「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その2。日の入りが、しだいに遅く。「平塚橋交差点」。「平塚の碑」。旧道。立会川。「さいかち坂」。東急大井町線「旗の台駅」。(「中原街道」をゆく。第2日目)
冬至から一ヶ月程過ぎました。日の入りがだんだん遅くなって、5時過ぎでもまだ明るい。
西の空。
北の空。
寒さはいよいよ本格的になりそうですが、帰途が楽になってきます。
・・・さて、「中原街道」をゆく、第2日目その2。
現中原街道に合流します。「平塚橋交差点」。
その先、右手の「バーミアン」の階段に「平塚の碑」案内板。
今から約九百年前の平安時代、出羽(現東北地方)で力をふるっていた清原氏の争いごとを 源義家がおさえようとした「後三年の役 」での ことです。兄の義家を助けるために京都からか けつけた新羅三郎(源義光)の活躍もあって、 戦いは無事におちつきました。「ご苦労であった。 わしも間もなくしたら京へ戻るが、おまえはひ と足先に帰って休むがよい」 義家の言葉に安心した新羅三郎は兵隊を引き 連れ、出羽から京都へと戻ろうとしていました。 「もうそろそろ日が沈むころじゃ。夜道を進んで いくのは危ないのう。よし、このあたりで野宿 することにしよう」。新羅三郎はこの平塚のあた りで兵隊たちを止め、一晩休むことにしました。 みんなが寝静まり、聞こえてくるのはスズム シとコオロギの鳴き声だけになりました。する と突然、盗賊とうぞく たちがあらわれて、眠っている新 羅三郎や兵隊たちに次々とおそいかかってきた のです。盗賊たちに立ち向かうこともできず、 多くの兵隊たちはその場で命をおとしてしまい ました。 これをあわれんだ村人たちは、亡くなった人 たちを葬り、広さ十坪(約33m2 )ほどの塚を築いたということです。 ほかにも、昔、このあたりに住んでいた「ひ らつか組」という野盗を、直江山城守が退治し て彼らの武器と一緒に埋めたのが「平塚」だと いう説もあります。
【平塚の碑】 この塚は次第に忘れ去られ、いつしかなくなってしまいましたが、太平洋戦争のあと、この あたりをほりおこしたところ、よろいやかぶと、刀剣などの残片がたくさん見つかりました。 同じころ、近くに住む人たちがたびたび不吉なことにあうので、伝説を知る人の間で「塚が失 われたことによるたたりではないか」といわれるようになり、昭和二十七年(1952)に平塚 の碑が建てられました。昭和三十三年(1958)からは、毎年五月に慰霊祭が行われています。
現中原街道を進みます。
「旗の台一丁目石造庚申供養塔」。
古くから旧中原街道に面して建てられていた庚申供養塔である。高さ92㎝、幅38㎝の、安山岩でできた板碑型のものである。
寛文5年(1665)に、旧中延村の庚申講中によって造立されたもので、区内に残存する五〇基余の庚申塔の中では三番目に古いものである。
供養塔の中央に、「南無妙法蓮華経」の髭題目が彫られ、7名の施主名が書き連ねられている。その中に、旧中延村村民に多い鏑木・石井等の姓があるところから、当村民が建てたことは明らかである。旧中延村は、村民のほとんどが日蓮宗の檀徒であったため、七字題目を彫った供養塔が造立されたものと思われる。
本塔は、日蓮宗系の髭題目が彫られた庚申塔としては珍らしく、発表されているものとしては最古のものである。日蓮宗の影響か、三猿・日月の無いのが特色である。向かって右上部に欠損があるが、保存状態は良好である。
全村日蓮宗といわれる旧中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講があったことを示す資料として貴重である。
その先の角には、
「中原街道高札場跡」。
高札場は札場(フダバ)ともいい、江戸時代に高札が掲示された場所をいう。高札とは法度(法令 禁令)などを板札に墨書きしたもので町辻、橋詰など多くの人々の目にふれる場所に設置されここ中原街道は江戸から相模国中原へ向かう主要な道路であった。当敷地は芳根氏で徳川時代から大正時代まで俗称を《札場》と呼ばれていた。なお同所には東京都認定天然記念物の大欅(樹齢約400年)が昭和41年まであった。
「昭和大病院前交差点」から旧道は左に曲がって進む。
遠くに「昭和大病院」。
(1880年代)かぎ型の道が旧道。 (現在)旧道が残る。
「立会川」暗渠部分か? 公園・緑道になっています。
現中原街道方向を望む。
「昭和大学通り」。「旗の台駅」への商店街。
「さいかち坂」を上がっていきます。
途中の風景。「香蘭女学校 中等科・高等科」。
中原街道が立会川と交さする荏原新橋付近から、大井町線ガードまでを登る坂で、大正時代までは右手に清水山、左手に亀の子島(山)の崖と崖にはさまれ、樹木と雑草のしげる、昼なお暗い坂であったといわれる。名称の由来は、坂の右手に「さいかち原」があったとも、両側にさいかちの木があったとも伝えられている。近年までの坂の登り口(旗の台駅の入口側)にさいかちの木が残っていた。
「東急大井町線」ガード。左手に「旗の台駅」。
「ふれあいロード」。
「環状7号線長原陸橋」をくぐります。
「南千束」。
この先しばらく進むと、右手に「洗足池」が広がります。
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