今朝の朝日新聞の記事。「『妻子を殺した』メール男自殺。2日午後7時20分頃、神奈川県・・・の会社員宮本進一さん方で、妻の笑子さんと長男達也ちゃん、次男秀輝ちゃんが倒れているのを親類が発見し、・・・・3人は2階の寝室で既に死亡していた。宮本さんは別の部屋で首をつっていたところを発見され、病院に運ばれたが死亡した。(警察では)宮本さんが3人を殺害した後に自殺を図った可能性があるとみて調べている。」他の新聞は読んでないから分からない。
朝日新聞では、家族3人を殺害した宮本進一「容疑者」(警察の発表でも、「3人を殺害した後自殺した可能性があるとみて調べている」とあるのだから、宮本進一を殺人「容疑者」として判断してもいいはずだ。)を「さん」づけで表現した。これは、明らかに一家心中で本人も死亡しているという判断だからだろうか。
この間、一家心中事件が起こるたび、または、無理心中がある度に、小生は、どうして殺人を犯した者を、その人間が死んだからといって「さん」づけするのか、大いに疑問を感じている。
状況証拠だけではだめだ、具体的な証拠がないかぎり、「容疑者」として表現してはならないという人権上の配慮が、警察にもマスコミにもあるのだろうか。また、逮捕されない限り、容疑者とはならないのか。
今回のように、自らメールで妻子を殺したと通報してもあくまでも「容疑者」という表現はいけないのだろうか。生き残った場合のみその人間が「容疑者」となるのもおかしな話しだ。インターネット心中でも、首謀者やインターネットで呼びかけた人は殺人幇助罪ではないかとさえ思うのだ。
自死はまだしも、人を道連れに死んでいく心中を犯罪扱いしない、まして許容するような文化や価値観が日本に伝統的に存在するとは思えないのだが・・・。
朝日新聞では、家族3人を殺害した宮本進一「容疑者」(警察の発表でも、「3人を殺害した後自殺した可能性があるとみて調べている」とあるのだから、宮本進一を殺人「容疑者」として判断してもいいはずだ。)を「さん」づけで表現した。これは、明らかに一家心中で本人も死亡しているという判断だからだろうか。
この間、一家心中事件が起こるたび、または、無理心中がある度に、小生は、どうして殺人を犯した者を、その人間が死んだからといって「さん」づけするのか、大いに疑問を感じている。
状況証拠だけではだめだ、具体的な証拠がないかぎり、「容疑者」として表現してはならないという人権上の配慮が、警察にもマスコミにもあるのだろうか。また、逮捕されない限り、容疑者とはならないのか。
今回のように、自らメールで妻子を殺したと通報してもあくまでも「容疑者」という表現はいけないのだろうか。生き残った場合のみその人間が「容疑者」となるのもおかしな話しだ。インターネット心中でも、首謀者やインターネットで呼びかけた人は殺人幇助罪ではないかとさえ思うのだ。
自死はまだしも、人を道連れに死んでいく心中を犯罪扱いしない、まして許容するような文化や価値観が日本に伝統的に存在するとは思えないのだが・・・。