばらくは遠慮するのではないだろうか。
 こうして無理矢理解禁してだぶつく牛肉は、文科省が学校給食に出すよう率先して通達を出すかもしれない。カイワレのときのように、文科大臣が食べてみせるパフォーマンスをして。どっこい、BSEはそんな簡単な病気ではない。じわじわ進行し、治癒できない病気。まさにこれは、経済制裁をおそれて国民の健康を無視することになる。代価としてのドルや円だけでなく、健康も代償として払うことになる。
 貿易の「易」とは、かえる、かわる、とりかえる、なのだ。
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郵政民営化は水面下の談合路線

2005-03-04 19:32:44 | 平和
 国会の大幅な会期延長がもう取りざたされている。予算も異例の早さで衆議院を通過、年度内成立が確定。盛り上がらないままの国会。民主党も打つ手なしという諦めムード。
 会期延長は、郵政民営化法案を成立させるためであるのは周知のこと。ところが、未だに法案は国会に提出されていない。コイズミと自民党との調整に、大変手間取っている、という。反対派の多い自民党内を最後は巧みにとりまとめ、いかに法案に民営化という衣をかぶせ、骨はあいまいなものにするかという議論。
 問題は、これらいっさいが表面には出ず、国会ではコイズミは、のらりくらりの答弁を繰り返しつつ、自民党との妥協点を探っていること。コイズミ曰わく「急がば回れ」と、か。このことを誰も追求しない。
 なにしろ野党の民主党は、全くの蚊帳の外。起死回生の秘策もなく、ただただ遠くから眺めているだけ。野党議員が何を質問してもコイズミは、何にも中身のある答え、民営化法案そのものの内容を答えようとはしない。ただいま検討中です、それだけ。
 自民・公明とのすりあわせた結果で、体裁を整えた、見事な「骨抜き」法案が出来れば、国会に提出し、かなり長く会期を延長してでも、最後は数を頼みに可決しようという、見え見えの策略。 この間に7月には都議選がある。これは、公明党に義理を立てなくてはならないから、しばし休戦。だから、まあ、じっくり法案を練って(いかに国民の目をごまかすか、補選他、各種選挙の結果を判断してからじっくりと・・・)から提出すればいいということなのだ。
 一方で、郵政民営化に対する国民の関心はまだまだ低く、むしろ、年金問題や雇用の方に関心が高い。それでいて、年金問題は与野党合意に基づいて、これまた水面下の議論。だから、国民が切実に考えている、年金や消費税などは、国会で正面切ってとりあげられず、すべて国会の埒外での議論・妥協・つじつま合わせ、・・・。これでは、国会が低調なのも無理はない。ホリエモンに対する場外発言ばかりが目に付く今の国会。
 サマータイム法という、国民生活に関わる大事な法案も提出されるのかどうなのか。これまた与野党間の水面下で話し合い、いったん超党派で提案したら、ろくすっぽ議論をしないまま可決するつもりなのか。こうして、ますます国会の議論への国民の関心も低くなるばかり。
 与党も野党も、それぞれ国民の代表としての矜持だけは誰にも負けない、国会議員諸君。いったい、国会開催中を含め、どれだけの税金が使われているのか、実にムダ使いそのもの。ほとんど活動していないで、税金だけ使っているんだから、企業ならとっくにつぶれている。
 こうした党利党略にのみ腐心している御仁には、「選挙」という我々国民が行使できる最大の手段を用いて、鉄槌を与えるのが一番よいだろう。しかし、いつ選挙があることやら。ますます憂鬱な非政治的な季節である。
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原「事務長」その2

2005-03-03 23:12:14 | 世間世界
 今朝の朝日新聞の記事。「『妻子を殺した』メール男自殺。2日午後7時20分頃、神奈川県・・・の会社員宮本進一さん方で、妻の笑子さんと長男達也ちゃん、次男秀輝ちゃんが倒れているのを親類が発見し、・・・・3人は2階の寝室で既に死亡していた。宮本さんは別の部屋で首をつっていたところを発見され、病院に運ばれたが死亡した。(警察では)宮本さんが3人を殺害した後に自殺を図った可能性があるとみて調べている。」他の新聞は読んでないから分からない。
 朝日新聞では、家族3人を殺害した宮本進一「容疑者」(警察の発表でも、「3人を殺害した後自殺した可能性があるとみて調べている」とあるのだから、宮本進一を殺人「容疑者」として判断してもいいはずだ。)を「さん」づけで表現した。これは、明らかに一家心中で本人も死亡しているという判断だからだろうか。
 この間、一家心中事件が起こるたび、または、無理心中がある度に、小生は、どうして殺人を犯した者を、その人間が死んだからといって「さん」づけするのか、大いに疑問を感じている。
 状況証拠だけではだめだ、具体的な証拠がないかぎり、「容疑者」として表現してはならないという人権上の配慮が、警察にもマスコミにもあるのだろうか。また、逮捕されない限り、容疑者とはならないのか。
 今回のように、自らメールで妻子を殺したと通報してもあくまでも「容疑者」という表現はいけないのだろうか。生き残った場合のみその人間が「容疑者」となるのもおかしな話しだ。インターネット心中でも、首謀者やインターネットで呼びかけた人は殺人幇助罪ではないかとさえ思うのだ。
 自死はまだしも、人を道連れに死んでいく心中を犯罪扱いしない、まして許容するような文化や価値観が日本に伝統的に存在するとは思えないのだが・・・。
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疲れた日には

2005-03-02 23:26:40 | つぶやき
娘婿の家で作った梅干しを
焼酎で割って飲んで、寝てしまおうか。
でも、おいしくてついつい飲み過ぎてしまう。

ホントに疲れた日には
だから熱い風呂に入って
すぐに寝てしまおうか。
でも、つい一杯、もう一杯
キリンの「一番搾り」を飲んでしまう
500を2缶。

楽しい日には
外に散歩に出かけようか。
歩いて歩いてもう3時間
で、ついふらりと行きずりの居酒屋に入ってしまう。

むしゃくしゃした日には
大声で歌でも歌おうか。
でも、KARAOKEに一人で入るには
勇気がいる。

雨の日も
晴れの日も
雪の日も
嵐の日もある。

でも、そんな日には
妻と静かに振り返り振り返り
語るのもまたいいものだ。
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寒さが行ったり来たり

2005-03-01 22:57:49 | つぶやき
風邪気味で、何だか疲れます
人生とまでは言いませんが

そういえば、もう3月
公務員。年度途中で60になっても
この3月末まで働いて職場を去ることになります
民間では、60になったその日に
職場に別れを告げるのが通常ですが

早くも3月
行く人、来る人
親方日の丸と言われて
恩給があると言われて
民間や自営業者からうらやましがられたのも
とっくの昔話です

恩給なんていう言葉も
今や風前の灯火ですね

大阪市の話しを聞くたびに
いままでよくもまあ
それでやってきたねって
あきれるやら
ねたましいやら

こうして、わが知人の悩みは
深く静かに潜航する。
こうして、話しを聞く僕も
頭の重さはますます。

インフルエンザは、A型らしい。
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