さらにややこしいことに、江戸時代においては、この「ゲノム」の承継が行き詰った場合、「絶家再興」という法制度によって「イエ」の存続が図られることがあった(「日本政治思想史 十七~十九世紀」渡辺 浩 著 p74)。
例えば、「イエ」の家系が絶えて位牌と墓だけが残った場合、(一族の例えば次男などが)その「イエ」の苗字に改め、その家職に就き、その「イエ」の位牌と墓を守れば、彼は絶家の子孫とみなされるわけである(なので、この人物が他の「イエ」からの養子であった場合、ここで完全に「ゲノム」の連続性は絶えてしまう。)。
この制度は、「廃絶家再興」として、明治民法でも維持された。
ここでのポイントは、「苗字」の承継(再興)が祭祀の承継とセットになっていることと、他方において遺産の相続は認められていなかったことである。
明六雑誌第11号「妻妾論ノ二」(森有礼)
「血統ヲ正スルハ欧米諸州ノ通習ニシテ、倫理ノ因ヲ以テ立ツ所ナリ。亜細亜諸邦ニ於テハ必シモ然ラズ。殊ニ我ガ国ノ如キ、血統ヲ軽ズル、其ノ最モ甚キ者ナリ。・・・従来ノ習俗、家系ヲ一種ノ株ト看做シ、若シ子孫ノ之ヲ継グ可キモノ無キハ、他族ノ者ト雖ドモ迎ヘテ之ヲ嗣ガシムルアリ。之ヲ名ケテ養子制度と云フ。・・・」
明治維新以降の種々の改革の中には、その後の破滅の原因(birth defect)を含むものが多々あったが、その一つの原因として、当時の制度設計者の観察力・洞察力の不足があったと思う。
森有礼もその例外ではなく、上の短い文章の中にも、私が見る限り、(観察力・洞察力の不足に起因するとみられる)誤りが少なくとも3つある。
まず、「血統」という表現が誤解を招く。
これは、前回指摘したとおり、「ゲノム」とあるべきところで、しかもこれが「父」のものである点が看過されている。
次に、(これは大きな間違いではないが)、「亜細亜諸邦」と十把一からげにしているところも不適切であり、中国の「家」(但し、そこでは父のゲノムについて「気」という言葉を用いる)を見落としている。
つまり、森は、日本の特異性に気づいていないわけである。
さらに、一番大きい誤りと思われるのは、「家系ヲ一種ノ株ト看做シ」とあるところである。
一見すると正しいようだが、制度としての「イエ」の本質が「株」(つまり遺産)の承継にあると言ってしまうと、おそらく誤りになる。
森の見解だと、前述した「絶家再興」を説明することが出来ないのだ。
例えば、「イエ」の家系が絶えて位牌と墓だけが残った場合、(一族の例えば次男などが)その「イエ」の苗字に改め、その家職に就き、その「イエ」の位牌と墓を守れば、彼は絶家の子孫とみなされるわけである(なので、この人物が他の「イエ」からの養子であった場合、ここで完全に「ゲノム」の連続性は絶えてしまう。)。
この制度は、「廃絶家再興」として、明治民法でも維持された。
ここでのポイントは、「苗字」の承継(再興)が祭祀の承継とセットになっていることと、他方において遺産の相続は認められていなかったことである。
明六雑誌第11号「妻妾論ノ二」(森有礼)
「血統ヲ正スルハ欧米諸州ノ通習ニシテ、倫理ノ因ヲ以テ立ツ所ナリ。亜細亜諸邦ニ於テハ必シモ然ラズ。殊ニ我ガ国ノ如キ、血統ヲ軽ズル、其ノ最モ甚キ者ナリ。・・・従来ノ習俗、家系ヲ一種ノ株ト看做シ、若シ子孫ノ之ヲ継グ可キモノ無キハ、他族ノ者ト雖ドモ迎ヘテ之ヲ嗣ガシムルアリ。之ヲ名ケテ養子制度と云フ。・・・」
明治維新以降の種々の改革の中には、その後の破滅の原因(birth defect)を含むものが多々あったが、その一つの原因として、当時の制度設計者の観察力・洞察力の不足があったと思う。
森有礼もその例外ではなく、上の短い文章の中にも、私が見る限り、(観察力・洞察力の不足に起因するとみられる)誤りが少なくとも3つある。
まず、「血統」という表現が誤解を招く。
これは、前回指摘したとおり、「ゲノム」とあるべきところで、しかもこれが「父」のものである点が看過されている。
次に、(これは大きな間違いではないが)、「亜細亜諸邦」と十把一からげにしているところも不適切であり、中国の「家」(但し、そこでは父のゲノムについて「気」という言葉を用いる)を見落としている。
つまり、森は、日本の特異性に気づいていないわけである。
さらに、一番大きい誤りと思われるのは、「家系ヲ一種ノ株ト看做シ」とあるところである。
一見すると正しいようだが、制度としての「イエ」の本質が「株」(つまり遺産)の承継にあると言ってしまうと、おそらく誤りになる。
森の見解だと、前述した「絶家再興」を説明することが出来ないのだ。