おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「サラサーテの盤―内田百集成4―」(内田百)ちくま文庫

2013-01-07 20:22:33 | 読書無限

 鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』の元となった「サラサーテの盤」を含む随想ともつかず短編ともつかない作品を集めたもの。文章表現のおもしろさは格別。特に「東京日記」「とおぼえ」「すきま風」など、読後にじっわとくる得体の知れないちょっと背後が気になるような恐怖感はただならぬものがありました。文学上のお師匠さん・夏目漱石には「夢十夜」という作品がありますが、読者を夢うつつの世界に導く巧みな構成は師をも越えている感じ。
 他には、琴のお師匠さんだった宮城道雄の死を描いた「東海道刈谷駅」など多彩なジャンルの作品が取り上げてあります。
 後の解説では、本来の解説文の他に、三島由紀夫が『日本の文学』34(昭和45年6月刊)に載せた解説もあわせて掲載されています。その中で、お化けや幽霊に関しては泉鏡花の作風と比較し、盲人の世界の感覚と心理については谷崎潤一郎『春琴抄』と比べて、そのたぐいまれなる語り口と姿勢を絶賛していたのが、今回読んでみての大収穫でした。
 こうして文庫版でまとめて読むと(中にはすでに既読のものもありましたが)けっこう内田ワールドに引きずり込まれてしまいます。
 細かな解説は譲ることにして、独特の浮遊感。さりげない日々の営みに潜む、非日常の世界。と同時に死者の魂と交流する生者の魂(生と死のあわい)の存在を感じます。その先は、それぞれの感じ方でしょうが。

・「御苑の暗い空から降り灑(そそ)ぐ大粒の雨は、花壇を包んで、檜皮(ひわだ)も油障子も突き破ろうとする下に菊花は闇をはね返して燦爛と輝いている。・・・」(菊の雨」)
・「ああやって、富士山が夜の内に根もとまで真赤になってしまうのではないかと思われて、私はいつまでも香りのいい風に吹かれながら、西の空を眺めて夜明けが近づくのを知らなかった。」(東京日記」)
・「先生の耳はどうだい」
 「全くの木くらげよ、冷たくて」
  目を上げて、もう一度私の顔を見据えた。
 「かじって見ようか知ら、ごりごりと」
  私が身構えたら目をそらして、「ウフッ」と云った。・・・(「ゆうべの雲」)

 至極の文章作法です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ニューシネマパラダイス」(古きよき映画シリーズその16)

2013-01-06 21:22:12 | 素晴らしき映画
 映画監督のサルヴァトーレは、母からアルフレードが死んだことを知らされ、シチリアのジャンカルド村での少年時代の思い出が甦ってくる。
 戦争から戻って来ない父。母マリア(アントネラ・アッティーリ)と妹の三人暮らしだったサルヴァトーレ(「トト」)は映画好きの少年だった。そのトトを魅了していたのは映画館パラダイス座の映写室。当時は司祭の検閲があり、映画のキス・シーンは御法度。トトと映写技師・アルフレードの間には不思議な絆が結ばれていき、トトはカットされたフィルムを宝物のように集める。



 ある日、フィルムに火がつき、パラダイス座は一瞬のうちに燃え尽きてしまう。トトの懸命の救出にもかかわらず、アルフレードは火傷が原因で失明する。やがてパラダイス座は再建され、アルフレードに代わってトトが映写技師になった。検閲もなく、フィルムも不燃性になっていた。
 青年に成長したトトは、銀行家の娘エレナに恋をし、幸せなひと夏を過ごすが、彼女の父親は2人の恋愛を認めようとせず、トトは兵役についた。除隊後村に戻ってきたトトの前に、エレナは姿を現わすことがなかった。アルフレードに勧められ、トトが故郷の町を離れる。
 それから30年の月日が経った。アルフレードの葬儀に出席するためにジャンカルド村に戻ってきたサルヴァトーレ(トト)は、取り壊されることになったパラダイス座の前に立つ。
 ローマに戻り、試写室でアルフレードの形見のフィルムを見つめるサルヴァトーレの瞳に映ったのは、検閲でカットされたキス・シーンのフィルムを繋げたものだった。

 印象的なのは、少年時代。
 映画を心から楽しみ、カットされてもらったフィルムと語り合う少年・トト。そして、映画技師アルフレードとの心温まる交流。

 映画の黄金時代を彩った名画とともに進む展開。広場を中心とした日々の暮らしの中で、存在感のあったパラダイス座。その古ぼけたイメージやそこに出入りする人達の、貧しくとも笑いのある日常描写も加わって、映画の黄金時代への郷愁あふれる場面が続く。

