文部科学省の「大学基本調査」によると、戦後、18歳人口は、「団塊の世代」が18歳を迎えた1966年に249万人のピークを迎え、その後、いったん減少したあと盛り返したが、団塊ジュニアの多くが高校を卒業した1992年の205万人から、2014年には118万人まで減少した。
森嶋先生が見た約25年前の大学生は、「団塊ジュニア」前後に当たるが、彼ら/彼女らは、「団塊の世代」と並び「受験競争」が最も熾烈な世代であったと思われる。
なぜなら、1980年代後半から1990年代前半は、18歳人口は多いのに大学進学者が増えない時期だったからである(受験マニアックス2020年9月号 変わりゆく大学進学の意義と求められる人物像)。
この「受験競争」のすさまじさとその弊害については、時代は遡るが、この人を例にとるのが分かりやすい。
「「まだ財務省の役人だった片山さつきが『鳩山先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね』と聞くと、邦夫は自慢そうに『そうだ』と答えた。すると片山さつきが『私は1位、1位、1位、1位でした』と勝ち誇ったように言ったというのです。さすがに邦夫は、あとから『あの女はなんだ!』とカンカンだったといいます」」
「常に相手に対しマウントをとり続け、自分の優位性を確認しなければ気が済まない」というメンタリティーがどこから生まれたのか、これでよく分かるだろう。
このメンタリティーがプラスに作用すれば、官僚→政治家として国民のため身を粉にして働く人間が生まれるのかもしれない。
だが、根底で彼ら/彼女らを駆動しているのは承認欲求及びそれと一体化した「恐怖心」なので、ひとたび帰属集団内での評価が低下するや、理解困難な言動が出てくる。
何より「群れ(の先頭)からはぐれること」が恐ろしいからである。
「片山は上に媚びるのが苦手なタイプです。でも、隣には取り入るのがやたらとうまい稲田や小池がいる。さらに自分以外の女性議員はどんどん出世して大臣になる。
片山は焦るわけです。自分は元大蔵官僚で、しかもミス東大なのになぜ出世できないのか。稲田が安倍さんに重用されるのは右派だからだ。それなら私も右に行けば出世できるのではないか──結果、在特会のデモに参加してしまう。」
私が入った高校は地方の公立校なので、都内の超有名進学校(筑波大学附属など)ほど苛烈ではなかったものの、やはり異常な「受験競争」は間違いなくあった。
テストのたびに職員室の入口の壁に「成績優秀者」(数十名)の席次、名前、点数が張り出され、下宿生は親元に学校から成績表が直接郵送されるシステムをとっていた。
一学年は約500人だが、成績が450番以下の生徒のことを、生徒たちだけでなく教師たちも「死後の世界」と呼んで揶揄していた。
程度の差こそあれ、多くの高校生がこうした「ラット・レース」に否応なく出場させされ、その中で、今でいうところの「スクール・カースト」が形成されていた。
しかも、一部の高校では、それを教師たちも承認していたのである。
こうしたやり方が陰湿だと思うのは、「その人の存在そのものを透明化、周辺化する」、つまり、かつて欧米列強が植民地の人たちに対してやったことと同じだからである(「愛」を語る前になすべきこと(1))。
こうなると、「次のテストで自分の名前が消えるのは怖い」、あるいは「自分は死後の世界には行きたくない」という恐怖心が芽生えるのは自然なことであり、かくして優等生も劣等生も「恐怖心」に支配されることとなる。
・・・さて、大学入学によって「受験競争」から脱出出来た、めでたしめでたしと喜ぶのは甘い。
「ラット・レース」はまだ続いているからである。