調査官による調査報告書をどう読むか
「本当は、Aという理由で結論をだしているが、それを表面に出すのはまずい、という場合、あたりさわりのないBという理由を書き、結論を導いているのではないか、と思われるケースがあるように感ずることがある。もし、この推測が事実だとすると、本音でない部分について、いくら反論しても、徒労におわる。」
というのは、おそらく推測ではなく事実である。何しろ、結論を決めれば、それに整合するように事実を変えてしまう人もいるのだから。
さて、裁判所ですらこのような、「論拠」を背後に隠し、偽の論拠とそれに基づく結論だけを示すような論証、つまり、「反論不可能」な論証を組み立てる社会に問題はないのだろうか?
「ローマ法案内」の著者」木庭教授は、「政治」の特質として「自由で独立な主体による議論」、「論拠に基づく結論」、「論拠自体は批判に対して開かれていること」などを挙げたうえで、「日本には政治も法もない」ことを看破し、実力による支配が台頭する危険性を指摘していた。誤解をおそれずに言うと、日本と中国に大差はないのである。
「本当は、Aという理由で結論をだしているが、それを表面に出すのはまずい、という場合、あたりさわりのないBという理由を書き、結論を導いているのではないか、と思われるケースがあるように感ずることがある。もし、この推測が事実だとすると、本音でない部分について、いくら反論しても、徒労におわる。」
というのは、おそらく推測ではなく事実である。何しろ、結論を決めれば、それに整合するように事実を変えてしまう人もいるのだから。
さて、裁判所ですらこのような、「論拠」を背後に隠し、偽の論拠とそれに基づく結論だけを示すような論証、つまり、「反論不可能」な論証を組み立てる社会に問題はないのだろうか?
「ローマ法案内」の著者」木庭教授は、「政治」の特質として「自由で独立な主体による議論」、「論拠に基づく結論」、「論拠自体は批判に対して開かれていること」などを挙げたうえで、「日本には政治も法もない」ことを看破し、実力による支配が台頭する危険性を指摘していた。誤解をおそれずに言うと、日本と中国に大差はないのである。