「さばいてはいけません」とは、どういう意味ですか。(聖書入門.COM)
「(1)イエスは山上の垂訓(マタイの福音書5章〜7章)において、口伝律法(ミシュナ)を否定しておられます。パリサイ人たちは、モーセの律法の外側に多くの規則や伝統を作り上げていました。これを口伝律法と言います。イエス時代になると、この口伝律法が人々を束縛するようになっていました。
(2)「さばくな」という命令は、口伝律法に基づいてさばくなという意味です。当時は、口伝律法にどれくらい従っているかで、その人の霊性が評価されたのです。これは、聖書の教えを逸脱した行為です。口伝律法で人をさばくなら、自分も同じ口伝律法でさばかれることになります。しかし、すべてのさばきは、聖書に基づいて行われるべきなのです。」
私の好きなマタイ伝の中の一節だが、ちょっと気になることがある。
それは、聖書の文言を一言一句信じるいわゆるキリスト教ファンダメンタリストの方は、裁判官という職業を選ぶのだろうかということである。
また、裁判官も検察官も、被告人に死刑を求刑・宣告する可能性があるわけだから、人の命を奪う決定を行うことと信仰とが両立するのだろうかという疑問もある。
わが国ではあまり問題にならないが、クリスチャンが多いアメリカなどでは重大な問題なのではないだろうか。
「(1)イエスは山上の垂訓(マタイの福音書5章〜7章)において、口伝律法(ミシュナ)を否定しておられます。パリサイ人たちは、モーセの律法の外側に多くの規則や伝統を作り上げていました。これを口伝律法と言います。イエス時代になると、この口伝律法が人々を束縛するようになっていました。
(2)「さばくな」という命令は、口伝律法に基づいてさばくなという意味です。当時は、口伝律法にどれくらい従っているかで、その人の霊性が評価されたのです。これは、聖書の教えを逸脱した行為です。口伝律法で人をさばくなら、自分も同じ口伝律法でさばかれることになります。しかし、すべてのさばきは、聖書に基づいて行われるべきなのです。」
私の好きなマタイ伝の中の一節だが、ちょっと気になることがある。
それは、聖書の文言を一言一句信じるいわゆるキリスト教ファンダメンタリストの方は、裁判官という職業を選ぶのだろうかということである。
また、裁判官も検察官も、被告人に死刑を求刑・宣告する可能性があるわけだから、人の命を奪う決定を行うことと信仰とが両立するのだろうかという疑問もある。
わが国ではあまり問題にならないが、クリスチャンが多いアメリカなどでは重大な問題なのではないだろうか。