ほのカルテット
弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.59-1「ラズモフスキーNo.1」
弦楽四重奏曲 ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキーNo.2」
弦楽四重奏曲 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキーNo.3」
クァルテット・エクセルシオ
弦楽四重奏曲 変ホ長調 Op.127
弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.130
弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.133「大フーガ」
古典四重奏団
弦楽四重奏曲 嬰ハ短調 Op.131
弦楽四重奏曲 イ短調 Op.132
弦楽四重奏曲 へ長調 Op.135
べートーヴェン三昧のもう一つは、「ベートーヴェン 弦楽四重奏曲【9曲】演奏会」。
会場は東京文化会館の小ホールで、弦楽四重奏曲にはうってつけだと思う。
というのも、この種の「横に広い」中小規模のホールは、ピアノだと両端に音が届かないものの、弦楽器だとほぼ全体に音が届くのである。
だが、この形状のホールは意外にも少ない。
ちなみに、大ホールでは、コバケン先生による「第22回ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会」が開催されており、この建物全体がベートーヴェン一色に染まっていた。
さて、トップバッターの「ほのカルテット」は若いメンバーで、中期の作風を代表する「ラズモフスキー」を演奏。
ときおりモーツァルトのエコーが響くように感じるのは、ベートーヴェンがまだ若さを保っていた時期の曲だからなのだろうか?
次は、「クァルテット・エクセルシオ」による12番、13番と大フーガ。
晩年の曲ということもあり、「ラズモフスキー」とは曲想が全く違っている。
13番の「カヴァティーナ」は、安らぎの極致のような曲で、こういう曲を書いてしまうと、作曲家の死は近い。
1791年6月17日に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を書きあげたモーツァルトは、同じ年の12月5日に死んだのだ。
トリは「古典四重奏団」による14番、15番、16番。
全曲暗譜で、しかも息がピッタリ合っている。
7楽章まである14番はやや奇をてらい過ぎたところがありそうだが、15番は完璧というほかない。
特に、3楽章は、「天界の現前化」という言葉がピッタリくる。
ワーグナーが、
「人間はこのように非地上的なものを聞く資格があるかどうか、疑問にさえ思われる。」
と言ったのもむべなるかな(バッハ発、ワーグナー行き(7))。
譬えて言うと、(ベートーヴェンが大好きだった)森に空から金色の雨が降る中で、天に延びる虹の橋を昇って行くようなイメージである。
なので、曲想は、「天界から地上を見下ろす」というものに思える。
ところが、4楽章ではうって変わり、再び地上に戻って天界を見上げるというイメージ。
私見では、16番でもこの構成が踏襲されており、3楽章は天界を、4楽章は地上をそれぞれあらわしていると感じる。
4楽章には、
Muss es sein? (そうでなければならないのか?)
Es muss sein!(そうでなければならない!)
という2つのモティーフが頻繁に登場し、最後は、
Es muss sein!(そうでなければならない!)
で締めくくられる。
こうしてべ―トーヴェンは、天界に昇る前に地上に戻り、人類に音楽を遺してくれたのである。