おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

久々に前の職場の方々と

2010-05-03 15:49:44 | つぶやき
 皆さん、お久しぶりです。まだ1ヶ月も経っていないのに、何だか見知らぬ遠くへやってきたような気分です。去るに当たってのご挨拶もほどほどで、慌ただしく職場を去ってしまい、大変失礼いたしました。お詫びします。
 遙か彼方、スカイツリーが頭の赤い光しか見えないところから、こうやってもう間近に見える所へ来たのは、久しぶりです。たぶん、距離感だけではなくて、心理的な隔たりを感じてしまいます。
 今の職場は、見るモノ聞くモノ、まるで異世界のようで、まだまだ慣れません。「郷には入れば郷に従え」でしょうが、どうもこの年になると、なかなか順応できません。一日中、高いビルの一室にいるのですから、確かに勝手が違います。雲上人のような気分です。
 適当に外出して、油を売ってくるのが楽しみです。といっても、話し相手は、それなりの立場の方ですから、我ながらちょっと腰が引けてしまいますが・・・。ま、皆さんも出向く機会がございましたら、ぜひ仕事場の方にお寄り下さい。ぼちぼちとやっておりますので。皆様方もお体に注意されて、けっして無理なさらず、お仕事にお励み下さい。お元気でご活躍下さい。長い間、大変ありがとうございました。失礼いたします。
 
 というような内容をしゃべる予定だったのですが、指名されたとたん、まったく口から出た言葉ははずれて、相変わらずの毒舌を吐いて、ド顰蹙を買いました。私と入れ替わりに入ってきた「若い」方々は、そんな私の態度に眼が点になってしまって・・・。彼らがこれから頼りにするであろう、職場の長老方をちょっとばかり・・・、てしまったのですから。
 ああ、言うんじゃなかった、と思っても後の祭り。あとは、いつものように酔っぱらってしまいました。それでも、妙齢?(年齢不詳)の女性をつかまえてからかったり、抱きつかれたり・・・、失うものは何もない私だからできる振る舞いでした。大変失礼しました。
 4月30日。我が家のトイレに提げた日めくりの言葉は、「去る者は追わず」でした。
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読書97「妖怪学講義」(菊地章太)講談社

2010-05-02 20:27:58 | つぶやき
 創立者・井上円了の伝統を受け継ぐ東洋大学。その大学での120年ぶりの「妖怪学」講義集です。講義するのは、菊地先生。
 現代から古代に遡りながら、妖怪・幽霊・怨霊・憑依等々、所詮神経作用に過ぎない(と井上先生)と見なされたこれらの諸現象、伝説、物語を図版・書籍を駆使して解説・講義しています。取り上げられた話題・内容は、それほど新しいものはありませんが、あらためて民間伝承との関わりの中で、怨霊や生き霊、幽霊を捉え直し、非科学的ということではすまされない、民衆や時代の精神に存在するあやかしの世界を比較文化論的に考察しています。
 円朝の「真景累が淵」にまつわる実証的な解説、「安珍清姫」の物語・・・。なぜ幽霊には足がないのか、何故幽霊は美女が多いのか、日本文化独特の血液占いなど、通俗的な話題も豊富で、興味深い。特に講義を受けての学生の感想とそれへの答えがおもしろかった。
 『共産党宣言』冒頭の有名な一文「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」をつい思い出してしまいました。
 「妖怪」「幽霊」・・・、人はそれを操る?側も、それに対して恐怖を抱く、あるいは否定的・批判的な立場をとる側も、広く「心」のありよう、あるいは、文化のありように関わってくるのですね。
 してみると、インターネット上には、ありとあらゆる「妖怪」(魑魅魍魎)が跋扈している世界となっていますが、私達は、新たなこうした「妖怪」を自らの五感でできるだけ正確に認識し(踊らされず)、自らの判断・行動のよすがにしていけるかどうか、それが試されているような気がします。
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読書96「空気は読まない」(鎌田實)集英社

2010-05-01 20:40:21 | つぶやき
 いっとき「KY」という言い方がはやった。今は、少しその言い方がすたれてきているが(所詮流行語、時代を映す言葉にすぎないか)「空気が読めない人間」のこと、同時に空気を読むこと」が大事だと・・・。
 鎌田さん、あえてちょっと時期をずらして一言そうした風潮にもの申した、分かりやすくかつしつこく、持ち前の行動力とこだわりを伝えている。特に人間の死に際に直面し、その最後のさまざまで「価値」的な生き様を紹介しながら、また自らの心構え、スタンスを簡潔に表現している。
 「ふつう」の人の「ふつう」の発想、生き方が身近な人々を変え、周囲を変え、ことによると人間を取り巻く環境や社会を変えていくきっかけになる、大上段にかぶっての大言壮語ではなく、実証的な語り口に感動しました。
 まだまだ我々は老け込んではいけないなぞという「肩を張った」言い方・生き方の無理さから、「肩を張らずに」生きている生き様に、物言いに学ぶモノが多いような気がします。
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