Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

Es muss sein!(そうでなければならない!)

2025年01月02日 06時30分00秒 | Weblog
ほのカルテット
  弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.59-1「ラズモフスキーNo.1」
  弦楽四重奏曲 ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキーNo.2」
  弦楽四重奏曲 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキーNo.3」
クァルテット・エクセルシオ
  弦楽四重奏曲 変ホ長調 Op.127
  弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.130
  弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.133「大フーガ」
古典四重奏団
  弦楽四重奏曲 嬰ハ短調 Op.131
  弦楽四重奏曲 イ短調 Op.132
  弦楽四重奏曲 へ長調 Op.135

 べートーヴェン三昧のもう一つは、「ベートーヴェン 弦楽四重奏曲【9曲】演奏会」。
  会場は東京文化会館の小ホールで、弦楽四重奏曲にはうってつけだと思う。
 というのも、この種の「横に広い」中小規模のホールは、ピアノだと両端に音が届かないものの、弦楽器だとほぼ全体に音が届くのである。
 だが、この形状のホールは意外にも少ない。
 ちなみに、大ホールでは、コバケン先生による「第22回ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会」が開催されており、この建物全体がベートーヴェン一色に染まっていた。
 さて、トップバッターの「ほのカルテット」は若いメンバーで、中期の作風を代表する「ラズモフスキー」を演奏。
 ときおりモーツァルトのエコーが響くように感じるのは、ベートーヴェンがまだ若さを保っていた時期の曲だからなのだろうか?
 次は、「クァルテット・エクセルシオ」による12番、13番と大フーガ。
 晩年の曲ということもあり、「ラズモフスキー」とは曲想が全く違っている。
 13番の「カヴァティーナ」は、安らぎの極致のような曲で、こういう曲を書いてしまうと、作曲家の死は近い。
 1791年6月17日に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を書きあげたモーツァルトは、同じ年の12月5日に死んだのだ。
 トリは「古典四重奏団」による14番、15番、16番。
 全曲暗譜で、しかも息がピッタリ合っている。
 7楽章まである14番はやや奇をてらい過ぎたところがありそうだが、15番は完璧というほかない。
 特に、3楽章は、「天界の現前化」という言葉がピッタリくる。
 ワーグナーが、
 「人間はこのように非地上的なものを聞く資格があるかどうか、疑問にさえ思われる。
と言ったのもむべなるかな(バッハ発、ワーグナー行き(7))。
 譬えて言うと、(ベートーヴェンが大好きだった)森に空から金色の雨が降る中で、天に延びる虹の橋を昇って行くようなイメージである。
 なので、曲想は、「天界から地上を見下ろす」というものに思える。
 ところが、4楽章ではうって変わり、再び地上に戻って天界を見上げるというイメージ。
 私見では、16番でもこの構成が踏襲されており、3楽章は天界を、4楽章は地上をそれぞれあらわしていると感じる。
 4楽章には、
 Muss es sein? (そうでなければならないのか?)
 Es muss sein!(そうでなければならない!)
という2つのモティーフが頻繁に登場し、最後は、
 Es muss sein!(そうでなければならない!)
で締めくくられる。
 こうしてべ―トーヴェンは、天界に昇る前に地上に戻り、人類に音楽を遺してくれたのである。
 
 

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