 エレナとの恋愛にメインを置いた青年時代編は、二人をそっと見守るアルフレードの存在が光っている。
 そして、壮年時代。30年ぶりに我が家に帰り、自分の部屋に飾られた様々な少年・青年時代の思い出の品を見つめるサルヴァトーレ。取り壊されるパラダイス座の中央に立って物思いにふける。長編作品ですが、たたみかけるように展開するストーリー。そして、アルフレードの形見のフィルムを上映するラストシーンは、それまでの長いストーリーの集大成として見事なエンディング。フィルムにこめられたアルフレードの映画に対する熱い思いとトトへの深い愛情・・・。
 全編に流れる音楽も、実に感動的でした。
 劇場公開から20年以上も経っていますが、DVDでその時の感動を再び味わいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書「サラエボで、ゴドーを待ちながら」(スーザン・ソンタグ)みすず書房

2013-01-05 13:09:29 | 読書無限
 サラエボ。1990年、多民族国家・ユーゴスラビアが東欧民主化の嵐の中で崩壊、国内は内戦状態となり、1992年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こりました。サラエボは、民族浄化・他民族排撃を大義名分にした、セルビア人武装勢力によって包囲されました。銃撃を受け、人も街並みも荒廃したさなか、ソンタグの演出によって「ゴドーを待ちながら」を上演したときの、自らの思いと現地の演劇人との交流、市民生活の現実とを織り交ぜながら経験的に語った文章が、表題のものです。
 (かなり説明的になりますが)、 

 『ゴドーを待ちながら』は、サミュエル・ベケットによる戯曲。副題は「二幕からなる喜悲劇」。初出は1952年で、その翌年パリで初演。不条理演劇の代表作として演劇史にその名を残し、今もなお多くの劇作家たちに強い影響を与えています。

 2幕劇。木が一本立つ田舎の一本道が、舞台。
 第1幕ではウラディミールとエストラゴンという2人の浮浪者が、ゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはなく、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにポッツォと従者・ラッキーがやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、市場に売りに行く途中だとポッツォは言う。ラッキーはポッツォの命ずるまま踊ったりするが、「考えろ!」と命令されて突然、哲学的な演説を始める。ポッツォとラッキーが去った後、使者の少年がやってきて、今日は来ないが明日は来る、というゴドーの伝言を告げる。
 第2幕においてもウラディミールとエストラゴンがゴドーを待っている。1幕と同様に、ポッツォとラッキーが来るが、ポッツォは盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。2人が去った後に使者の少年がやってくる。ウラディミールとエストラゴンは自殺を試みるが失敗し、幕になる。

 2人が待ち続けるゴドーが何者であるかは劇中で明言されず、解釈はそれぞれの観客に委ねられています。木一本だけの舞台上で同じような展開が2度繰り返されることで、自己の存在意義を見いだせず、よるべきものすらない絶望的な現代人の姿とその孤独感を描いている、といえます。
 
 1993年8月17日~19日、サラエボ。こうした作品・『ゴドーを待ちながら』(結果的に1幕目のみでしたが)を上演することの筆者の深い思いについて、現在の私たち読者に訴えようとしたものは何か? 
 包囲され銃撃の嵐にさいなまされ、水も食料も途絶えたサラエボ市民たち。そうした生死の究極状況に置かれた街。つい近年までヨーロッパの伝統的な文化豊かな街であったサラエボ。すっかり死に絶えた状況の中、乏しいろうそくの光の下での、上演。

 「ゴドーは今日は来ない、しかし明日は必ず来るだろうという使者の言葉に続くウラディミールとエストラゴンの長い悲劇的な沈黙のとき、私の眼は涙で痛み始めていた。ヴェリボール(注:役者の一人)も泣いていた。観客の誰一人として音を立てる者はいなかった。聞こえてくるのは、劇場の外から来る音だけであった。国連軍の武装した人員輸送車が轟音を立てて通りを走る音と狙撃兵の銃声だけであった。」(P254)


 その後、各地で激しい内戦状態になった紛争は、NATOや国際連合の介入により収束し、サラエボも内戦以前の街並みを取り戻しつつあって、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、文化・伝統の中心都市、とのことです。
 
 ソンタグは、世界を旅して行動するアメリカの女性評論家でした。この書でも、文学、映画、写真、絵画、などさまざまジャンルの文化への批評活動を取り上げています。その大きな一つがこのサラエボでの演出活動に関するエッセイ。
 この方の英語文は、流麗かつ正確な英語用法に則っている文章遣い(厳密な英語を用いることを自らに課していた)とのことで、他言語圏の人からは批判もされるようですが、機会があったら、原文にも接してみたい、と。

スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする